
後小松天皇(ごこまつてんのう)は、京都の押小路殿において、北朝第5代の後円融天皇の第一皇子(母は内大臣三条公忠の女の三条厳子)として生まれましたが、名は幹仁(もとひと)と言いました。1382年(永徳2年)に、乳父日野資教邸で著袴し、父・後円融天皇より譲位を受けて践祚、北朝第6代天皇として即位しましたが、父・後円融上皇による院政が行われます。
1387年(嘉慶元年)に元服し、1392年(明徳3年閏10月5日)には、南北両朝合体の議によって、南朝の後亀山天皇から神器を受け継ぎ、第100代とされる天皇となり、南北朝合一を果たしました。1393年(明徳4年)に父・後円融上皇が亡くなり、親政を開始、1406年(応永13年)には、生母通陽門院(三条厳子)が亡くなっています。
1387年(嘉慶元年)に元服し、1392年(明徳3年閏10月5日)には、南北両朝合体の議によって、南朝の後亀山天皇から神器を受け継ぎ、第100代とされる天皇となり、南北朝合一を果たしました。1393年(明徳4年)に父・後円融上皇が亡くなり、親政を開始、1406年(応永13年)には、生母通陽門院(三条厳子)が亡くなっています。
和歌・連歌を能くし、1407年(応永14年)には、内裏九十番歌合に出詠、琵琶・立花なども愛好しました。1409年(応永15年)に足利義満の北山第に行幸しましたが、その2ヶ月後に義満が亡くなっています。
1412年(応永19年8月29日)に、第一皇子の實仁親王(称光天皇)に譲位し、東洞院殿(一条正親町)を御所として院政を執りました。1428年(正長元年)に称光天皇の死後は、伏見宮貞成親王の子の彦仁を猶子とし、後花園天皇として即位させ、引き続き院政を継続します。
1431年(永享3年)に出家し、法名を素行智としましたが、1433年(永享5年10月20日)に、京都の東洞院御所において、数え年57歳で亡くなり、陵墓はの深草北陵(現在の京都市伏見区深草坊町)とされました。尚、『後小松院御百首』が残され、勅撰入集は『新続古今和歌集』のみ27首となっています。
1412年(応永19年8月29日)に、第一皇子の實仁親王(称光天皇)に譲位し、東洞院殿(一条正親町)を御所として院政を執りました。1428年(正長元年)に称光天皇の死後は、伏見宮貞成親王の子の彦仁を猶子とし、後花園天皇として即位させ、引き続き院政を継続します。
1431年(永享3年)に出家し、法名を素行智としましたが、1433年(永享5年10月20日)に、京都の東洞院御所において、数え年57歳で亡くなり、陵墓はの深草北陵(現在の京都市伏見区深草坊町)とされました。尚、『後小松院御百首』が残され、勅撰入集は『新続古今和歌集』のみ27首となっています。
<後小松天皇の代表的な和歌>
・「あはれなり小田もる庵(いほ)におくかびの煙や民の思なるらむ」(新続古今和歌集)
・「志賀の浦やよせてかへらぬ浪のまに氷うちとけ春は来にけり」(新続古今和歌集)
・「しぐれつつくれてきのふの秋篠やと山の雲のうつりやすさよ」(御百首)
・「又むすぶ契りもしらで消えかへる野上の露のしののめの空」(新続古今和歌集)
・「蘆の芽と見えしかたちをはじめにて国つ社の神のかしこさ」(内裏九十番歌合)
〇後小松天皇関係略年表(日付は旧暦です)
・1377年(永和3年6月27日) 京都の押小路殿において、北朝第5代の後円融天皇の第一皇子(母は内大臣三条公忠の女の三条厳子)として生まれる
・1382年(永徳2年4月7日) 乳父日野資教邸で著袴する
・1382年(永徳2年4月11日) 父・後円融天皇より譲位を受け、践祚する
・1382年(永徳2年12月28日) 北朝第6代天皇として即位するが、父・後円融上皇による院政が行われる
・1387年(嘉慶元年1月3日) 元服する
・1392年(明徳3年閏10月5日) 南北両朝合体の議によって、南朝の後亀山天皇から神器を受け継ぐ(南北朝合一)
・1393年(明徳4年) 父・後円融上皇が亡くなり、親政を開始する
・1406年(応永13年12月) 生母通陽門院(三条厳子)が亡くなる
・1407年(応永14年) 内裏九十番歌合に出詠する
・1409年(応永15年3月) 足利義満の北山第に行幸する
・1409年(応永15年5月) 足利義満が亡くなる
・1412年(応永19年8月29日) 實仁親王(称光天皇)に譲位し、東洞院殿(一条正親町)を御所として院政をとる
・1428年(正長元年) 称光天皇の死後に貞成の子の彦仁を猶子とし、後花園天皇として即位させる
・1431年(永享3年3月24日) 出家し、法名を素行智とする
・1433年(永享5年10月20日) 京都の東洞院御所において、数え年57歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1439年(永享11) | 飛鳥井雅世が『新続古今和歌集』(二十一代集最後)を撰上する(新暦8月6日) | 詳細 |
1582年(天正10) | 織田信長の後継を決めるための清洲会議が開催される(新暦7月16日) | 詳細 |
1850年(嘉永3) | 新聞記者・小説家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の誕生日 | 詳細 |
1900年(明治33) | 高岡明治33年の大火で、死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸の被害を出す | 詳細 |
1909年(明治42) | 「朝日新聞」で夏目漱石著の小説『それから』が連載開始される | 詳細 |
1927年(昭和2) | 満蒙への積極的介入方針と対中国基本政策決定のため、「東方会議」が開始(~7月7日)される | 詳細 |
1936年(昭和11) | 小説家・児童文学者鈴木三重吉の命日 | 詳細 |
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