道元(どうげん)は、1200年(正治2年1月2日)に、宇治木幡(京都)の松殿山荘において、父・源通親(一説に源通具)と母・藤原基房の娘の子として生まれましたが、幼名は信子丸、諱は希玄といいました。
3歳にして父を8歳にして母を失い、13歳のときに、外叔父の良観を頼って比叡山を訪ねます。1213年(建保元)に天台座主公円について出家し、仏法房道元と名のり、翌年に建仁寺の栄西に入門、高弟明全について修学しました。
1223年(貞応2)に、明全とともに入宋し、天童山で如浄の印可を受け、1227年(安貞元)28歳のときに、同行した明全の遺骨を抱いて帰国します。
建仁寺などに仮寓し、1230年(寛喜2)頃に『正法眼蔵』を書き始め、34歳で京都・深草に興聖宝林禅寺を開いて、説法と執筆にいそしみました。
貴族・権勢に近づくことを避け、1244年(寛元2)に越前に大仏寺をおこして開堂し、2年後に大仏寺を永平寺と改め、曹洞宗を開きました。
のちに京都、鎌倉などを往還し、禅の普及に努めましたが、1253年(建長5年8月28日)に、京都において、数え年54歳で亡くなっています。
〇道元の主要な著作
・『正法眼蔵』
・『普勧坐禅儀』
・『永平廣録』
・『永平清規(しんぎ)』
・『学道用心集』