イメージ 1

 今日は、昭和時代後期の1986年(昭和61)に、山陰本線余部鉄橋で列車転落事故が起きた日です。
 これは、12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送列車が余部鉄橋を通過中に、日本海からの最大風速33m/sの突風にあおられて、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落した事故でした。
 これによって、橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し、工場が全壊、民家が半壊し、車掌1名と水産加工工場女性従業員5名が死亡し、 6名の負傷者が出たのです。
 列車指令員が、運転停止とすべき状況を知らされているにもかかわらず、列車を抑止しなかったことなどが原因でした。
 鉄橋からの転落事故で死傷者が出たのは、1899年(明治32)10月7日の日本鉄道(現在の東北本線)矢板駅 - 野崎駅間箒川橋梁転落事故で、20人が死亡、45人が負傷して以来87年ぶりのことと言われています。

〇余部鉄橋とは?
 兵庫県美方郡香美町余部にあった山陰本線の橋梁(鉄橋)でした。鎧(よろい)駅と余部駅の間に位置し、1909年(明治42)に起工、1911年(明治45)1月13日に完成し、同年3月1日に開通したもので、これによって山陰本線が全通します。
 当時のものは、11台のトレッスル式橋脚をもつ特殊な構造で、全長309m、高さ41.5m、「東洋一の規模」とうたわれ、1928年(昭和3)に高森線(現在の南阿蘇鉄道)第一白川橋梁完成までは、日本で一番高い鉄道橋梁でした。
 1986年(昭和61)の列車転落事故後、列車の走行を制限する風速規制が強化されたことによって列車の運休が相次いだため、2010年(平成22)に、風の影響を受けにくいコンクリート橋への架け替え工事が行われ、旧橋は解体されます。
 しかし、その西側の橋脚部分の一部を活用し、鉄橋展望台として余部鉄橋「空の駅」が、2013年(平成25)にオープンし、先端からは往時の線路や枕木を残した軌道が眺めることができるようになりました。
 尚、2014年(平成26)に、旧余部鉄橋は、「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。