
米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)は、太平洋戦争中から戦後にかけて、政府が米の消費を統制するため、食糧管理制度の下で、米の配給を受けるために発行されていた通帳でした。1941年(昭和16)に、まず六大都市の各世帯に米穀通帳の交付が開始され、1942年(昭和17)4月1日には、「食糧管理法」によって、全国的に実施されることとなります。
「食糧管理法」第8条ノ3の第1項及び第3項と、「食糧管理法施行令」第4条第1項の規定で定められ、農林水産省により発行され、市町村が職務代行で発給を行っていましたが、紛失しても、基本的に再発行は受けられず、譲渡・貸与・偽造・変造をすると、罰則が存在していました。当時の主食配給量は、1人1日2合3勺(約330g)でしたが、1945年(昭和20)7月11日より、主食の配給が1割減の1日1人2合1勺(約301g)となり、敗戦前後には量も減り、しかも遅配続きとなります。
1946年(昭和21)11月に主食の配給が、1日1人2合5勺(約358g)に、1948年(昭和23)10月15日に1日1人2合7勺(約387g)に、1950年(昭和25)1月10日には、2合8勺(約401g)への増配が決定されました。1951年(昭和26)頃からは、米穀事情も好転し、食糧管理制度も緩められ、1960年(昭和35)頃には、米の配給制度そのものは無くなったものの、食管制度上の規定では、米屋から米を購入するときには必要とされています。
1969年(昭和44)4月1日に、自主流通米制度が発足し、配給も登録業者以外からも受けられるようになり、1972年(昭和47)3月28日には、米穀が物価統制令の除外項目となりました。そして、1981年(昭和56)6月11日の「食糧管理法」改正により、「米穀配給通帳」が廃止が決定され、翌年1月には、米穀通帳制度は廃止されています。
「食糧管理法」第8条ノ3の第1項及び第3項と、「食糧管理法施行令」第4条第1項の規定で定められ、農林水産省により発行され、市町村が職務代行で発給を行っていましたが、紛失しても、基本的に再発行は受けられず、譲渡・貸与・偽造・変造をすると、罰則が存在していました。当時の主食配給量は、1人1日2合3勺(約330g)でしたが、1945年(昭和20)7月11日より、主食の配給が1割減の1日1人2合1勺(約301g)となり、敗戦前後には量も減り、しかも遅配続きとなります。
1946年(昭和21)11月に主食の配給が、1日1人2合5勺(約358g)に、1948年(昭和23)10月15日に1日1人2合7勺(約387g)に、1950年(昭和25)1月10日には、2合8勺(約401g)への増配が決定されました。1951年(昭和26)頃からは、米穀事情も好転し、食糧管理制度も緩められ、1960年(昭和35)頃には、米の配給制度そのものは無くなったものの、食管制度上の規定では、米屋から米を購入するときには必要とされています。
1969年(昭和44)4月1日に、自主流通米制度が発足し、配給も登録業者以外からも受けられるようになり、1972年(昭和47)3月28日には、米穀が物価統制令の除外項目となりました。そして、1981年(昭和56)6月11日の「食糧管理法」改正により、「米穀配給通帳」が廃止が決定され、翌年1月には、米穀通帳制度は廃止されています。
〇米穀配給通帳関係略年表
・1941年(昭和16) まず六大都市の各世帯に米穀通帳の交付が開始される
・1942年(昭和17)4月1日 「食糧管理法」によって、米穀通帳の交付が全国的に実施されることとなる
・1945年(昭和20)7月11日 主食の配給が、1割減の1日1人2合1勺(約301g)となる
・1946年(昭和21)11月 主食の配給が、1日1人2合5勺(約358g)に引き上げられる
・1948年(昭和23)10月15日 主食の配給が、1日1人2合7勺(約387g)への増配が決定される
・1950年(昭和25)1月10日 閣議で主食の配給が、2合8勺(約401g)への増配が決定される
・1960年(昭和35) この頃から、米の配給制度そのものは無くなったものの、食管制度上の規定では、米屋から米を購入するときには必要とされる
・1969年(昭和44)4月1日 自主流通米制度が発足し、配給も登録業者以外からも受けられるようになる
・1972年(昭和47)3月28日 米穀が物価統制令の除外項目となる
・1981年(昭和56)6月11日 「食糧管理法」改正により、「米穀配給通帳」が廃止が決定する
・1982年(昭和57)1月 改正「食糧管理法」の施行により、米穀通帳制度は廃止される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1615年(慶長20) | 武将・大名・茶人・織部流茶道の祖古田重然(織部)が豊臣方内通の罪に問われ自刃する(新暦7月6日) | 詳細 |
1873年(明治6) | 「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)が設立される(国立銀行設立の日) | 詳細 |
1942年(昭和17) | 関門トンネルが開通し、最初の試運転列車が通過する | 詳細 |
1951年(昭和26) | 「産業教育振興法」が公布される | 詳細 |
1969年(昭和44) | 「東京国立近代美術館」(現在の本館)が開館する | 詳細 |
1975年(昭和50) | 考古学者宮坂英弌の命日 | 詳細 |
1979年(昭和54) | フランス文学者・文芸評論家中島健蔵の命日 | 詳細 |
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