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 今日は、明治時代前期の1869年(明治2)に、洋画家岡田三郎助の生まれた日ですが、新暦では1月22日となります。
 岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ)は、肥前国佐賀(現在の佐賀県佐賀市)で、鍋島藩士の父・石尾孝基の三男として生まれましたが、幼名は芳三郎と言いました。
 1887年(明治20)に岡田家の養子となり、洋画家・曽山幸彦の画塾に入門します。曽山幸彦没後、1892年(明治25)に洋風絵画専修のため大幸館に入学し、堀江正章の指導を受けました。翌年、大幸館規定の科目を卒業し、卒業制作として『矢調べ』を描きます。
 1895年(明治28)に第4回内国勧業博覧会に『初冬晩暉』を出品して妙技3等賞を受け、翌年東京美術学校西洋画科助教授となり、白馬会の創立にも参加しました。1897年(明治30)から、最初の文部省留学生として渡仏し、ラファエル・コランに師事、1902年(明治35)に帰国し、東京美術学校の教授に就任します。
 1907年(明治40)に東京勧業博覧会出品の『婦人像(某婦人の肖像)』が1等賞を受け、文展の審査員にも選ばれました。1912年(大正元)に藤島武二と本郷洋画研究所を設立、1919年(大正8)には、高村豊周、長原孝太郎、藤井達吉らと装飾美術家協会の結成にも加わります。
 1920年(大正8)に帝国美術院会員、1934年(昭和9)に帝室技芸員、1936年(昭和11)には東京美術学校校長事務取扱いとなりました。
 1937年(昭和12)に第1回文化勲章を受章し、帝国芸術院会員ともなり、華麗な格調高い画風で知られましたが、1939年(昭和14)9月23日に、東京の自宅において、70歳で亡くなっています。

〇岡田三郎助の主要な作品

・『矢調べ』(1893年)佐賀県立美術館蔵
・『初冬晩暉』(1895年)
・『岡部次郎像』(1898年)三重県立美術館蔵
・『読書』(1903年)
・『紫の調(某夫人の肖像)』(1907年)ブリヂスチン美術館蔵
・『清楚(少女)』(1907年)佐賀県立美術館
・『大隈伯夫人像』(1909年)早稲田大学蔵
・『ヨネ桃の林』(1916年)
・『水浴の前』(1916年)ブリヂスチン美術館蔵
・『支邦絹の前』(1920年)高島屋史料館蔵
・『緑陰婦人図』(1921年)岩崎美術館蔵
・『古き昔を偲びて』(1926年)黒川古文化研究所蔵
・『あやめの衣』(1927年)ポーラ美術館蔵
・『丹霞郷』(1933年)個人蔵
・『伊豆山風景』(1935年)佐賀県立美術館蔵
・『水辺の裸婦』(1935年)ひろしま美術館蔵
・『婦人半身像』(1936年)東京国立近代美術館蔵
・『編物』(1939年)黒川古文化研究所蔵