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 今日は、昭和時代後期の1986年(昭和61)に、将棋棋士・14世名人木村義雄の亡くなった日です。
 木村義雄(きむら よしお)は、明治時代後期の1905年(明治38)2月21日に、東京市本所区(現在の東京都墨田区)において、下駄屋の職人の子として生まれました。
 幼い頃から将棋が強く、1916年(大正5)に13世名人関根金次郎に入門しますが、翌年には関根の紹介で柳沢保恵伯爵邸に書生として住み込み、慶應普通科に入学して学びつつ、将棋に励みます。
 1920年(大正9)に四段、1921年(大正10)に五段、1924年(大正13)に六段、1925年(大正14)に七段、1926年(大正15)に八段と抜群の成績で次々と昇段しました。1928年(昭和3)には、誠文堂より大日本百科全集の一つとして『将棋大観』を刊行しています。
 関根の世襲名人位返上に伴う実力名人戦により、1937年(昭和12)に第1期名人となり、1947年(昭和22)に塚田正夫に敗れるまで5期にわたって名人位を保持、10年間無敵名人として木村時代を築さました。
 その後、再び第8~10期名人となりなりましたが、1952年(昭和27)に大山康晴に敗れて、現役を引退し、14世名人位を襲位します。この間、1,300局以上の公式対局を行い、8割以上の勝率を残しました。
 一方で、将棋大成会、日本将棋連盟各会長を歴任して棋界の発展に尽くし、戦後には、順位戦制度を提唱しています。
 門下として、板谷四郎、花村元司両九段、北楯修哉八段らを育てましたが、1986年(昭和61)11月17日に、東京において、81歳で亡くなりました。

〇木村義雄の主要な著作

・『将棋大観』誠文堂(1928年)
・『予の将棋決戦録』大森書房(1929年)
・『私の三十五年』新潮社(1939年)
・『私の将棋』誠文堂新光社(1949年)
・『勝負の世界』六興出版社(1951年)
・『将棋一代』世界社(1952年)
・『木村義雄実戦集』大修館書店(1979年~82年)