椋鳩十(むく はとじゅう)は、明治時代後期の1905年(明治38)1月22日に、長野県下伊那郡喬木村阿島で、牧場経営兼牛乳販売業の父・久保田金太郎、母・たきの次男として生まれましたが、本名は久保田彦穂と言いました。
長野県立飯田中学(現在の県立飯田高等学校)卒業後上京し、1924年(大正13)に法政大学文学部国文科へ入学します。在学中、佐藤惣之助の『詩の家』同人となり、詩集『駿馬』(1926年)、『夕の花園』(1927年)を発表し、1930年(昭和5)卒業後、鹿児島県の中種子高等小学校代用教員となります。
しかし、3ヶ月で解雇され、加治木町立実科高等女学校の国語教師に着任し、その一方で作家活動を続け、 1933年(昭和8)に最初の小説『山窩調』を自費出版し、椋鳩十のペンネームを使いはじめました。
その後、児童文学を書き始め、1938年(昭和13)の『少年倶楽部』1に、初の動物物語である『山の太郎熊』を掲載します。
太平洋戦争後は、1947年(昭和22)から19年間、鹿児島県立図書館長を務め、1960年(昭和35)から、『母と子の20分間読書』運動を推進しました。その一方で、児童文学を書き続け、短編集『片耳の大鹿(おおしか)』(1951年)で、文部大臣奨励賞、『大空に生きる』(1961年)で小川未明文学奨励賞、『孤島の野犬』(1963年)でサンケイ児童出版文化賞・国際アンデルセン賞国内賞の受賞などの栄誉に輝きます。
1967年(昭和42)から鹿児島女子短期大学教授を務め、1971年(昭和46)に『マヤの一生』『モモちゃんとあかね』で第1回赤い鳥文学賞も受賞しています。
1987年(昭和62)に喬木村名誉村民第1号になりましたが、同年12月27日に鹿児島県において、82歳で亡くなりました。
〇椋鳩十の主要な作品
・詩集『駿馬』(1926年)
・詩集『夕の花園』(1927年)
・小説『山窩調』(1933年)
・『山の太郎熊』 (1938年)
・『動物ども』(1943年)
・短編集『片耳の大鹿(おおしか)』(1951年)文部大臣奨励賞
・『大空に生きる』(1961年)小川未明文学奨励賞受賞
・『孤島の野犬』(1963年)サンケイ児童出版文化賞・国際アンデルセン賞国内賞
・『大造じいさんとガン』(1968年)
・『マヤの一生』(1970年)赤い鳥文学賞
・『モモちゃんとあかね』(1970年)赤い鳥文学賞
・『ネズミ島物語』(1973年)
・『けむり仙人』(1974年)