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 今日は、明治時代後期の1907年(明治40)に、法制史学者石井良助の生まれた日です。
 石井良助(いしい りょうすけ)は、東京市麻布区(現在の東京都港区)において生まれ、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科に入学しました。1930年(昭和5)に卒業し、法学部助手となり、1932年(昭和7)に助教授に昇任、1937年(昭和12)には、論文「中世武家不動産訴訟法の研究」で、東京帝国大学より法学博士の学位を得ます。
 1942年(昭和17)に教授に昇任し、日本の古代から江戸、明治時代にいたる法律制度の資史料を丹念に調べあげて体系化をすすめ、1952年(昭和27)には、『日本法制史概説』にまとめ、刊行しました。一方で、法制史学会代表理事として膨大な資史料の整備、編纂にも力を尽くします。
 1968年(昭和43)に東京帝国大学を退官し、名誉教授となり、新潟大学人文学部教授に就任、1970年(昭和45)には、専修大学法学部教授となり、紫綬褒章を受章しました。1977年(昭和52)に日本学士院会員となり、1978年(昭和53)には、「講書始の儀」で昭和天皇に『法制史』をご進講、勲二等旭日重光章を受章します。
 1983年(昭和58)に創価大学法学部教授に就任、1984年(昭和59)には、文化功労者となりました。1990年(平成2)には、創価大学法学部教授を退職、文化勲章を受章しましたが、1993年(平成5)1月12日に、東京において、85歳で亡くなり、勲一等瑞宝章を追贈されています。

〇石井良助の主要な著作

・『日本法制史概説』(1952年)
・『日本史概説』(1953年)
・『大化改新と鎌倉幕府の成立』(1958年)
・『江戸時代漫筆』1~7(1959~71年)
・『江戸の刑罰』(1964年)
・『日本国家史』(1972年)
・『日本団体法史』(1978年)
・『徳川禁令考』(1979年)
・『江戸時代漫筆』(1979年) 
・『日本相続法史』(1980年)
・『家と戸籍の歴史』(1981年)
・『天皇──天皇統治の史的解明』(1982年)
・『日本刑事法史』(1986年)
・『江戸の賤民』(1989年)
・『江戸時代土地法の生成と体系』(1989年)
・『印判の歴史』(1991年)
・『刑罰の歴史』(1992年)

☆石井良助関係略年表

・1907年(明治40)12月14日 東京市麻布区(現在の東京都港区)において、生まれる
・1930年(昭和5) 東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、法学部助手となる
・1932年(昭和7) 東京帝国大学法学部助教授となる
・1937年(昭和12) 論文「中世武家不動産訴訟法の研究」で、東京帝国大学より法学博士の学位を得る
・1942年(昭和17) 東京帝国大学法学部教授となる
・1952年(昭和27) 『日本法制史概説』を刊行する
・1968年(昭和43) 東京帝国大学を退官し、名誉教授となり、新潟大学人文学部教授となる
・1970年(昭和45) 専修大学法学部教授となり、紫綬褒章を受章する
・1977年(昭和52) 日本学士院会員となる
・1978年(昭和53) 「講書始の儀」で昭和天皇に『法制史』をご進講、勲二等旭日重光章を受章する
・1983年(昭和58) 創価大学法学部教授となる
・1984年(昭和59) 文化功労者となる
・1990年(平成2) 創価大学法学部教授を退職、文化勲章を受章する
・1993年(平成5)1月12日 東京において、85歳で亡くなり、勲一等瑞宝章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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