
高木彬光(たかぎ あきみつ)は、大正時代の1920年(大正9)9月25日に、青森県青森市において、4代続いた医者の家系の子として生まれましたが、本名は高木誠一と言いました。幼少時に母親と死別し、1928年(昭和3)に「民衆裁判謎の刺青美人」を読み、後に影響を受けます。
旧制青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)を経て、1937年(昭和12)に第一高等学校理科乙類に入学しました。1940年(昭和15)に京都帝国大学医学部薬学科に入学しましたが、翌年に工学部冶金学科に転学し、1943年(昭和18)に卒業後、入隊しましたが健康上の理由により、中島飛行機に材料検査係の技師として入社したものの、太平洋戦争敗戦により失職します。
1947年(昭和22)に、易者に勧められ『刺青殺人事件』に着手、最終的には江戸川乱歩へ直送、出版に尽力するとの返信が届き、翌年に刊行されました。1949年(昭和24)に、初の時代小説「鬼の腕」を雑誌天狗に掲載、初の少年向け小説『覆面紳士』を刊行、宇都宮から東京へ転居、探偵作家クラブ書記長となりクラブ報を編集します。
1950年(昭和25)に『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ長編賞を受賞して、本格推理小説の第一人者としての地位を確立、山田風太郎らと鬼クラブを結成しました。1951年(昭和26)に、『わが一高時代の犯罪』を雑誌宝石に掲載、映画として公開されます。
1955年(昭和30)に『人形はなぜ殺される』、1958年(昭和33)に、歴史推理小説『成吉思汗の秘密』、1959年(昭和34)に経済推理小説『白昼の死角』を発表して注目されました。1961年(昭和36)に『占い人生論』、法廷裁判推理小説『破戒裁判』を刊行、1970年(昭和45)に『帝国の死角』を連載開始(~1972年)、1973年(昭和48)には、歴史推理小説『邪馬台国の秘密』を刊行します。
1979年(昭和54)に映画「白昼の死角」が公開されますが、脳梗塞で倒れ、1985年(昭和60)には、大動脈閉塞症で右足を切断するに至りました。1987年(昭和62)に『七福神殺人事件』、1988年(昭和63)に『仮面よ、さらば』を連載しましたが、1995年(平成7)9月9日に、東京において、腎不全のために、74歳で亡くなっています。
旧制青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)を経て、1937年(昭和12)に第一高等学校理科乙類に入学しました。1940年(昭和15)に京都帝国大学医学部薬学科に入学しましたが、翌年に工学部冶金学科に転学し、1943年(昭和18)に卒業後、入隊しましたが健康上の理由により、中島飛行機に材料検査係の技師として入社したものの、太平洋戦争敗戦により失職します。
1947年(昭和22)に、易者に勧められ『刺青殺人事件』に着手、最終的には江戸川乱歩へ直送、出版に尽力するとの返信が届き、翌年に刊行されました。1949年(昭和24)に、初の時代小説「鬼の腕」を雑誌天狗に掲載、初の少年向け小説『覆面紳士』を刊行、宇都宮から東京へ転居、探偵作家クラブ書記長となりクラブ報を編集します。
1950年(昭和25)に『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ長編賞を受賞して、本格推理小説の第一人者としての地位を確立、山田風太郎らと鬼クラブを結成しました。1951年(昭和26)に、『わが一高時代の犯罪』を雑誌宝石に掲載、映画として公開されます。
1955年(昭和30)に『人形はなぜ殺される』、1958年(昭和33)に、歴史推理小説『成吉思汗の秘密』、1959年(昭和34)に経済推理小説『白昼の死角』を発表して注目されました。1961年(昭和36)に『占い人生論』、法廷裁判推理小説『破戒裁判』を刊行、1970年(昭和45)に『帝国の死角』を連載開始(~1972年)、1973年(昭和48)には、歴史推理小説『邪馬台国の秘密』を刊行します。
1979年(昭和54)に映画「白昼の死角」が公開されますが、脳梗塞で倒れ、1985年(昭和60)には、大動脈閉塞症で右足を切断するに至りました。1987年(昭和62)に『七福神殺人事件』、1988年(昭和63)に『仮面よ、さらば』を連載しましたが、1995年(平成7)9月9日に、東京において、腎不全のために、74歳で亡くなっています。
〇高木彬光の主要な著作
・『刺青殺人事件』(1948年)
・『能面殺人事件』(1949年) 第3回探偵作家クラブ長編賞受賞
・『影なき女』(1950年)
・『わが一高時代の犯罪』(1951年)
・『人形はなぜ殺される』(1955年)
・歴史推理小説『成吉思汗の秘密』(1958年)
・経済推理小説『人蟻』(1959年)
・経済推理小説『白昼の死角』(1960年)
・法廷裁判推理小説『破戒裁判』(1961年)
・『帝国の死角』(1970~72年)
・歴史推理小説『耶馬台国の秘密』(1973年)
☆高木彬光関係略年表
・1920年(大正9)9月25日 青森県青森市において、4代続いた医者の家系の子として生まれる
・1928年(昭和3) 「民衆裁判謎の刺青美人」を読み、後に影響を受ける
・1937年(昭和12) 第一高等学校理科乙類に入学する
・1940年(昭和15) 京都帝国大学医学部薬学科に入学する
・1941年(昭和16) 京都帝国大学工学部冶金学科に転学する
・1943年(昭和18) 京都帝国大学工学部冶金学科を卒業、入隊するが健康上の理由により中島飛行機に材料検査係の技師として入社する
・1947年(昭和22) 易者に勧められ『刺青殺人事件』に着手、最終的には江戸川乱歩へ直送、出版に尽力するとの返信が届く
・1948年(昭和23) 『刺青殺人事件』が刊行される
・1949年(昭和24) 初の時代小説「鬼の腕」を雑誌天狗に掲載、初の少年向け小説『覆面紳士』を刊行、宇都宮から東京へ転居、探偵作家クラブ書記長となりクラブ報を編集する
・1950年(昭和25) 『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ長編賞を受賞、山田風太郎らと鬼クラブを結成する
・1951年(昭和26) 『わが一高時代の犯罪』を雑誌宝石に掲載、映画「わが一高時代の犯罪」が公開される
・1952年(昭和27) この頃、詰将棋を発表する
・1953年(昭和28) 映画「刺青殺人事件」が公開される
・1955年(昭和30) 『人形はなぜ殺される』を刊行する
・1957年(昭和32) 和同出版社から神津恭介探偵小説全集を刊行(~1958年)
・1958年(昭和33) 『成吉思汗の秘密』を雑誌宝石に掲載する
・1959年(昭和34) 『白昼の死角』を週刊誌に連載する
・1961年(昭和36) 『占い人生論』、『破戒裁判』を刊行する
・1965年(昭和40) 特別弁護人として参加した丸正名誉毀損事件の最終弁論を行う、山田風太郎とヨーロッパへ旅行する
・1967年(昭和42) この頃、秋田の鉱山事業を経営する
・1970年(昭和45) 『帝国の死角』を連載開始(~1972年)
・1972年(昭和47) 光文社から高木彬光長編推理小説全集を刊行開始(~1974年)
・1973年(昭和48) 『邪馬台国の秘密』を刊行する
・1975年(昭和50) 立風書房光文社から高木彬光名探偵全集を刊行開始(~1976年)
・1977年(昭和52) 『狐の密室』を発表する
・1979年(昭和54) 映画「白昼の死角」が公開され、脳梗塞で倒れる
・1983年(昭和58) 光風社から名探偵神津恭介シリーズを刊行開始(~1985年)
・1985年(昭和60) 大動脈閉塞症で右足を切断する
・1987年(昭和62) 『七福神殺人事件』を連載する
・1988年(昭和63) 『仮面よ、さらば』を連載する
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