日比谷公会堂(ひびやこうかいどう)は、東京都千代田区の日比谷公園の中にある公共の施設(多目的ホール)で、音楽会や講演会、演説会などに利用されてきました。
安田財閥を創立した安田善次郎の350万円の寄附により、1929年(昭和4)に東京市政会館に付設して竣工し、同年10月19日に開場します。鉄筋コンクリート造4階建て、面積6,032屐定員2,074名で、建設当時は東洋一の規模とされました。
太平洋戦争前はもとより、戦後もしばらくは数少ない公演ホールとして、当時を代表するような、交響楽団の定期演奏会、その他のコンサート、講演会、演説会などが数々催されます。1954年(昭和29)に、初来日したカラヤンがNHK交響楽団を指揮、1957年(昭和32)に2度目の来日をしたカラヤンが初来日のベルリン・フィルを指揮、1960年(昭和35)には、自民、社会、民社の3党首立会演説会において、右翼少年による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の舞台ともなりました。
その後、都内各所に新しい音響効果の優れた多目的ホールができて、コンサートホールとしての地位は低下して行きます。
尚、施設の老朽化により、2016年(平成28)4月より、耐震強化工事等のため長期休館となりました。
〇公会堂とは?
公衆のための集会を行うに適した施設のことです。日本では、大正デモクラシーの時期に、演説会、講演会、雄弁会等を天候に関わらず開催できて、営利性と無関係な施設が求められるようになりました。その中で、地方自治体や地区住民自治組織で設けられた施設が「公会堂」とされます。
そして、函館区公会堂(1910年)、京都市岡崎公会堂(1916年)、大阪市中央公会堂[通称:中之島公会堂](1919年)、別府市公会堂(1924年)、東京市墨田公会堂(1926年)などが建設されていきました。
当初は、講演や式典を行う場でしたが、太平洋戦争後になってからは、芸術公演なども行なわれるようになり、全国各地で建設されていきます。
しかし、時代と共に、展示室・図書室・映写設備なども備えた複合施設が増えていき、名称も市民会館、文化会館、コミュニティ・センターなどへと変化していきました。
☆戦前に出来て現存する主要な公会堂
・函館区公会堂(1910年9月20日)→現存・国指定重要文化財
・京都市岡崎公会堂(1916年6月)→現在は京都市美術館別館
・大阪市中央公会堂[通称:中之島公会堂](1919年10月31日)→現存・国指定重要文化財
・別府市公会堂(1924年)→現在は別府市中央公民館
・岩手県公会堂(1927年)→現存・国の登録有形文化財
・東京市日比谷(ひびや)公会堂(1929年10月19日)→現存
・名古屋市公会堂(1930年10月10日)→現存・名古屋市都市景観重要建築物
・豊橋市公会堂(1931年8月)→現存・国の登録有形文化財
・琴平町公会堂(1932年)→現存・国の登録有形文化財
・御影公会堂(1933年)→現存・国の登録有形文化財
・大津公会堂(1934年5月)→現存