今日は、昭和時代前期の1930年(昭和5)に、警視庁が「エロ演劇取締規則」を制定した日です。
「エロ演劇取締規則」(えろえんげきとりしまりきそく)は、東京の警視庁保安部が、風紀取締りのためと称して発出した通牒でした。股下二寸未満のズロースなどを禁止し、レヴューの脚本は警視庁の認可制となり、衣装の露出具合や色、照明の当て方に至るまで演出面で厳しい制限を加えられることとなります。
この結果、浅草の興行は「レヴュー」を主体とするものから軽演劇を主体とするものに移行し、規模の縮小にも拍車がかかりました。この取り締まりは、全国へ拡大していき、戦時色が強まる中で厳しくなり、太平洋戦争が終わるまで続きます。
以下に、「エロ演劇取締規則」(抄)を掲載しておきますから、ご参照下さい。
この結果、浅草の興行は「レヴュー」を主体とするものから軽演劇を主体とするものに移行し、規模の縮小にも拍車がかかりました。この取り締まりは、全国へ拡大していき、戦時色が強まる中で厳しくなり、太平洋戦争が終わるまで続きます。
以下に、「エロ演劇取締規則」(抄)を掲載しておきますから、ご参照下さい。
〇「エロ演劇取締規則」(抄) 1930年(昭和5)11月24日警視庁制定
一、レヴュー、ナンセンス、キャバレー、ヴァラエテ等名称の如何を問はず演劇の形式をとり台詞叉は歌を用ふるものは規則の演劇興行に相当するものなるを以て凡て警視庁の認可を受けたる脚本を提出するに非ざれぼ興行を認可せざること
二、演劇演芸興行における所作、服装証明等については、左の各号により、厳重取り締まりにあたること
(イ)ヅロースは股下二寸未満のもの及び肉色のものはこれを禁ずること
(ロ)背部は上体の二分の一より以下を露出せしめざること
(ハ)胸腹部は乳房以下の部分を露出せしめざること
(ニ)静物と称し全身に肉襦袢を着し、裸体の曲線美を表すものは、腰部をスカートその他これに類するものを以て覆はしむること
(ホ)片方の脚のみ股まで肉体を露出するが如きものはこれを禁ずること
(ヘ)照明を以て腰部の着衣を肉色に反射せしむることはこれを禁ずること
(ト)ダンス(例えばインデアンダンス、ハワイダンス等)にして腰を部分的に前後左右に振る所作はこれを禁ずること
(チ)観客に向かい脚ほ挙げ股が継続的に観客に見ゆる如き所作はこれを禁ずること
(リ)日本服の踊りにおいて大腿を観客に顕はすが如き所作はこれを禁ずること
(ヌ)全各項に抵触せざるも著しく性的劣情を挑発するが如き所作、服装をなし又は必要以上に残酷なる所作をなすものを発見したる時は保安部の指揮を受け相当処置を取ること
三、玩具用活動写真機及びこのフイルムを販売するために又はあめ売行商等の手段として道路もしくは店ばたにおいて活動写真に映写するものを禁ずること
四、道路、公園、百貨店、遊園地に傍へ付たフイルム又は絵葉書の自動写真機はこれを撤去せしむること
五、興行の有料無料を問はず有料の場合は入場料以外に種々の名目(下足料、座布団料、火鉢代、煙草盆代等)にて中銭を徴収することはこれを禁ずること
六、二種以上の興行において規則第五十八条〔「興行場及興行取締規則」のこと〕の興行時間の刻限は大なる方の興行時間を標準としてこれを定めてその範囲内において小なる方の興行時間をその種興行時間の最高限度とすること
七、興行中請手続につき省略
「東京朝日新聞」 1930年(昭和5)11月25日付より
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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