イメージ 1

 今日は、平安時代前期の869年(貞観11)に、陸奥国で貞観地震が起き、大津波により甚大な被害が出た日ですが、新暦では7月9日となります。
 貞観地震(じょうがんじしん)は、三陸沖の海底を震源域として発生した、マグニチュード8.3以上と推定される巨大地震で、大津波が襲い、当時の海岸から最大で3~4kmも内陸に達したと考えられてきました。近年の津波堆積物の調査により、この地震によって、現在の宮城県から福島県沖で長さ200km、幅85kmにわたり、約6mの断層が生じたと見られています。
 『日本三代実録』によると、倒れた家屋の下敷きになって圧死した者や地割れに飲み込まれた者も出て被害は甚大で、津波による溺死者が千人に及んだとされていますが、当時の人口は現在の20分の1以下と推定されていますので、2011年(平成23)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に匹敵する被害だったとされてきました。
 以下に、『日本三代実録』巻十六の貞観地震の記述の部分を掲載(現代語訳・注釈付)しておきますので、ご参照下さい。

〇『日本三代実録』巻十六 869年(貞観11年5月26日)の貞観地震の記述

<原文>

(貞觀十一年五月)廿六日癸未、陸奧國地大震動、流光如晝隱映、頃之、人民叫呼、伏不能起、或屋仆壓死、或地裂埋殪、馬牛駭奔、或相昇踏、城郭倉庫、門櫓墻壁、頽落顛覆、不知其數、海口哮吼、聲似雷霆、驚濤涌潮、泝洄漲長、忽至城下、去海數千百里、浩々不辨其涯諸、原野道路、惣爲滄溟、乘船不遑、登山難及、溺死者千許、資産苗稼、殆無孑遺焉、

<読み下し文>

(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國の地、大いに震動す。流光晝の如く隱映[1]す。頃く、人民叫呼[2]し、伏して起つ能はず。或は屋仆れて壓死し、或は地裂けて埋殪[3]す。馬牛駭き奔り、或は相昇踏[4]す。城郭倉庫、門櫓墻壁[5]、頽落[6]顚覆[7]するもの、其の數を知らず。海口[8]哮吼[9]し、聲は雷霆[10]に似たり。驚濤[11]涌潮[12]、泝洄[13]漲長[14]し、忽ち城下に至る。海を去ること數十百里、浩々[15]として其の涯涘[16]を弁ぜず。原野道路、惣て滄溟[17]と爲る。船に乘るに遑あらず[18]、山に登るも及び難し。溺死する者、千許り、資産苗稼[19]、殆んど孑遺[20]無し。

【注釈】

[1]隱映:いんえい=暗闇がまるで昼のように明るくなる様。
[2]叫呼:きょうこ=大声でさけぶこと。わめくこと。
[3]埋殪:まいえい=生き埋め。
[4]昇踏:しょうとう=互いを踏みつけ合うこと。
[5]墻壁:しょうへき=垣や壁。石・煉瓦れんが・土などで築いた塀。
[6]頽落:たいらく=崩れ落ちること。
[7]顚覆:てんぷく=覆(くつがえ)ること。ひっくり返ること。
[8]海口:かいこう=河口の海。
[9]哮吼:こうこう=吠え狂うこと。
[10]雷霆:らいてい=すさまじい雷鳴、落雷。
[11]驚濤:きょうとう=荒れ狂う波。さかまく大波。
[12]涌潮:ようちょう=湧き返る。
[13]泝洄:そかい=河を遡(さかのぼ)ること。
[14]漲長:ちょうちょう=膨張すること。
[15]浩々:こうこう=広々と広がる様。
[16]涯涘:がいし=かぎり。はて。際限。また、かぎること。地面と海との境。
[17]滄溟:そうめい=あおく広い海。青海原 (あおうなばら) 。滄海。
[18]遑あらず:いとまあらず=時間がない。ひまがない。
[19]苗稼:びょうか=稲の苗。
[20]孑遺:けつい=わずかに残っているもの。少しの残り。残余。

<現代語訳>

(貞観11年(869年)5月)26日癸未(みずのとひつじ)の日、陸奥国に大地震が起こった。夜であるにもかかわらず、空を閃光が流れ、暗闇をまるで昼のごとく明るく照らし、しばらくの間、人々は恐怖のあまり叫び声を挙げて、地面に身を伏したまま、立つこともできなかった。ある者は、家屋の倒壊によって圧死し、ある者は、地割れに飲み込まれて生き埋めになった。馬や牛は驚いて跳びまわり、互いを踏みつけ合い、多賀城の城郭や倉庫、門、櫓、垣や壁などは崩れ落ちたり、くつがえったりしたが、その数は数え切れないほどで多かった。河口の海は、雷鳴のような海鳴りが聞こえて吠え狂った。潮が湧き上がり大波となり、河を逆流して膨張し、たちまち城下に達した。海は、数10里~100里にわたって広々と広がり、どこが地面と海との境界だったのか分別できない有様であった。原野や道路も、すべて蒼々とした海におおわれてしまった。船に乗って逃げる時間もなく、山に登って避難することも難しかった。溺れ死にする者も千人ほどとなった。人々は資産も稲の苗も失い、ほとんど何も残らなかった。