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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、鹿児島県名瀬市(現在の奄美市)で名瀬大火があり、市全体の約1/3にあたる1,365棟が焼失した日です。
 名瀬大火(なぜたいか)は、昭和時代中期の1955年(昭和30)12月3日午前4時50分頃に、鹿児島県名瀬市において起きた大火でした。名瀬市中心街にある歓楽街・屋仁川通の飲食店青柳から、タバコの火の不始末で出火し、季節風の強い北東風が吹くという悪条件の下で、火は瞬く間に燃え広がります。
 当時の名瀬市は1945年(昭和20)4月の大空襲によって市街地の90%を失った後、アメリカ軍に占領されて8年間も施政権を奪われ、2年前に返還されたばかりでした。その中で、何ら建築制限も決められない中で、中心街は狭い3mの道路を挟んで、焦土の跡に雨露をしのぐ程度に建てられた急造の木造バラック(粗末な建築物)が密集する状況となります。
 水利も悪く、市営水道には配水池がないので消火栓はあっても名ばかりで、その上晴天が続いたので川が渇れており、埋め立て工事中だったため海からの取水も満足にできる状態ではありませんでした。さらに、消防車不足で、大型消防車2台は故障、1台ある三輪ポンプ車は使用20分で故障、名瀬海上保安部など行政機関、療養所からの応援隊も含めたわずか8台の小型手挽きポンプ車で対抗せざるを得ない状況となります。
 このため消火に手間取って、火が燃え広がり、市全体の約1/3にあたる1,365棟の建物が焼失しました。これによって、死傷者は出なかったものの、罹災世帯1,462世帯、罹災人員5,851名にも及び、被害総額約16億円という大きな災害となります。
 尚、1ヶ月半前の10月18日にも名瀬市中央通で火災があり、118棟を焼失したばかりでした。

〇太平洋戦争後の日本の大火一覧(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)

・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
  死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
  死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
  死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
  死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
  行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1955年(昭和30)12月3日 - 名瀬大火(鹿児島県名瀬市)
  死傷者なし、焼失家屋1,317棟、罹災世帯1,462世帯、罹災人員5,851名、被害総額約16億円 
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
  死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
  死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
  死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
  死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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