イメージ 1

 今日は、江戸時代中期の1708年(宝永5)に、数学者・和算の祖関孝和の亡くなった日ですが、新暦では12月5日となります。
 関孝和(せき たかかず)は、1642年(寛永19)頃に、江戸城の天主番(150石)だった父・内山永明の次男(母は湯浅与右衛門の娘)として生まれましたが、通称は新助、字は子豹(しひょう)と言いました。
 若くして関家の養子となり、甲府の徳川綱重とその子綱豊に仕えます。甲府藩における国絵図の作成に関わり、また授時暦を深く研究しました。
 その中で、独学で数学を習得したとされ、1674年(延宝2)『発微算法(はつびさんぽう)』を刊行しましたが、初めて筆算による代数(点竄術)を創始して、和算を高等数学として高める基礎を作ります。
 また、暦の作成の過程で、円周率を求める必要があったので、1681年(天和元)頃に角数の多い正多角形を使って、小数第11位まで算出しました。1683年(天和3)には、『解伏題之法』で交式斜乗の法と称して、世界に先駆けて行列式を作ったとされています。
 1704年(宝永元)に、綱豊が江戸幕府第6代将軍家宣となって、江戸城に入ると共に、幕府直属の武士となり、西の丸御納戸組頭250俵10人扶持(のち300俵)となりました。1706年(宝永3)に病のため職を辞し、1708年(宝永5年10月24日)に、江戸において亡くなります。
 死後、弟子の荒木村英が遺稿を整理して、1712年(正徳2)『括要算法』4巻を刊行しましたが、不定方程式、正多角形の辺と対角線の関係式、級数の和、ベルヌーイ数、近似分数、外挿法、円および球の求積などが書かれていました。
 その後、弟子や系列に連なる和算家たちが「関流」と称するようになります。

〇関孝和の主要な著書

・『発微算法』(1674年)
・『授時発明』(1680年)
・『授時暦経立成之法』(1681年)
・『解伏題之法』(1683年)
・『関訂書』(1686年)
・『括要算法』4巻(1712年)
・『天文数学雑著』