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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、「食糧管理法」が公布(7月1日施行)された日で、「食糧管理法公布記念日」とも呼ばれていました。
 この法律は、太平洋戦争中に東條内閣によって制定されたもので、食糧の生産、流通、消費の全過程にわたって国家が介入し、一元的また統一的に管理するもので、7月1日に施行され、食糧管理制度(食管制度)の元とななります。
 目的は、戦時下で不足する食糧の需給と価格の安定でしたが、その配給量を確保するために、生産者から自家保有分を除いたいっさいの主要食糧を強制的に買い上げるものでした。米と小麦・大麦・裸麦に加え、雑穀・イモ類・デンプン・米穀粉や小麦粉およびその加工品(パン類・めん類・もち・米飯等)が主要食糧と定められ、国家の強力な統制下に置かれます。
 この統制に対するいっさいの違反は、生産者から消費者に至るまで刑事罰の対象とされて、厳しく罰せられました。戦後の食糧不足が深刻化した時には、生きるためにやむなく農村へ買い出しに行く人々が取り締まりの対象となり、せっかく確保した食糧も押収されたりしたのです。
 その後、食糧不足の緩和に伴い、1950年(昭和25)にいも類、翌年に雑穀が食管制度の対象から外され、麦も1952年(昭和27)から間接統制になり、米だけが直接統制のまま残されました。
 しかし、コメの生産量も増加し、食生活も洋食や麺類等への多様化が進み、米余り現象が現れるようになり、政府米の収支の逆ザヤ問題や自主流通米以外のいわゆるヤミ米問題が発生するようになります。
 そして、海外からの『米市場開放問題』なども起きて、1995年(平成7)に、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(通称、食糧法)」の施行に伴い廃止されました。

〇食糧管理制度の歴史

・1942年(昭和17)「食糧管理法」が公布・施行される
・1947年(昭和22)初の「食糧管理法」改正により対象となる食糧に馬鈴薯・甘藷・雑穀が加えられる
・1949年(昭和24)3度目の「食糧管理法」改正により、食糧配給に関しても農林大臣の配給計画のもとで進められることとなる
・1950年(昭和25)4度目の「食糧管理法」改正により、いも類食管制度の対象から外される
・1951年(昭和26)5度目の「食糧管理法」改正により、雑穀が食管制度の対象から外される
・1952年(昭和27)麦も間接統制になる
・1954年(昭和29)米の供出制が終わり、以後予約売渡制となるになった。
・1960年(昭和35)生産者米価決定方式に、生産費・所得補償方式が導入される
・1967年(昭和42)これ以降は過剰米(コメ余り)が出始める
・1969年(昭和44)自主流通米制度が始まる
・1970年(昭和45)米の生産調整が行われるようになる
・1972年(昭和47)消費者米価が物価統制令の適用から除外される
・1981年(昭和56)「食糧管理法」が大幅改正され、実態が追認される
・1994年(平成6)「食糧管理法」が廃止され、「食糧法」にかわる