
大宮町大火(おおみやまちたいか)は、この日の午後8時40分頃、栄町のあんま業斉藤方から出火、朝から吹いていた西北の烈風に煽られて、周囲に次から次へと燃え移りました。本町、神田町の目抜き通りをはじめ栄町、乙女町、末広町、神田宮町、神田橋、北神田町、御殿町、緑町、仲宿町、幸町、清水町、伝馬町、千代田町と神田川東岸で駅の北側に当たる町の主要部分を焦土と化し、ようやく翌日の午前3時半に鎮火しています。
これによって、全焼1,102戸(全町の28%)、死者1名、負傷者97名、被災者4,914人名(全町の21%)の大きな被害を出し、町役場、警察署、郵便局、登記所などがほとんど焼失しました。防火を担うべき肝心な渋沢用水が、当時改修中だったのが被害を大きくしたといわれています。
この大火は、大々的に全国各地の新聞で報道され、多くの義捐金・物資が集まり、これらをもとにして、災害復興に取り組まれました。
これによって、全焼1,102戸(全町の28%)、死者1名、負傷者97名、被災者4,914人名(全町の21%)の大きな被害を出し、町役場、警察署、郵便局、登記所などがほとんど焼失しました。防火を担うべき肝心な渋沢用水が、当時改修中だったのが被害を大きくしたといわれています。
この大火は、大々的に全国各地の新聞で報道され、多くの義捐金・物資が集まり、これらをもとにして、災害復興に取り組まれました。
〇昭和時代の日本の大火(500棟以上の焼失で、戦災・地震によるものを除く)
・1932年(昭和7)4月21~22日 - 大宮町大火(静岡県富士郡大宮町)
死者1名、負傷者97名、全焼1,102戸、被災者4,914人名
・1934年(昭和9)3月21日 - 箱館大火(北海道函館市)
死者2,166名、負傷者9,485名、焼失家屋11,105棟、罹災世帯22,667世帯、罹災人員約102,001名
・1940年(昭和15)1月15日 - 静岡大火(静岡県静岡市)
死者1名、負傷者788名、焼失家屋5,275戸、羅災人員27,518名
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
748年(天平20) | 第44代の天皇とされる元正天皇の命日(新暦5月22日) | 詳細 |
1583年(天正11) | 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗北する(新暦6月11日) | 詳細 |
1868年(慶応4) | 「五箇条の御誓文」に基づき「政体書」が発布される(新暦6月11日) | 詳細 |
1875年(明治8) | 数学者高木貞治の誕生日 | 詳細 |
1952年(昭和27) | 「公職追放令」が廃止され、最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除される | 詳細 |
日本民間放送連盟(民放連)が社団法人化する(民放の日) | 詳細 |
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