この同盟は、東北地方(25藩)の諸藩が、仙台藩(後に輪王寺宮・北白川宮能久親王)を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された軍事同盟ですが、5月6日には、越後(6藩)が加わって「奥羽越列藩同盟」へと発展しました。
1868年(慶応41)1月の鳥羽・伏見の戦いの後、新政府は、会津藩主松平容保を徳川慶喜に次ぐ朝敵とし、奥羽鎮撫総督に沢為量(のち九条道孝)を任命し,会津処分を決定します。これに対し、米沢藩、仙台藩を中心とする東北諸藩は、閏4月11日、盛岡、二本松など14藩の重臣を仙台藩白石城に集め、総督府に列藩連署の嘆願書を提出しました。
しかし、総督府はこれを拒否して即刻出兵を命令し、それに伴って、閏4月20日に処分強硬派の新政府軍参謀世良修蔵暗殺事件が起きます。そこで、5月3日に東北26藩の重臣は仙台に集まり、会津征討中止の建白書を作成し、白石盟約書に署名して「奥羽列藩同盟」が成ったのです。
5月6日には、越後(6藩)が加わって「奥羽越列藩同盟」へと発展し、これに、江戸などから落ち延びてきた旧幕府勢力が加わって、薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と対峙し、戦闘が続く(戊辰戦争)ことになりました。
〇戊辰戦争とは?
幕末明治維新期の1868年(慶応4/明治元)から1869年( 明治2)にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った内戦で、鳥羽伏見の戦いから始まり、各地で戦乱が起きましたが、越後と東北、北海道で激戦となりました。名称は、慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来しています。これにより、明治政府が国内を掌握し、明治維新の改革が進められることになります。
☆戊辰戦争関係年表(日付は旧暦です)
<1868年(慶応4/明治元)>
・1月3日 「鳥羽伏見の戦い」で「戊辰戦争」が始まる
・1月6日 徳川慶喜が大坂城を脱出し、海路で江戸へ逃れる
・2月12日 徳川慶喜は、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す
・3月14日 西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、江戸での戦闘が回避される
・4月11日 江戸城が無血開城される
・閏4月11日 奥羽14藩の重臣を仙台藩白石城に集め、総督府に列藩連署の嘆願書を提出
・閏4月20日 処分強硬派の新政府軍参謀世良修蔵暗殺事件が起きる
・5月3日 奥羽25藩が「奥羽列藩同盟」を結成する
・5月6日 長岡藩など北越6藩が新たに加わり「奥羽越列藩同盟」となる
・5月15日 上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で破る(上野戦争)
・7月14日 白河口の戦いで、新政府軍が勝利する
・7月29日 奥州の二本松城、越後の長岡城が陥落する
・8月23日 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻し、会津側は若松城で籠城戦を開始する
・9月8日 明治に改元される
・9月9日 米沢藩が新政府軍に寝返える
・9月10日 仙台藩が降伏する
・9月22日 会津藩が降伏し、「会津戦争」が終わる
・10月26日 榎本武揚軍が箱館を占領する
・11月15日 暴風雨のため榎本武揚軍の旗艦開陽丸が沈没する
<1869年(明治2)>
・3月9日 箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発する
・5月11日 箱館総攻撃が始まる
・5月18日 五稜郭が陥落し、旧幕府軍が降伏して「箱館戦争」が終結し、「戊辰戦争」が終わる