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 今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、「小学校令」が改正され、小学校の教科書が検定制から国定制とされた日です。
 小学校用の教科書は、1872年(明治5)の「学制」発布時は自由発行・自由採択制となっていました。しかし、1880年(明治13)に教科書の使用禁止書目が発表され、1881年(明治14)の「小学校教則綱領」では開申制(採択教科書を監督官庁に報告すればよい)となり、1883年(明治16)に認可制(採択してよいかどうかの許可を受けることが必要となる)に、そして、1886年(明治19)の「小学校令」公布で、「教科用図書検定条例」が定められ、徐々に政府による統制が強化されてきます。
 さらに、1890年(明治23)の「教育勅語」発布以後は、この勅語の精神にのっとる教育の実現のため、修身などの教科書の国費による編纂を求める建議が衆議院や貴族院で出されるようになりました。1902年(明治35)に「教科書疑獄事件」(教科書会社と採択側の教育関係者との間で、贈収賄が行われているとして、200余人が取調べを受け、うち152人が予審に付され、116人が有罪となった事件)が起きると、それを口実(下記の菊池大麓文相の演説参照)に翌年4月13日に「小学校令」が改正され、「小学校ノ教科用図書ハ文部省ニ於テ著作権ヲ有スルモノタルヘシ」と規定し、修身・日本歴史・地理の教科書および国語読本は必ず国定教科書を用いることが定められ、さらに同施行規則において、書き方手本・算術・図画の教科書も国定とすることを定められます。
 すぐにこれらの教科書の編集が開始され、1904年(明治37)から国語読本・書き方手本・修身・日本歴史・地理の国定教科書が使用され始めました。1905年(明治38)には算術・図画の教科書が使用開始され、1910年(明治43)には理科教科書も国定教科書に追加され、小学校教科書の内容はすべて文部省がこれを統一して全国一様なものとなります。以後 1918年(大正7)、1933年(昭和8)、1941年(昭和16)に全面的な修正が行われ、1943年(昭和18)からは、師範学校、中等学校でも国定教科書が使用されるようになります。
 この結果、教科書が画一化し、軍国主義的記述などその内容に国家権力の意図するものが多くなり、軍国主義教育に導いたとされ、太平洋戦争後の教育改革により、国定教科書は廃止され、小・中・高等学校ともに、1950年(昭和25)から検定教科書を使用することとなりました。

〇菊池大麓文相が1903年(明治36)6月に幸倶楽部で行なった演説

「御承知ノ如ク昨年ノ冬二至リテ審査会二関スル収賄ノ証拠ノ手掛リガツキ家宅捜索トナリ終二ハ十分ナル証拠ガ挙ツテ御承知ノ如ク多数ノ者ガ検挙ニナルトイフ 次第二ナツタ。之ハ甚ダ不祥ナ事デアルケレドモ多年ノ積弊ヲ一掃スルニ於テハ誠二好時機デアルト認メ、又予テ私ノ是非実行シナケレバナラヌト思ツテ居タ国 定ノ儀ハ此際一日モ猶予スベカラザルモノダト考へ教科書国定ノ議ヲ直二閣議二提出シテ同意ヲ得夕。」

  「文部省ホームページ」より

〇教科書疑獄事件とは?

 1902年(明治35)に発覚した小学校の検定教科書の採択をめぐって発生した贈収賄事件です。
 1886年(明治19)に「教科用図書検定条例」が制定されてからは、小学校用教科書は文部省の検定認可を経た後、府県ごとの審査委員会による審査を受けて、正式に採用されることになりました。このため、教科書会社による売り込み競争が激化し、当局も罰則を強化してこれに対応することとなります。
 しかし、1902年(明治35)12月17日に金港堂、集英堂などの教科書会社が家宅捜査をうけ、県・郡視学官らが拘引されたのに始まり、翌年3月までに、県知事、県書記官、師範学校長、県会議長、教科書会社社長、教員など200余人が取調べを受け、うち152人が予審に付され、116人が有罪になるという、教育界空前の不祥事となりました。また、これに関係した金港堂・集英堂・普及舎・冨山房・国光社などが発行する教科書は採択禁止となります。
 この結果、菊池大麓文部大臣が引責辞任し、1903年(明治36)4月13日に、「小学校令」が改正され、小学校の教科書が検定制から国定制とされるに至りました。

〇小学校教科書関連略年表

1872年(明治5) 「学制」発布 「小学教則」(教科書自由発行・自由採択制)
1879年(明治12) 「教育令」公布 教学聖旨
1880年(明治13) 教科書の使用禁止書目の発表
1881年(明治14) 小学校教則綱領(開申制・採択教科書を監督官庁に報告すればよい)
1883年(明治16) 認可制となり、採択してよいかどうかの許可を受けることが必要となる
1886年(明治19) 「小学校令」公布で、「教科用図書検定条例」が制定される
1887年(明治20) 「教科用図書検定規則」が定められ、教科書検定制度が始まる
1890年(明治23) 「教育勅語」発布
1891年(明治24) 「小学校教則大綱」
1900年(明治33) 「小学校令」改正
1902年(明治35) 教科書疑獄事件が起きる
1903年(明治36) 「小学校令」改正で教科書国定制となる
1904年(明治37) 国定教科書使用開始(国語読本・書き方手本・修身・日本歴史・地理)
1905年(明治38) 算術・図画も国定教科書の使用開始
1910年(明治43) 理科も国定教科書の使用開始
1907年(明治40) 義務教育4年制 ⇒6年制
1918年(大正7) 国定教科書の全面的な修正
1933年(昭和8) 国定教科書の全面的な修正
1941年(昭和16) 国定教科書の全面的な修正
1941年(昭和16) 国民学校発足
1945年(昭和20) 敗戦 文部省通達:軍事教材など不適切分の削除と墨塗り教科書
1950年(昭和25) 検定教科書使用開始