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 今日は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20)の名古屋空襲で名古屋城が焼失した日です。大小天守や本丸御殿など国宝建造物24棟が焼失してしまいました。当時では、姫路城を凌駕するほどの城郭建築群だったので、残っていれば世界遺産になるのは間違いなく、まったく惜しまれてやみません。
 この空襲は、B-29爆撃機440機によるもので、家屋21,905棟が被災、66,585人が罹災し、死者338人、負傷者783人に上りました。
 江戸時代には、100以上の城郭に天守があったとされていますが、幕末明治維新期に多くが失われ、大正時代までには、20になってしまっていました。さらに、太平洋戦争で7つ(水戸城、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城)が失われ、戦後の1949年(昭和24)の火災で松前城天守を焼失し、現存するのは、12天守だけとなっています。
 太平洋戦争では、城郭天守以外にも多くの貴重な文化財を焼失しており、日本の文化を伝える上でも大きな損失でした。このようなことは、二度と繰り返してはならないと思います。