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 今日は、旅の日です。松尾芭蕉が『奥の細道』に旅立った日(旧暦元禄2年3月27日)を新暦に換算すると5月16日になるので、それにちなみ、1988年(昭和63)に日本旅のペンクラブが提唱したものです。
 松尾芭蕉は、江戸時代の俳聖で、1644年(寛永21)に生まれ、伊賀の武士出身といわれ、さび・しおり・細みで示される幽玄閑寂の蕉風俳諧を確立しました。その生涯は日本各地を旅して、名所旧跡を回り、歌枕を巡り、様々な人とまじわっています。それは、『笈の小文』、『更級紀行』、『野ざらし紀行』などの書物に著されていますが、最も有名なのは晩年の『奥の細道』の旅です。そして、最後に西へ向かって旅立ち、大阪の南御堂で門人に囲まれて、1694年(元禄7)に息を引き取ったと伝えられています。まさに旅に生き、旅に死するの境地で、辞世の句も「旅に病んで夢は枯れ野を かけ廻る」というものでした。
 『奥の細道』は、松尾芭蕉が書いた紀行文で、最も代表的なものです。1689年(元禄2)の3月27日(新暦では5月16日)に深川芭蕉庵を愛弟子の河合曾良一人を連れて出立し、東北・北陸地方を回りながら、弟子を訪ね、歌枕を巡って歩いた日数150日、旅程600里に及ぶ大旅行のもので、9月6日(新暦では10月18日)に大垣から伊勢へ旅立つところで、結びになっています。また、近年芭蕉の自筆本が発見されて話題になりました。
 私も、その足跡をたどって何度か旅したことがありますが、各所に句碑が立てられ、史蹟として保存されている所も多く、資料館などもあって、いにしえの芭蕉の旅をしのぶことができます。
 以下に、『奥の細道』の冒頭部分を載せておきますのでご参照ください。

〇『奥の細道』冒頭部分

<冒頭> 
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。よもいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋にくもの古巣をはらひて、やや年も暮、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず。ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
  草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
面八句を庵の柱にかけ置く。

           紀行文『おくの細道』 松尾芭蕉著より