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 今日は、1235年(文暦2)に、藤原定家によって「小倉百人一首」が完成されたことにちなむ百人一首の日とされています。
 これは、藤原定家著『明月記』の文暦2年(1235)5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があって、この記載が、「小倉百人一首」の初出ではないかと考えられていることによります。その記述は以下のとおりです。

予本自不知書文字事。嵯峨中院障子色紙形、故予可書由彼入道懇切。雖極見苦事憖染筆送之。古来人歌各一首、自天智天皇以来及家隆雅経。
 
☆「小倉百人一首」とは?
 藤原定家が撰んだと言われる秀歌撰で、鎌倉時代の1235年(文暦2)頃に成立したと考えられています。飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳天皇に至る約550年間に、貴族や僧侶などの歌人たちの間で詠まれた和歌から、百人の有力歌人の歌を一首ずつ選んだもので、すべて勅撰和歌集から集められています。その10の和歌集と選ばれた数を列挙しておきます。
 古今集(24首)、後撰集(7首)、拾遺集(11首)、後拾遺集(14首)、金葉集(5首)、詩花集(5首)、千載集(14首)、新古今集(14首)、新勅撰集(4首)、続後勅撰集(2首)
 京都の小倉山荘で撰ばれたので、この名があり、近世以後、歌ガルタとして広まりました。

〇「小倉百人一首」中の私の好きな歌を8首載せておきます。

・「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを」(藤原実方朝臣)
・「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」(紫式部)
・「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」(小式部内侍)
・「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」(伊勢大輔)
・「朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」(権中納言定頼)
・「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」(能因法師)
・「憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを」(源俊頼朝臣)
・「村雨の 露もまだひぬ 槇の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」(寂蓮法師)