今日は、平成時代の2013年(平成25)に、小説家山崎豊子の亡くなった日です。
山崎豊子(やまさき とよこ)は、大正時代の1924年(大正13)1月2日に、大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれました。相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を経て、京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科に進学し、1944年(昭和19)に卒業後、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属されます。
1945年(昭和20)に毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受け、1957年(昭和32)には、生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行し、作家デビューを果しました。1958年(昭和33)に『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活に入るため、毎日新聞社を退社します。
1959年(昭和34)に『ぼんち』の連載開始、この作品で大阪府芸術賞を受賞、1961年(昭和36)には、『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚しました。1962年(昭和37)にインフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続け、1963年(昭和38)には、『花紋』で第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始します。
1964年(昭和39)にオスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席、1966年(昭和41)には、『白い巨塔』が映画化され、大ヒットしました。1968年(昭和43)に『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞(後に、盗作問題で賞を返上)、1969年(昭和44)には、『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材します。
1973年(昭和48)には、『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材しました。1978年(昭和53)にハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義、1979年(昭和54)には、『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集します。
1984年(昭和59)に『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面し、1990年(平成2)に『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞、翌年には、第39回菊池寛賞を受賞しました。1993年(平成5)に『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行い、1995年(平成7)には、『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化されます。
2009年(平成21)には、『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞しましたが、2013年(平成25)9月29日に、大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなりました。
1945年(昭和20)に毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受け、1957年(昭和32)には、生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行し、作家デビューを果しました。1958年(昭和33)に『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活に入るため、毎日新聞社を退社します。
1959年(昭和34)に『ぼんち』の連載開始、この作品で大阪府芸術賞を受賞、1961年(昭和36)には、『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚しました。1962年(昭和37)にインフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続け、1963年(昭和38)には、『花紋』で第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始します。
1964年(昭和39)にオスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席、1966年(昭和41)には、『白い巨塔』が映画化され、大ヒットしました。1968年(昭和43)に『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞(後に、盗作問題で賞を返上)、1969年(昭和44)には、『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材します。
1973年(昭和48)には、『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材しました。1978年(昭和53)にハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義、1979年(昭和54)には、『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集します。
1984年(昭和59)に『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面し、1990年(平成2)に『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞、翌年には、第39回菊池寛賞を受賞しました。1993年(平成5)に『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行い、1995年(平成7)には、『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化されます。
2009年(平成21)には、『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞しましたが、2013年(平成25)9月29日に、大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなりました。
〇山崎豊子の主要な著作
・『暖簾(のれん)』(1957年)
・『花のれん』(1958年)第39回直木賞受賞
・『しぶちん』(1958年)
・『ぼんち』(1959年)大阪府芸術賞受賞
・『女の勲章』(1960~61年)
・『女系家族』(1962~63年)
・『花紋(かもん)』(1962~64年)第2回婦人公論読者賞受賞
・『白い巨塔』(1963~65年)
・『続白い巨塔』(1967~68年)
・『華麗なる一族』(1973年)
・『不毛地帯』(1976~78年)
・『二つの祖国』(1980~83年)
・『大地の子』(1987~1991年)第52回文藝春秋読者賞、第39回菊池寛賞受賞
・『沈まぬ太陽』(1995~98年)
・『運命の人』(2009年)第63回毎日出版文化賞特別賞受賞
・『約束の海』(2013年)遺作
☆山崎豊子関係略年表
・1924年(大正13)1月2日 大阪市南区横堀において、老舗の昆布商「小倉屋昆布」を営む父・山本菊蔵、母・ますの長女として生まれる
・1936年(昭和11) 旧制大阪市芦池尋常小学校(現在の大阪市立南小学校)を卒業する
・1941年(昭和16) 相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)を卒業する。同窓生には随筆家、岡部伊都子、バイロオリニストの辻久子がいた。
・1944年(昭和19) 京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科を卒業、毎日新聞社大阪本社に入社して、調査部に配属される
・1945年(昭和20) 毎日新聞学芸部に転属、当時の学芸部長は井上靖で、強い影響を受ける
・1957年(昭和32) 生家の昆布屋をモデルに、10年掛かりで書き上げた『暖簾』を刊行して作家デビューを果たす
・1958年(昭和33) 『花のれん』により第39回直木賞を受賞、『船場狂い』『死亡記事』など、大阪が舞台の小説を続々発表、本格的に作家生活にはいるため、毎日新聞社を退社する
・1959年(昭和34) 『ぼんち』の連載開始、大阪府芸術賞を受賞する
・1961年(昭和36) 『女の勲章』の舞台を訪ねてフランスを始めヨーロッパの各国を回り、毎日新聞学芸部記者・杉本亀久雄と結婚する
・1962年(昭和37) インフルエンザ肺炎で倒れ、半年間病気療養しながら執筆活動を続ける
・1963年(昭和38) 『花紋』にて第2回婦人公論読者賞を受賞、『白い巨塔』の「サンデー毎日」への連載を開始する
・1964年(昭和39) オスローで開催された国際ペンクラブ大会に川端康成、平林たい子と共に出席する
・1966年(昭和41) 『白い巨塔』が映画化される
・1968年(昭和43) 『花宴』で第6回婦人公論読者賞を受賞する(後に、盗作問題で賞を返上)
・1969年(昭和44) 『華麗なる一族』の執筆取材のため、都市銀行や大蔵省、金融専門家に取材する
・1973年(昭和48) 『不毛地帯』執筆のため、シベリア、ハバロフスク、イルクーツクの日本人捕虜収容所、さらにテヘランの油田地帯に取材する
・1978年(昭和53) ハワイ州立大学へ客員教授として招聘され、1年間『ぼんち』をテキストに「上方文化」を講義する
・1979年(昭和54) 『二つの祖国』執筆のため、ハワイ大学図書館、カリフォルニア大学図書館に出向き、資料収集する
・1984年(昭和59) 『大地の子』執筆取材のため中国に渡り、胡耀邦総書記と対面する
・1990年(平成2) 『大地の子』で、第52回文藝春秋読者賞を受賞する
・1991年(平成3) 『大地の子』で、第39回菊池寛賞を受賞する
・1993年(平成5) 『大地の子』の印税などを基にに「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の学資援助などを行う
・1995年(平成7) 『沈まぬ太陽』の連載を開始、『大地の子』がNHKでテレビドラマ化される
・1997年(平成9) 北京日本人学校で創立20周年記念講演を行う
・2009年(平成21) 『運命の人』で第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞する
・2013年(平成25)9月29日 大阪府堺市において、呼吸不全により、89歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
747年(天平19) | 東大寺大仏の鋳造が開始される(新暦11月6日) | 詳細 |
930年(延長8) | 第60代の天皇とされる醍醐天皇の命日(新暦10月23日) | 詳細 |
949年(天暦3) | 第57代の天皇とされる陽成天皇の命日(新暦10月23日) | 詳細 |
1801年(享和元) | 国学者本居宣長の命日(新暦11月5日) | 詳細 |
1879年(明治12) | 「学制」が廃止され、「教育令」が制定される | 詳細 |
1972年(昭和47) | 日本と中国が「日中共同声明」に調印する | 詳細 |
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