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 今日は、幕末明治維新期の1871年(明治4)に、廃藩置県の詔が出された日です。(新暦では8月29日)
 これは、明治政府が中央集権化を図るために、それまでの全国261の藩を廃止して、地方統治を中央管下の府と県に一元化した政治改革です。
 その時、在東京の知藩事を皇居に集めて、「廃藩置県の詔」によって命じたのですが、その結果3府302県ができたものの、年末までには合併整理されて、3府72県となりました。
 それまでの藩知事はすべて華族に列して、東京に住まわせ、県には政府から別に任命した知事を送ったのです。その後、県の増減がありましたが、1988年(明治21)に3府43県となって固定しました。
 以下に、「廃藩置県の詔」(全文)と現代語訳を掲載しておきます。

〇「廃藩置県の詔」(全文)
朕惟フニ、更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ト対峙セント欲セハ、宜ク名実相副ヒ、政令一ニ帰セシムヘシ。朕曩ニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ、新ニ知藩事を命シ、各其職ヲ奉セシム。然ルニ数百年因襲ノ久キ、或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ。何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ。朕深ク之ヲ慨ス。仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス。是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂無ラシメントス。汝群臣其レ朕意ヲ体セヨ。
                「法令全書」より

<現代語訳>
私(明治天皇)が思うに、この明治維新に際して、内は国民を守り、外では列国と対等に向き合うとすれば、名実ともに政令が一本化し集権化されていなければならない。私はさきに版籍奉還を許可し、新たに知藩事を命じて職務に就かせた。ところが数百年来の封建制の伝統が続き、名のみでその実があがらない者もいる。これではどうして国民を守り、列国と対等に向き合っていけようか。私は深くこれをなげかわしく思うものである。そこで今、さらに藩を廃して県を置く。これはできるだけ無駄を省いて簡素化し、有名無実の弊害を除き、政令が多方面から出る弊害をなくすためである。お前たち臣下の者は、私の真意を諒解してほしい。