海上保安庁が、1949年(昭和24)に制定し、記念行事が行われます。普段は、公開されていない、灯台が、特別公開になり、内部に入れたりします。
この観音埼灯台は、幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ「改税約書」(別名「江戸条約」)によって建設することを約束した8ヶ所の灯台の一つです。
これらを条約灯台とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。これらが順次建設されていったのですが、 1869年2月11日<旧暦では明治2年1月1日>に、フランス人技師F.L ヴェルニー等の設計によって建設され、日本で最初に初点灯した洋式灯台が観音埼灯台なのです。
このように、観音崎は東京湾に出入りする船舶に とっては、昔からの要衝だったのです。建設当初は、レンガ造りの四角い洋館建てで、 屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形のレンガ造灯台でした。地上から灯火までが12.12mの高さで、フランス製の第3等フレネル式レンズを使用し、3重心灯器で1,750カンデラ、光達距離14海里(約26km)だったそうです。
しかしながら、1922年(大正11)4月26日の地震で倒壊してしまいました。すぐに、二代目の灯台が建設され、翌年コンクリート造りのものに生まれ変わったものの、関東大震災で被災し、また建て替えられたものなのです。
現在の三代目は、1925年(大正14)6月1日に完成した白色塔形(八角形)コンクリート造りのものです。
〇「改税約書」(別名「江戸条約」)とは?
1863年(文久3)長州藩がアメリカ、フランス、オランダの船を砲撃した下関事件に関連して、幕末の1866年(慶応2年5月13日)に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税約書」が結ばれましたが、それが「江戸条約」とも呼ばれています。
これは、輸入税に関する協約で、安政条約の5~35%の従価税を廃止し、従価5%を基準とする従量税とするもので、きわめて不利な関税率でした。
その条約第11条「日本政府は外国交易の為め開きたる各港最寄船々の出入安全のため灯明台浮木瀬印木等を備ふへし」(灯明台規定)により、8ヶ所の灯台(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、剱埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)を建設することを約束したのです。
この8ヶ所の灯台を「条約灯台」とも呼び、日本で最初に建設された一群の洋式灯台でもあります。
これらが順次建設されていったのですが、 1869年2月11日<旧暦では明治2年1月1日>に、日本で最初に点灯した洋式灯台が観音埼灯台です。