1939年(昭和14)4月5日に公布された「映画法」が、同年10月1日に施行され、それに基づく登録制度(日本の映画の各パートに働く者は政府に登録しなければ従事できなくなる制度)が、翌年4月1日から開始されるのに先立って実施されました。
この日、内務省警保局は、映画、芸能、レコード会社代表を招いて、山崎巌警保局長から、芸能人の芸名で、敵性語に相当するもの、ふざけたもの、皇室や英雄等の尊厳を傷つけるようなものを改名するように厳達したのです。
このような芸名は、皇室や神社の尊厳を汚す惧れがあったり、外国人崇拝を促進し、社会不安を与え、国民の生活向上にも、時局柄にもふさわしくないとされました。
日中戦争が泥沼化し、翌年の太平洋戦争の開戦へ向かおうとしている時期のことです。
〇3月28日に改名を命ぜられたもの(16人)
・ミス・コロムビア(日蓄の歌手)→松原操
・サワ・サツカ(日蓄の歌手)→佐塚佐和子
・デイツク・ミネ(帝蓄の歌手)→三根 耕一
・ミス・ワカナ(新興演芸の漫才師)→玉松ワカナ
・平和ラツパ(新興演芸の漫才師)
・藤原釜足(東宝の映画俳優)→藤原鶏太 ※敵性語ではないが、「藤原鎌足を冒涜している」とされた
・尼リリス(日活の映画俳優)
・熱田みや子(日活の映画俳優) ※敵性語ではないが、恐れ多い言葉とされた
・南里コンパル(松竹の映画俳優)
・エミ・石河(松竹の映画俳優)
・御剣敬子(宝塚歌劇団17期生)→御鶴敬子 ※敵性語ではないが、恐れ多い言葉とされた
・園御幸(宝塚歌劇団22期生)→園みどり ※敵性語ではないが、恐れ多い言葉とされた
・椎乃宮匂子(宝塚歌劇団26期生)→稚之花匂子 ※敵性語ではないが、恐れ多い言葉とされた
・エデ・カンタ(フリー・ランサー)
・吉野みゆき(フリー・ランサー) ※敵性語ではないが、恐れ多い言葉とされた
・星ヘルタ(フリー・ランサー)
〇上記以外にその後改名されたものの例
<敵性語に相当するもの>
・リーガル千太・万吉 (漫才師)→柳家千太・万吉
・香島ラッキー・ヤシロセブン(漫才師)→香島楽貴・矢代世文
・ヴィクトル・スタルヒン(野球選手)→須田博
・朝吹英一とカルア (ハワイアン)→南海楽友
・モアナ・グリークラブ (ハワイアン)→灰田兄弟と岡の楽団(南の楽団)
・大橋節夫とハワイアイランダース (ハワイアン)→南映楽団
・笈田敏夫とノヴェルティ・ハワイアンズ (ハワイアン)→新緑楽団
・バッキー白片(ハワイアン)→白片力
・ビクター合唱団(合唱団)→勝鬨(かちどき)合唱団
・コロンビア合唱団(合唱団)→日畜合唱団
・シンフォニック・コーラス(合唱団)→交響合唱団
・ヴォーカル・フォア(合唱団)→日本合唱団
・コンセル・ポピュレール(オーケストラ)→青年日本交響楽団
<ふざけた芸名・恐れ多い芸名とされたもの>
・あきれたぼういず→新興快速舞隊 ※敵性語ではないが、ふざけた芸名とされた
・秋スケ (漫才師)→徳山英助・美助 ※敵性語ではないが、ふざけた芸名とされた
・三笠静子(歌手・女優)→笠置シヅ子 ※皇室の三笠宮と同じ名字を遠慮するようにと
〇敵性語とは?
敵国の言葉のことですが、日中戦争~太平洋戦争中の日本では、英語が敵性語とみなされました。
英語は、「軽佻浮薄」(気分が浮ついていて、行動が軽々しいという意味)であるとして、排斥が進み、特に法的に規制された事実はありませんが、1940年(昭和15)3月28日に内務省が16人の芸人に芸名の改名を命令したり、9月頃から鉄道省によって駅構内の英語表記が撤廃され始めたり、10月31日に大蔵省専売局がタバコの改名を発表するなどして、英語名を使わない風潮が醸成されていきます。
1941年(昭和16)12月の太平洋戦争突入後はその運動はより顕著なものとなり、「マスゴミ」や「大政翼賛会」などにより、自主的な規制運動も進みます。1943年(昭和18)2月には、英語の雑誌名が禁止されて改名されたり、同年に大日本体育会により英名スポーツの名称を和名に改称、3月2日に職業野球の理事会で英米語をやめ、野球用語も全面日本語化することを決定して拍車がかかりました。
しかし、太平洋戦争後は、英語名が復活したものも多数あります。