これは、1936年(昭和11)11月25日ベルリンで締結された「日独防共協定」による同盟強化に伴い、ヒトラー・ユーゲント(ドイツ・ナチス党の青少年組織)指導者フォン・シーラッハより、日本の青少年団を招待し、交流後、今度は一緒に日本に向かうという提案がなされました。協議の結果、まずは日本側から30名をドイツに派遣し、その後、ヒトラー・ユーゲントが来日することで決定します。
それによって、大日本連合青年団、大日本少年団連盟、帝国少年団協会などの中から、19歳から25歳までの学生、青少年団体職員、若手公務員等による「大日本青少年独逸派遣団」が選抜されました。
訪独に先立ち明治神宮で禊祓し、1938年(昭和13)5月25日に東京駅における歓送式後出発し、27日に神戸港からドイツへ向かう客船靖国丸で離日します。マルセイユからパリを経由して、1ヶ月以上かかって、7月2日にドイツ国境の街アーヘンに到着し、歓迎を受けながらベルリンに至りました。
7月10日には青少年団の宿舎にヒットラーユーゲントが訪問し、7月12日には、日本へ向かうヒトラーユーゲント訪日団をブレーメンで見送ります。
その後、ハンブルグへ移動して港湾クルーズ、バルト海に面するプレローに滞在、東に移動してポーランドとの国境を見学しました。そして、シレジアの温泉街を訪問、8月には真新しい制服が完成し、その制服でワイマール駅を行進、その後同地で国民祭を見学、ヒトラーユーゲントのグライダー訓練所の見学などいろいろとドイツ国内を巡って、交流を深めています。
9月10日にはニュルンベルクのナチ党大会に列席し、ヘス副総統らを引き連れたヒトラー総統と会見し、握手を交わしました。
9月25日に、デュッセルドルフ駅で送別を受けて、フランスへと向かい、パリを経由してカレーへ行き、ドーバー海峡を渡ってイギリスを訪れます。それから、フランスに戻ってパリ観光、スイスへ行ってローザンヌ観光、イタリアへ行ってローマ観光しました。
そして、ナポリで日本郵船の諏訪丸に乗船して帰国の途につき、11月12日に神戸港に上陸して、半年ぶりに戻ってきたのです。
一方、ヒトラーユーゲントの訪日団の方は、7月12日、「大日本青少年独逸派遣団」の見送りを受けてブレーメンを出港し、1ヶ月以上かかって、8月16日に横浜港へ入港しました。
団員は30名のほとんどが17歳~19歳で、横浜港では、数千の歓迎陣が出迎えました。その後、東京駅に移動して日独大使や東京府知事らが出迎えるなか歓迎式典が行われています。
一行は近衛文麿首相をはじめ文部・外務・陸軍・海軍の各大臣と接見したほか、富士登山(8月20~21日)や全国青少年団連合歓迎大会(於:神宮外苑、9月28日)への出席など各種行事に参加しました。
また、8月28日~9月12日までは、東北・北海道地方、10月2日~11月12日までは東海・近畿・中国・九州地方を視察旅行し、各地で歓迎を受けています。
尚、朝日新聞社の依頼により、北原白秋作詞、高階哲夫作曲、藤原義江歌唱による歓迎歌『萬歳ヒットラー・ユウゲント:獨逸青少年團歡迎の歌』が作られ、1938年(昭和13)10月には日本ビクターからレコードが販売されるなどしました。
このように、日本国民を挙げての大歓迎を受け、ナチス・ドイツとの親交に大きく寄与したとされていますが、11月12日に89日間にわたる滞在を終えて、神戸港から帰国の途についています。