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 今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、地球物理学者・航空学者・貴族院議員田中舘愛橘が亡くなった日です。
 田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)は、江戸時代後期の1856年(安政3年9月18日)に、陸奥国二戸郡福岡村(現在の岩手県二戸市福岡)において、南部藩士の父・稲蔵(とうぞう)と母・喜勢(きせ・旧姓 小保内)の長男として生まれました。1862年(文久2)の6歳の時、母・喜勢を亡くし、1865年(慶応元)に下斗米軍七の武芸「実用流」に入門、翌年に福岡内に郷学校の令斉場が開校されるとそこで文武を修め、また、私学校の会輔社で学びます。
 1870年(明治3)に盛岡藩校修文所入学、和漢の学問を修め、1872年(明治5)には、一家で東京へ移住し、慶應義塾英語学校に入学しました。1876年(明治9)に東京開成学校へ入学、1878年(明治11)に東京大学理学部本科へ入学し、1882年(明治15)に卒業後、同校の準助教授となります。
 1888年(明治21)にイギリスのグラスゴー大学に留学、1890年(明治23)にドイツのベルリン大学へ転学し、1891年(明治24)に帰国後、帝国大学理科大学教授(理学博士)となり、同年10月28日に発生した濃尾大地震の調査で根尾谷大断層を発見しました。1894年(明治27)に万国測地協会委員、1902年(明治35)に勲四等旭日小綬章受章、1906年(明治39)に帝国学士院会員となり、勲二等旭日重光章を受章、1907年(明治40)には、万国度量衡会議常任委員となります。
 1910年(明治43)に航空事業視察のためヨーロッパへ派遣され、所沢飛行場建設に関わり、1914年(大正3)には、文部省測地学委員会委員長となりました。1916年(大正5)に勲一等瑞宝章を受章、帝国大学教授在職25年祝賀会の日に辞表を提出し、翌年に名誉教授となり、万国度量衡会議に出席します。
 1918年(大正7)に国際学術研究会議のため欧州各国へ出張、東京帝国大学航空研究所を創立し、顧問となり、1919年(大正8)には、地磁気・空中電気国際会議に出席し会長となりました。1921年(大正10)に小石川区雑司ヶ谷町へ転居、日本ローマ字会を創立、航空評議会評議員となり、1925年(大正14)には、文部省学術研究会議副議長、貴族院議員となります。
 1928年(昭和3)に航空事業に対しフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章、1930年(昭和5)には、文部省臨時ローマ字調査委員会委員となりました。1932年(昭和7)に貴族院議員に再選され、1933年(昭和8)の御講書始めに「航空発達史の概要」を御進講、1939年(昭和14)には、中央航空研究所施設委員会委員となり、貴族院議員に3選されます。
 1940年(昭和15)に帝国学士院第二部部長となり、1944年(昭和19)に文化勲章を受章し、朝日文化賞を受賞、1945年(昭和20)には、空襲の激化により、故郷の福岡町に疎開しました。太平洋戦争後の1948年(昭和23)に自著『時は移る』を発行(ローマ字、漢字かな書き併記)、1950年(昭和25)に日本物理学会名誉会員、1951年(昭和26)に福岡町名誉町民となったものの、1952年(昭和27年)5月21日に、東京の経堂の自宅において、95歳で亡くなり、勲一等旭日大綬章を追贈されています。
 尚、1999年(平成11)には、故郷の岩手県二戸市に「田中舘愛橘記念科学館」がオープンしました。

〇田中舘愛橘の主要な著作

・『電気ニ就テノ演説』(1899年)
・『航空機講話』(1915年)
・『羅馬字意見及び発音考』(1926年)
・『メートル法の歴史と現在の問題』(1934年)
・『ローマ字綴り方の外交及び国際関係の事項概要』(1936年)
・随筆・論文集『葛の根 田中館愛橘論文抜集』(1938年)
・『時は移る』(1948年)
・『田中館愛橘遺墨集』(1992年)
・『田中館愛橘博士歌集 地球を翔けた心の歌』(1997年)
・『献詠和歌集 田中舘愛橘博士墓前祭 昭和27年~平成18年』(2007年)

☆田中舘愛橘関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)

・1856年(安政3年9月18日) 陸奥国二戸郡福岡村(現在の二戸市福岡)において、南部藩士の父・稲蔵(とうぞう)と母・喜勢(きせ・旧姓 小保内)の長男として生まれる
・1861年(文久元年) 母キセから文字の手習い、伯父小保内定身より和漢の書を学ぶ
・1862年(文久2年) 母・喜勢が病没する
・1865年(慶応元年) 下斗米軍七の武芸「実用流」に入門する
・1866年(慶応2年) 福岡内に郷学校の令斉場が開校されるとそこで文武を修め、また、私学校の会輔社で学ぶ
・1870年(明治3年) 盛岡藩校修文所入学、和漢の学問を修める  
・1872年(明治5年) 一家で東京へ移住、慶應義塾英語学校に入学する
・1876年(明治9年) 東京開成学校入学する
・1878年(明治11年) 東京大学理学部本科入学する
・1880年(明治13年) メンデンホールの指導の下で、東京や富士山の重力測定をする
・1882年(明治15年) 東京大学を卒業し、準助教授となる  
・1883年(明治16年) 東京大学助教授となる
・1888年(明治21年) イギリスのグラスゴー大学に留学する
・1890年(明治23年) ドイツのベルリン大学へ転学する
・1891年(明治24年) 帰国し帝国大学理科大学教授(理学博士)となり、濃尾大地震の調査で根尾谷大断層を発見する
・1893年(明治26年) 本宿キヨ子と結婚する  
・1894年(明治27年) 長女美稲誕生、産後の病により夫人が亡くなり、万国測地協会委員となる
・1898年(明治31年) 万国測地学協会総会に出席する
・1902年(明治35年) 勲四等旭日小綬章を受章する
・1904年(明治37年) 日露戦争、陸軍の気球の研究に従事する
・1906年(明治39年) 帝国学士院会員となり、勲二等旭日重光章を受章  
・1907年(明治40年) 万国度量衡会議常任委員となる
・1909年(明治42年) 臨時軍用気球研究会委員となる
・1910年(明治43年) 航空事業視察のためヨーロッパへ派遣、所沢飛行場建設に関わる
・1914年(大正3年) 文部省測地学委員会委員長となる
・1915年(大正4年) 貴族院有志に航空機の発達及び研究状況を講演『航空機講話』を発行する
・1916年(大正5年) 勲一等瑞宝章を受章、帝国大学教授在職25年祝賀会の日に辞表を提出する  
・1917年(大正6年) 東京帝国大学名誉教授となり、万国度量衡会議に出席する
・1918年(大正7年) 国際学術研究会議のため欧州各国へ出張、東京帝国大学航空研究所を創立し、顧問となる
・1919年(大正8年) 地磁気・空中電気国際会議に出席し会長となる
・1920年(大正9年) 東京帝国大学航空研究所嘱託、陸軍省航空機調査研究嘱託、外務省より航空条約事務嘱託、国際連盟協会会議、万国度量衡委員会議、万国学術研究会議出席する
・1921年(大正10年) 小石川区雑司ヶ谷町へ転居、日本ローマ字会を創立、航空評議会評議員となる
・1923年(大正12年) 万国度量衡常置委員会議及び物理学会に出席する
・1924年(大正13年) 測地学・地球物理学国際会議へ出席する
・1925年(大正14年) 文部省学術研究会議副議長、貴族院議員となる
・1926年(大正15年) 故郷の福岡町において古希の祝賀会、震災予防評議会評議員となる、太平洋学術会議副議長となる
・1927年(昭和2年) 国際航空委員会、測地学・地球物理学国際会議、度量衡会議総会へ出席する
・1928年(昭和3年) 航空事業に対しフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章する  
・1929年(昭和4年) 万国度量衡会議、国際航空連盟会議、国際気象学会へ出席する
・1930年(昭和5年) 文部省臨時ローマ字調査委員会委員となる  
・1931年(昭和6年) 万国度量衡常置委員を辞し同名誉委員となる、言語学国際会議へ出席する
・1932年(昭和7年) 貴族院議員に再選される
・1933年(昭和8年) 御講書始めに「航空発達史の概要」を御進講、測地学・地球物理学国際会議へ出席する
・1935年(昭和10年) 天文学会、国際音声学会、議員会議、気象学会、国際航空連盟会議へ出席する
・1938年(昭和13年) 随筆・論文集『葛の根』を発刊、科学振興調査会委員、航空機技術委員会委員となる  
・1939年(昭和14年) 中央航空研究所施設委員会委員となる、貴族院議員に3選される
・1940年(昭和15年) 帝国学士院第二部部長となる
・1944年(昭和19年) 文化勲章を受章し、朝日文化賞を受賞する  
・1945年(昭和20年) 故郷の福岡町に疎開する  
・1948年(昭和23年) 自著『時は移る』を発行(ローマ字、漢字かな書き併記)する
・1950年(昭和25年) 日本物理学会名誉会員となる
・1951年(昭和26年) 福岡町名誉町民となる  
・1952年(昭和27年)5月21日 東京の経堂の自宅において、95歳で亡くなり、勲一等旭日大綬章を追贈される
・1999年(平成11年) 故郷の二戸市に田中舘愛橘記念科学館がオープンする  
・2002年(平成14年) 没後50年記念事業が挙行される
・2015年(平成27年) 二戸市名誉市民となる 
・2016年(平成28年) 田中舘愛橘像が落成し、二戸市のシンボルとなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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