
代々木公園(よよぎこうえん)は、東京都渋谷区北部にあり、明治神宮の南に接する都立公園で、東京都公園協会が管理してきました。前身は、1909年(明治42)に陸軍が買収して設置した代々木練兵場で、太平洋戦争後に、連合国軍に接収され、1946年(昭和21)に米軍の宿舎・ワシントンハイツとなります。
それが、1964年(昭和39)の東京オリンピックを機に返還され、選手村と国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設され、東京オリンピックに一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42)に都市公園として開園しました。敷地は、54ha(およそ東京ドーム11個分)あり、東京23区内の公園としては、5番目の面積を誇り、林公園としてのA地区と、陸上競技場、サッカー・ホッケー場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。
園内には、震災対策用応急給水施設、サイクリングコース、噴水広場、ドッグラン、、バードサンクチュアリなどがつくられてきました。1989年(平成元)には、緑の文明学会と日本公園緑地協会によって、日本の都市公園100選に選定されています。
それが、1964年(昭和39)の東京オリンピックを機に返還され、選手村と国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設され、東京オリンピックに一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42)に都市公園として開園しました。敷地は、54ha(およそ東京ドーム11個分)あり、東京23区内の公園としては、5番目の面積を誇り、林公園としてのA地区と、陸上競技場、サッカー・ホッケー場、野外ステージなどを備えたB地区とに分かれています。
園内には、震災対策用応急給水施設、サイクリングコース、噴水広場、ドッグラン、、バードサンクチュアリなどがつくられてきました。1989年(平成元)には、緑の文明学会と日本公園緑地協会によって、日本の都市公園100選に選定されています。
〇代々木公園関係略年表
・1909年(明治42) 陸軍が買収して代々木練兵場となる
・1910年(明治43) 日本最初の飛行が徳川、日野両大尉によってなされる
・1920年(大正9) 代々木練兵場に隣接する御料地(明治神宮)の一部が併合される
・1936年(昭和11)11月 二・二六事件の主謀者15名の死刑(銃殺)がここで執行される
・1927年(昭和2)10月 練兵場の移転を求める住民大会が開催される
・1945年(昭和20) 日本占領軍である連合国軍に接収される
・1946年(昭和21) 米軍の宿舎・ワシントンハイツとなる
・1952年(昭和27)7月26日 「日米安保条約」に基づく無期限使用施設「ワシントンハイツ住宅地区」(施設番号3009、旧JPNR4036、旧代々木練兵場)の指定を受ける
・1955年(昭和30) ワシントンハイツ住宅地区に独身将校用宿舎が建設される
・1961年(昭和36)11月 3年後に開催される東京オリンピックのための選手村・競技場用地としてワシントンハイツを利用することが決定し、同地は日本国に全面返還されることとなる
・1964年(昭和39) 東京オリンピックを機に返還され、選手村と国立代々木競技場、さらに国際放送センターとして後のNHK放送センターが建設される
・1965年(昭和40)4月 選手村跡地をオリンピック記念青少年総合センターとして利用することが決定し、に運営する特殊法人が文部省の所管として発足する
・1967年(昭和42)10月1日 オリンピック記念青少年総合センターの一部に東京代々木ユースホステルがオープンする
・1967年(昭和42)10月20日 都市公園として、開園する
・1989年(平成元)7月28日 緑の文明学会と日本公園緑地協会によって、日本の都市公園100選に選定される
・1990年(平成2)5月 高さ15m~30mに及ぶ大小3基の噴水や水回廊を持つ水景施設が設定される
・2012年(平成24)3月15日 東京代々木ユースホステルが閉館する
・2014年(平成26)9月5日 デング熱の国内感染が同行園内に生息するウイルスを保有する蚊に刺されて発生したと推定されたため、東京都はA地区が閉鎖される
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