尾崎紅葉は、明治時代に活躍した小説家、俳人で、本名は、尾崎徳太郎といい、1868年(慶応3)に江戸芝中門前町(現在の東京都港区)で生まれました。
府立第二中学校(現在の都立日比谷高校)卒業後、大学予備門(現在の東京大学教養学部)に入学し、ここで石橋思案、山田美妙らと硯友社を結成、機関誌『我楽多文庫』を創刊したのです。
1888年(明治21)、帝国大学法科大学政治科(現在の東京大学法学部)に入学、翌年に国文科に転科しました。しかし、1889年(明治22)に小説『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、読売新聞社に入社し、作家としてたったので、翌年には退学したのです。
その後、「読売新聞」に『伽羅枕』、『三人妻』などの女性風俗を写実的に描いた長短編を連載し、好評を博しました。そして、心理的写実主義の体得や言文一致体への移行に努力し、『多情多恨』や『金色夜叉』(未完)を連載して、幸田露伴と共に紅露時代を現出することになります。
明治時代の文壇に重きをなし、門下として泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声などを育てましたが、1903年(明治36)10月30日に胃癌のため、37歳で亡くなりました。
〇尾崎紅葉の主要な作品
<小説>
・『二人比丘尼色懺悔』(1889年)
・『初時雨』(昌盛堂 1889年)
・『風流京人形』(好吟会 1889年)
・『此ぬし』(春陽堂 1890年)
・『新桃花扇・巴波川』(吉岡書籍店 1890年)
・『紅鹿子』(春陽堂 1890年)
・『伽羅枕』(1890年)
・『夏小袖』(春陽堂 1892年)
・『二人女房』(1891年 - 1892年)
・『三人妻』(1892年)
・『裸美人』(1892年)
・『心の闇』(1893年)
・『をとこ心』(春陽堂 1894年)
・『恋の病』(春陽堂 1894年)
・『片靨』小栗風葉共著 (春陽堂 1894年)
・『隣の女』(1894年)
・『やまと昭君』(1895年)
・『不言不語』(1895年)
・『多情多恨』(1896年)
・『青葡萄』
・『金色夜叉』(1897年 - 1902年)
<翻訳>
・トルストイ著『名曲クレーツェロワ』(小西増太郎共訳)
・ヴィクトル・ユゴオ著『鐘楼守 ノオトルダム・ド・パリ』(早稲田大学出版部 1903年)