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 今日は、奈良時代の723年(養老7)に、開墾地の3代までの私有を認める「三世一身法」が発布された日ですが、新暦では5月25日となります。
 これは、律令制の下で、班田収授法に関わって、出された田地開墾の奨励法です。口分田不足が生じてきている中で、自力で池溝(灌漑施設)を造って田地を開墾した者に三世の間、また古くからの池溝(灌漑施設)を利用して田地を開墾した者は、その身一代の間はその墾田の占有を許したものでした。
 しかし、収公の期限が近づくと耕作の意欲が低下し、それによって荒廃する田地もでてきます。そこで、743年(天平15)に「墾田永年私財法」を定め、墾田はいつまでも私財として収公しないことになり、荘園を発生させ、徐々に班田収授法が崩れていくことになりました。

〇三世一身法 (全文) 723年(養老7年4月17日)

養老七年四月辛亥
太政官奏。頃者。百姓漸多。田池窄狭。望請。勧課天下。開闢田疇。其有新造溝池。営開墾者。不限多少。給伝三世。若逐旧溝池。給其一身。奏可之。

                        『続日本紀』より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

<読み下し文>

養老七年四月辛亥
太政官奏すらく[1]、『頃者百姓漸く多く、田池搾狭[2]なり。望み請ふらくは、天下に勧め課せて、田疇[3]を開闢かしめむ[4]。其れ新たに溝池[5]を造り、開墾を営む者あらば、多少に限らず、給して、三世[6]に伝へしめむ。若し旧き溝池を逐はば[7]、其の一身に給せむ』と。奏してこれを可そす。

【注釈】
[1]太政官奏すらく:だじょうかんそうすらく=太政官の合議を奏上して天皇の裁可を求めること。
[2]窄狭:さくきょう=せまいこと。
[3]田疇:でんちゅう=田地。
[4]開闢かしめむ:ひらかしめむ=開墾させたい。
[5]溝池:こうち=用水路やため池などの灌漑施設。
[6]三世:さんぜ=三代目のこと。
[7]旧き溝池を逐はば:ふるきこうちをおはば=既設の灌漑施設を利用したならば。

<現代語訳> 三世一身法

養老七年四月辛亥(十七日)
太政官から次のように元正天皇に奏上された。「近頃,人口がしだいに増え、班給する田や池が不足しています。よって、天下の人民に田地の開墾を奨励したいと思います。その場合、新しく灌漑用の溝や池を造って開墾をした者があれば、その面積の多少にかかわらず、三代の間の所有を認めたいと思います。もし、既設の灌漑用の溝や池を利用して開墾した者については、本人一代に限って所有を認めたいと思います。」この上奏は許可された。