今日は、奈良時代の743年(天平15)に、「墾田永年私財法」が出された日ですが、新暦では6月23日となります。
「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」は、聖武天皇の治世に「三世一身法」を改めて一定の条件つきで墾田の永世私有を認めた古代の土地法で、墾田永代私有法、墾田永世私有法、墾田永世私財法とも呼ばれてきました。令制の班田収授法は、人口の増加により田地の不足をきたし、これを補うため、723年(養老7)に「三世一身法」が出され、期限付きで開墾者の田主権を認めましたが、収公の期限が近づくと耕作の意欲が衰え、そのために墾田の荒地化が目立ってきます,そこで、位階による制限面積を超えないこと、国司の許可を得ること、許可後3年以内に開墾し終わることなどの条件のもとで、墾田の永世私有を許したもので、これによって公地公民の大原則が崩れ、社寺・貴族による大土地所有が活発化し、荘園制成立の要因となります。以下に、これを記した『続日本紀』天平十五年(743年)五月乙丑(27日)条を掲載(注釈・現代語訳付)しておきますので、ご参照下さい。
☆『続日本紀』天平十五年(743年)五月乙丑(27日)条
<原文>
(天平十五年五月)乙丑。詔曰。如聞。墾田、依養老七年格。限満之後。依例収授。由是。農夫怠倦。開地復荒。自今以後。任為私財、無論三世一身。咸悉永年莫取。其親王一品及一位五百町。二品及二位四百町。三品・四品及三位三百町。四位二百町。五位百町。六位已下八位已上五十町。初位已下至于庶人十町。但郡司者。大領・少領三十町。主政・主帳十町。若有先給地過多茲限。便即還公。姦作隠欺、科罪如法。国司在任之日。墾田一依前格。但人為開田占地者、先就国申請、然後開之。不得因茲占請百姓有妨之地。若受地之後至于三年、本主不開者、聴他人開墾。
<読み下し文>
(天平十五年五月)乙丑。詔して日く、「聞くが如くんば、墾田は養老七年の格[1]に依りて、限満つるの後、例に依りて収授す[2]。是に由りて農夫怠倦して、開ける地復た荒れると。今自り以後は、任[3]に私財と為し、三世一身を論ずること無く、咸悉永年取る莫れ[4]。其の親王[5]の一品[6]及び一位[7]には五百町、二品及び二位には四百町、三品四品及び三位には三百町、四位には二百町、五位には一百町、六位已下八位已上五十町、初位已下庶人に至るまでは十町。但し郡司は大領[8]・少領[9]には三十町主政[10]・主帳[11]には十町。若し先に給える地、茲の限りより過多なる有らば、便即ち公に還せ。姦作隠せらば、罪を科すること法の如くにせよ。其の国司在任の日は墾田は、一に前格によれ。但し人、田を開かんが為に地を占めんは、先ず国に就きて申し請い、然る後にこれを開け。茲に因りて百姓の妨げ有る地を占請すること得ざれ。若し地を受くるの後、三年に至るも本主開かざれば、他人の開墾を聴せ。」と。
【注釈】
[1]養老七年の格:ようろうななねんのきゃく=格は律令を修正・追加した法令で、「三世一身法」をいう。
[2]例に依りて収授す:れいによりてしゅうじゅす=三世もしくは一身を過ぎると収公する。
[3]任:まま=意のままに。
[4]取る莫れ:とるなかれ=収公してはいけない。
[5]親王:しんのう=天皇の兄弟や皇子。
[6]一品:いっぽん=親王の位階で一品から四品まで四階級あった。
[7]一位:いちい=官人の位階は一位から八位までと初位の位階があり、正一位から少初位下まで三十階級あった。
[8]大領:かみ=郡司の四等官の長官(一番目)。
[9]少領:すけ=郡司の四等官の次官(二番目)。
[10]主政:じょう=郡司の四等官の判官(三番目)。
[11]主帳:さかん=郡司の四等官の主典(四番目)。
<現代語訳>
天平15年(743年)5月24日。(聖武天皇が)詔して言うことには、「聞くところによると、墾田の取扱いは、養老7年格(三世一身法)に基づき、期限がくれば、従前どおり三世もしくは一身を過ぎると収公していた。しかし、そのために開墾地を耕す農民は張り合いがなくなって怠け、せっかく開墾した土地が再び荒れることとなった。今後は、意のままに私財とすることを認め、三世一身の期限に関係なく、すべて永年にわたり収公してはいけないこととする。ただし、開墾私有地の限度は、親王の一品と官人の一位の位階を持つ者は500町。二品と二位は400町。三品・四品と三位は300町。四位は200町。五位は100町。六位以下八位以上は50町。初位と庶民は10町とする。ただし、郡司については、大領・少領は30町、主政・主帳は10町を限度とする。もし、前から与えられていた田地で、この限度を超えているものがあれば、すみやかに国に返還させよ。不正に土地を所有して隠匿するものがあれば、罪を科すことは法の如くとする。国司の在任中における申請手続きは、前格(三世一身法)に準ずるものとする。ただし、耕地を開墾するためにその土地を占有しようとする者は、まず国に申請すること。それから後に開拓せよ。また、百姓の妨げとなる土地を占有しようとする申請は認めない。もし許可を受けた後、3年を経ても開墾していない場合は、他の者へ開墾を許可してもよいこととする。」と。
「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」は、聖武天皇の治世に「三世一身法」を改めて一定の条件つきで墾田の永世私有を認めた古代の土地法で、墾田永代私有法、墾田永世私有法、墾田永世私財法とも呼ばれてきました。令制の班田収授法は、人口の増加により田地の不足をきたし、これを補うため、723年(養老7)に「三世一身法」が出され、期限付きで開墾者の田主権を認めましたが、収公の期限が近づくと耕作の意欲が衰え、そのために墾田の荒地化が目立ってきます,そこで、位階による制限面積を超えないこと、国司の許可を得ること、許可後3年以内に開墾し終わることなどの条件のもとで、墾田の永世私有を許したもので、これによって公地公民の大原則が崩れ、社寺・貴族による大土地所有が活発化し、荘園制成立の要因となります。以下に、これを記した『続日本紀』天平十五年(743年)五月乙丑(27日)条を掲載(注釈・現代語訳付)しておきますので、ご参照下さい。
☆『続日本紀』天平十五年(743年)五月乙丑(27日)条
<原文>
(天平十五年五月)乙丑。詔曰。如聞。墾田、依養老七年格。限満之後。依例収授。由是。農夫怠倦。開地復荒。自今以後。任為私財、無論三世一身。咸悉永年莫取。其親王一品及一位五百町。二品及二位四百町。三品・四品及三位三百町。四位二百町。五位百町。六位已下八位已上五十町。初位已下至于庶人十町。但郡司者。大領・少領三十町。主政・主帳十町。若有先給地過多茲限。便即還公。姦作隠欺、科罪如法。国司在任之日。墾田一依前格。但人為開田占地者、先就国申請、然後開之。不得因茲占請百姓有妨之地。若受地之後至于三年、本主不開者、聴他人開墾。
<読み下し文>
(天平十五年五月)乙丑。詔して日く、「聞くが如くんば、墾田は養老七年の格[1]に依りて、限満つるの後、例に依りて収授す[2]。是に由りて農夫怠倦して、開ける地復た荒れると。今自り以後は、任[3]に私財と為し、三世一身を論ずること無く、咸悉永年取る莫れ[4]。其の親王[5]の一品[6]及び一位[7]には五百町、二品及び二位には四百町、三品四品及び三位には三百町、四位には二百町、五位には一百町、六位已下八位已上五十町、初位已下庶人に至るまでは十町。但し郡司は大領[8]・少領[9]には三十町主政[10]・主帳[11]には十町。若し先に給える地、茲の限りより過多なる有らば、便即ち公に還せ。姦作隠せらば、罪を科すること法の如くにせよ。其の国司在任の日は墾田は、一に前格によれ。但し人、田を開かんが為に地を占めんは、先ず国に就きて申し請い、然る後にこれを開け。茲に因りて百姓の妨げ有る地を占請すること得ざれ。若し地を受くるの後、三年に至るも本主開かざれば、他人の開墾を聴せ。」と。
【注釈】
[1]養老七年の格:ようろうななねんのきゃく=格は律令を修正・追加した法令で、「三世一身法」をいう。
[2]例に依りて収授す:れいによりてしゅうじゅす=三世もしくは一身を過ぎると収公する。
[3]任:まま=意のままに。
[4]取る莫れ:とるなかれ=収公してはいけない。
[5]親王:しんのう=天皇の兄弟や皇子。
[6]一品:いっぽん=親王の位階で一品から四品まで四階級あった。
[7]一位:いちい=官人の位階は一位から八位までと初位の位階があり、正一位から少初位下まで三十階級あった。
[8]大領:かみ=郡司の四等官の長官(一番目)。
[9]少領:すけ=郡司の四等官の次官(二番目)。
[10]主政:じょう=郡司の四等官の判官(三番目)。
[11]主帳:さかん=郡司の四等官の主典(四番目)。
<現代語訳>
天平15年(743年)5月24日。(聖武天皇が)詔して言うことには、「聞くところによると、墾田の取扱いは、養老7年格(三世一身法)に基づき、期限がくれば、従前どおり三世もしくは一身を過ぎると収公していた。しかし、そのために開墾地を耕す農民は張り合いがなくなって怠け、せっかく開墾した土地が再び荒れることとなった。今後は、意のままに私財とすることを認め、三世一身の期限に関係なく、すべて永年にわたり収公してはいけないこととする。ただし、開墾私有地の限度は、親王の一品と官人の一位の位階を持つ者は500町。二品と二位は400町。三品・四品と三位は300町。四位は200町。五位は100町。六位以下八位以上は50町。初位と庶民は10町とする。ただし、郡司については、大領・少領は30町、主政・主帳は10町を限度とする。もし、前から与えられていた田地で、この限度を超えているものがあれば、すみやかに国に返還させよ。不正に土地を所有して隠匿するものがあれば、罪を科すことは法の如くとする。国司の在任中における申請手続きは、前格(三世一身法)に準ずるものとする。ただし、耕地を開墾するためにその土地を占有しようとする者は、まず国に申請すること。それから後に開拓せよ。また、百姓の妨げとなる土地を占有しようとする申請は認めない。もし許可を受けた後、3年を経ても開墾していない場合は、他の者へ開墾を許可してもよいこととする。」と。