
今日は、昭和時代後期の1967年(昭和42)に、生活保護処分に関する朝日訴訟の最高裁大法廷判決が出されて、訴訟が終結した日です。
朝日訴訟(あさひそしょう)は、昭和時代中期の1957年(昭和32)に、重度の結核で国立岡山療養所に長期入院していた朝日茂が、「生活保護法」に基づく保護基準が、「日本国憲法」第25条で規定している「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)を侵害するとして、厚生大臣を訴えた行政訴訟です。その後、1960年(昭和35)10月19日の一審判決では原告朝日茂の全面勝訴となり、大きな社会的関心を呼びました。
これに対し国側が控訴し、1963年(昭和38)11月4日の二審判決は、日用品費月600円はすこぶる低いが違法でないとして厚生大臣の勝訴となります。被控訴人は、不服として上告しましたが、もなく本人が死亡しました。
そこで、養子の健二・君子夫妻が訴訟を承継して争いましたが、1967年(昭和42)5月24日の最高裁判所判決は、「本件訴訟は上告人の死亡によって終了した」として訴訟終了を宣しただけでなく、多数意見傍論は、最低生活をどう定めるかについては厚生大臣に広範な裁量権があるとします。これら一連の訴訟は10年にわたり、「人間裁判」と称され、その後の日本の社会保障制度のあり方にも多大な影響を与えました。
これに対し国側が控訴し、1963年(昭和38)11月4日の二審判決は、日用品費月600円はすこぶる低いが違法でないとして厚生大臣の勝訴となります。被控訴人は、不服として上告しましたが、もなく本人が死亡しました。
そこで、養子の健二・君子夫妻が訴訟を承継して争いましたが、1967年(昭和42)5月24日の最高裁判所判決は、「本件訴訟は上告人の死亡によって終了した」として訴訟終了を宣しただけでなく、多数意見傍論は、最低生活をどう定めるかについては厚生大臣に広範な裁量権があるとします。これら一連の訴訟は10年にわたり、「人間裁判」と称され、その後の日本の社会保障制度のあり方にも多大な影響を与えました。
〇朝日訴訟関係略年表
・1956年(昭和31) 岡山県津山市の福祉事務所は、原告の兄に対し月1,500円の仕送りを命じ、岡山県知事に不服申立てを行ったが却下され、次いで厚生大臣に不服申立てを行うも、厚生大臣もこれを却下する
・1957年(昭和32) 国立岡山療養所に入所していた朝日茂が生活保護処分に関する行政訴訟を起こす
・1960年(昭和35)10月19日 第一審の東京地方裁判所は、日用品費月額を600円に抑えているのは違法であるとし、裁決を取り消す(原告の全面勝訴)
・1963年(昭和38)11月4日 第二審の東京高等裁判所は、日用品費月600円はすこぶる低いが、不足額は70円に過ぎず憲法第25条違反の域には達しないとして、原告の請求を棄却する
・1964年(昭和39)2月14日 上告審の途中で、原告の朝日茂が亡くなるが、子夫妻が訴訟を続ける
・1967年(昭和42)5月24日 最高裁判所は、生活保護を受ける権利は相続できないとし、本人の死亡により訴訟は終了したとの判決を下す
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
950年(天暦4) | 第63代の天皇とされる冷泉天皇の誕生日(新暦6月12日) | 詳細 |
1636年(寛永13) | 武将・仙台藩の藩祖伊達政宗の命日(新暦6月27日) | 詳細 |
1790年(寛政2) | 老中主座・松平定信が昌平坂学問所で、朱子学以外の学問の教授を禁止する(寛政異学の禁) | 詳細 |
1925年(大正14) | 日本労働組合評議会が結成される | 詳細 |
1926年(大正15) | 北海道の十勝岳が大噴火(十勝岳1926年噴火)し、高温の岩屑なだれが発生、大被害を出す | 詳細 |
1956年(昭和31) | 「売春防止法」が公布(施行は1957年4月1日)される | 詳細 |
1971年(昭和46) | 評論家・婦人解放運動家平塚らいてう(平塚雷鳥)の命日 | 詳細 |
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