西田幾多郎は、加賀国河北郡森村(現在のかほく市)の豪農であった父・西田得登、母・寅三(とさ)の長男として生まれました。
第四高等中学校(後の第四高等学校)へ入学しましたが、1890年(明治23)に中途退学、その後、東京帝国大学文科大学哲学選科に学び、1894年(明治27)に修了します。
1895年(明治28)に石川県能登尋常中学校七尾分校教諭となり、翌年には、第四高等学校講師に就任しましたが、この頃から参禅に通うようになりました。そして、山口高等学校講師を経て、1899年(明治32)に第四高等学校教授となったものの、校長との反目が続き、1909年(明治42) に退職します。
学習院、日本大学、豊山大学などの講師を経て、1910年(明治43)に京都帝国大学文科大学助教授になりました。その中で、哲学研究に打ち込み、翌年に代表的著作『善の研究』を刊行して、独自の哲学を打ち立てます。
1913年(大正2)京都帝国大学文科大学教授となり、同年に、文学博士となります。翌年より『自覚に於(お)ける直観と反省』なる論文を続けて発表して、哲学の探求を続け、1927年(昭和2)には帝国学士院会員となりました。
翌年、京都帝国大学を停年退職し、1933年(昭和8)に慶應義塾大学文学部講師、1940年(昭和15)に文化勲章を受章します。
しかし、1945年(昭和20年)6月7日に、神奈川県鎌倉市において、75歳で亡くなりました。その功績としては、東洋思想の絶対無を根底に置いて、それを理論化して西洋哲学と融合する「西田哲学」を樹立したことで知られています。
尚、2002年(平成14)生誕地に、「石川県西田幾多郎記念哲学館」が開設されました。
〇西田幾多郎の主要な著作
・『善の研究』(1911年)
・『場所的論理と宗教的世界観』
・『働くものから見るものへ』
・『自覚に於(お)ける直観と反省』(1917年)
・『哲学の根本問題』
・『芸術と道徳』
・『思索と体験』
・『一般者の自覚的体系』(1930年)
・『無の自覚的限定』(1932年)