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 今日は、昭和時代後期の1981年(昭和56)に、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家吉野源三郎が亡くなった日です。
 吉野源三郎(よしの げんざぶろう)は、明治時代後期の1899年(明治32)4月9日に、東京で生まれましたが、父は株式取引所仲買人でした。
 1917年(大正6)に、東京高等師範学校附属中学校(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業し、翌年、旧制第一高等学校に入学します。1922年(大正11)に同校を卒業後、東京帝国大学経済学部に入学し、途中で文学部哲学科に転部しました。
 卒業後は陸軍に入り、除隊後の1927年(昭和2)から、東京大学図書館に勤めます。この頃から、政治活動にかかわるようになり、1931年(昭和6)には治安維持法事件で逮捕されました。
 その後三省堂に入り、『大百科英和辞典』の編纂に従事、1935年(昭和10)に山本有三の薦めで新潮社の『日本少国民文庫』の編集主任となり、1937年(昭和12)には明治大学講師にも就任します。同年に『君たちはどう生きるか』を少年少女向けに執筆し、高い評価を得て、岩波書店に入社しました。
 1938年(昭和13)に、岩波新書の創刊に関わり、翌年には、明治大学教授に就任しています。
 太平洋戦争後は、1946年(昭和21)に創刊された総合雑誌『世界』の初代編集長として,講和問題、憲法問題などの世論形成に大きな役割を果たし、戦後の進歩的社会派論壇をリードしました。また、1955年(昭和30)に設立された日本ジャーナリスト会議の初代議長となり、1959年(昭和34年)には『エイブ・リンカーン』(岩波少年文庫)で、第6回産経児童出版文化賞を受賞するなどしています。
 岩波書店全体の編集責任者として、1965年(昭和40)まで勤めたのち役職を辞任しましたが、1975年(昭和50)に広島で開かれた“被爆30年広島国際フォーラム”の世話人を務めるなど、平和運動に終始尽力しました。しかし、1981年(昭和56)5月23日、肺気腫症のため、82歳で亡くなっています。

〇吉野源三郎の主要な著書

・『君たちはどう生きるか』(1937年)
・『人間の尊さを守ろう』(1948年)
・『人類の進歩につくした人』 新潮社〈日本少国民文庫〉(1949年)
・『危機はここまで来ている』(1954年)
・『エイブ・リンカーン』 岩波少年文庫 (1958年)
・『同時代のこと ヴェトナム戦争を忘れるな』 岩波新書(1974年)
・『ジュニア版吉野源三郎全集』(全3巻 ポプラ社)