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 今日は、昭和時代中期の1962年(昭和37)に、廖承志と高碕達之助が「日中LT貿易覚書」に調印した日です。
 「日中LT貿易覚書」(にっちゅうえるてぃーぼうえきおぼえがき)は、日本と中華人民共和国との間で国交がない中でも、半官半民的な貿易形態をとった、準政府間的民間協定で、正式には、「日中貿易に関する高碕達之助・廖承志の覚書」と呼ばれました。互いに連絡事務所を設置し、政府保証の融資を利用して行われた半官半民的な貿易形態です。
 覚書に署名したのは、中華人民共和国側代表廖承志(Liào Chéngzhì、アジア・アフリカ連帯委員会主席、のち中日友好協会長)と日本側代表高碕達之助(元通商産業大臣)で、頭文字であるLとTをとって「日中LT貿易覚書」と呼ばれ、ました。この形態は、1967年(昭和42)12月まで続きましたが、1968年(昭和41年)3月の第二次協定締結後に「日中覚書貿易」(MT貿易)と改められ、年次契約の形式で、日中国交回復後の1973年(昭和48)まで継続しています。
 以下に、「日中LT貿易覚書」の日本語版を掲載しておきますので、ご参照下さい。 

〇「日中LT貿易覚書」(日中貿易に関する高碕達之助・廖承志の覚書)1962年(昭和37)11月9日

一、廖承志氏と高碕達之助氏は本年九月周恩来総理と松村謙三氏との間に行なわれた中日貿易拡大に関する会談の主旨にもとづき平等互恵の基礎の上に漸進的積み重ね方式をとり、両国間の民間貿易をより一層発展させるために次のような覚え書を交換した。

一、双方は長期総合貿易を発展させることに同意した。すなわち一九六三年から一九六七年までを第一次五カ年貿易の期間として振り当て、年間平均の輸出入取り引き総額を約三千六百万英ポンドとするよう要望した。

一、双方の主要輸出品次の通り。
(イ)中国側=石炭、鉄鉱石、大豆、とうもろこし、豆類、塩、スズ、その他。
(ロ)日本側=鋼材(特殊鋼材を含む)、化学肥料、農薬、農業機械、農具、プラント、その他。

一、本覚え書に基づいて行なわれる諸取り引きについては、その取り引きに関係ある日本側の当事者と中国対外貿易輸出入公司との間で個々の契約を結ぶ。

一、本覚え書に基づいて行なわれる諸取り引きは英ポンドまたは双方の同意するその他の貨幣をもって信用状を開設または保証状の方式で保証し、清算を行なう。

一、双方は日本から中国へ向けての輸出品のある一部の商品の延べ払い方法およびプラントの分割払い方法について別に協議して決めることに同意した。

一、双方は本覚え書を実施するに必要な技術の交流および協力を促すことに努力する。

一、商品検査、仲裁および本覚え書の実施に必要なその他の事項は双方が別に協議して決める。

一、本覚え書および本覚え書に基づいて結ばれる協定と契約は双方の関係当事者の同意がなければ破棄できない。

一、本覚え書および本覚え書に基づいて結ばれる協定は双方の話し合いによって修正または調整することができる。

一、本覚え書の有効期間は調印の日から一九六七年十二月三十一日までとし、双方の同意があれば延長することができる。

一、本覚え書は一九六二年十一月九日北京で調印、計二通としいずれも中国語と日本語で書かれ、両方とも同等の効力をもつ。

廖承志

高碕達之助

    「日中関係基本資料集」より

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