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 今日は、昭和時代中期の1946年(昭和21)に、洋画家・版画家・美術教育家山本鼎の亡くなった日です。
 山本鼎(やまもと かなえ)は、明治時代前期の1882年(明治15年)10月14日に、愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市)で生まれました。一家で上京し、浜松町の木版工房で、桜井暁雲の内弟子となります。
 1902年(明治35)に、東京美術学校西洋画科選科予科に入学し、謝野鉄幹主宰の雑誌『明星』に刀画「漁夫」を発表しました。
 1906年(明治39)に、東京美術学校西洋画撰科を卒業し、翌年石井柏亭らと美術雑誌『方寸』を創刊して、創作版画運動を起こします。1908年(明治41)に『方寸』を母体として、発起人の一人として、北原白秋、木下杢太郎らと「パンの会」を発足させました。
 1912~16年に滞仏し、帰路の途中でモスクワに半年滞在し、ロシア農民美術に啓発されたのち帰国、再興院展に出品して認められます。
 1918年(大正7)には、戸張孤雁らと日本創作版画協会を結成し、創作版画の発展に尽力しました。翌年には長野県小県郡神川村小学校で児童の自由画教育運動を起し、また同村に農民美術練習所を開講します。
 1922年(大正11)に春陽会の創立に参加、翌年長野県大屋に日本農民美術研究所を建設し、農家の副業としての農民美術の育成に努めました。
 農民美術の事業などで莫大な負債をかかえて困窮し、晩年は脳溢血で倒れ、療養生活を送っていましたが、1946年(昭和21)10月8日に、長野県上田市において、65歳で亡くなります。
 その功績をたたえて、1962年(昭和37)に、「上田市山本鼎記念館」が開設されました。

〇山本鼎の主要な作品

<絵画>
・油絵『サーニャ』(1916年)

<版画>
・木版画『漁夫』(1904年)
・木版画『支那の女』(1912年)
・木版画『デッキの一隅』(1912年)
・木版画『野鶏(ヤーチー)』(1912年)
・木版画『ブルターニュの小湾』(1912年)
・木版画『サンマルタンの冬』(1913年)
・木版画『ブルトンヌ』(1920年)

<著書>
・『油絵の描き方』
・『自由画教育』
・『図画と手工の話』