今日は、大正時代の1922年(大正11)に、薬理学者・分子生物学者江橋節郎の生まれた日です。
江橋節郎(えばし せつろう)は、東京市麹町区九段(現在の東京都千代田区)において生まれ、番町小学校を5年、府立第一中学を4年で修了し、第一高等学校に学びました。卒後、東京帝国大学医学部医学科へ進み、1944年(昭和19)に、戦時の半年繰り上げで卒業、海軍軍医中尉に任官して上海に赴任し、そこで終戦を迎えます。
一年近くの捕虜生活後、1946年(昭和21)に日本へ帰国し、東京帝国大学医学部薬理学教室へ出入りするようになり、1948年(昭和23)には、「C-R結合増幅器による記録曲線の補正方法について」が「科学」に掲載されるようになりました。1949年(昭和24)に東京大学医学部助手となり、1951年(昭和26)からウサギのグリセリン処理筋をATP存在下で弛緩させる因子の追及を始め、1954年(昭和29)には、「コリンアセチラーゼに関する研究」で、医学博士の学位を取得します。
1959年(昭和34)に東京大学医学部教授(薬理学第一講座担任)となり、米国ロックフェラー研究所客員研究員(F.リップマン教授)となり、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学客員教授となりました。1965年(昭和40)に骨格筋から世界初のCa2+制御タンパク質「トロポニン」を発見、第1回山路自然科学奨励賞を受賞、1968年(昭和43)には、「カルシウムを中心とした筋収縮機構の研究」で、朝日賞を受賞します。
1971年(昭和46)に東京大学理学部併任教授(生物物理学講座担任)となり、1972年(昭和47)には、「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」で、第62回日本学士院賞・恩賜賞を受賞しました。1974年(昭和49)にハーバード大学医学部客員教授となり、1975年(昭和50)に文化功労者となり、文化勲章を受章、1977年(昭和52)には、ロンドン王立協会外国人会員に選出されます。
1978年(昭和53)に日本学士院会員となり、1979年(昭和54)にクルーニアン・メダルを得、1982年(昭和57)には、日本生物物理学会会長に就任しました。1983年(昭和58)に東京大学医学部教授を辞め、名誉教授となり、岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授となり、1985年(昭和60)には、生理学研究所長に昇進します。
1986年(昭和61)に国際心臓研究学会第1回ピーター・ハリス賞を受賞、1991年(平成3)に岡崎国立共同研究機構長となり、1995年(平成7)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1996年(平成8)に米国国立科学アカデミー外国会員となり、1999年(平成11)には、国際生物学賞を受賞しましたが、2006年(平成18)7月17日に、愛知県岡崎市において、83歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
一年近くの捕虜生活後、1946年(昭和21)に日本へ帰国し、東京帝国大学医学部薬理学教室へ出入りするようになり、1948年(昭和23)には、「C-R結合増幅器による記録曲線の補正方法について」が「科学」に掲載されるようになりました。1949年(昭和24)に東京大学医学部助手となり、1951年(昭和26)からウサギのグリセリン処理筋をATP存在下で弛緩させる因子の追及を始め、1954年(昭和29)には、「コリンアセチラーゼに関する研究」で、医学博士の学位を取得します。
1959年(昭和34)に東京大学医学部教授(薬理学第一講座担任)となり、米国ロックフェラー研究所客員研究員(F.リップマン教授)となり、1963年(昭和38)には、カリフォルニア大学客員教授となりました。1965年(昭和40)に骨格筋から世界初のCa2+制御タンパク質「トロポニン」を発見、第1回山路自然科学奨励賞を受賞、1968年(昭和43)には、「カルシウムを中心とした筋収縮機構の研究」で、朝日賞を受賞します。
1971年(昭和46)に東京大学理学部併任教授(生物物理学講座担任)となり、1972年(昭和47)には、「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」で、第62回日本学士院賞・恩賜賞を受賞しました。1974年(昭和49)にハーバード大学医学部客員教授となり、1975年(昭和50)に文化功労者となり、文化勲章を受章、1977年(昭和52)には、ロンドン王立協会外国人会員に選出されます。
1978年(昭和53)に日本学士院会員となり、1979年(昭和54)にクルーニアン・メダルを得、1982年(昭和57)には、日本生物物理学会会長に就任しました。1983年(昭和58)に東京大学医学部教授を辞め、名誉教授となり、岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授となり、1985年(昭和60)には、生理学研究所長に昇進します。
1986年(昭和61)に国際心臓研究学会第1回ピーター・ハリス賞を受賞、1991年(平成3)に岡崎国立共同研究機構長となり、1995年(平成7)には、勲一等瑞宝章を受章しました。1996年(平成8)に米国国立科学アカデミー外国会員となり、1999年(平成11)には、国際生物学賞を受賞しましたが、2006年(平成18)7月17日に、愛知県岡崎市において、83歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
☆江橋節郎関係略年表
・1922年(大正11)8月31日 東京市麹町区九段(現在の東京都千代田区)において生まれる
・1944年(昭和19) 東京帝国大学医学部医学科を卒業し、海軍軍医中尉に任官して上海に赴任する
・1945年(昭和20) 上海で終戦を迎える
・1946年(昭和21) 日本へ帰国する
・1948年(昭和23) 「C-R結合増幅器による記録曲線の補正方法について」が「科学」に掲載される
・1949年(昭和24) 東京大学医学部助手となる
・1951年(昭和26) ウサギのグリセリン処理筋をATP存在下で弛緩させる因子の追及を始める
・1954年(昭和29) 「コリンアセチラーゼに関する研究」で、医学博士の学位を取得する
・1959年(昭和34) 東京大学医学部教授(薬理学第一講座担任)となり、米国ロックフェラー研究所客員研究員(F.リップマン教授)となる
・1963年(昭和38) カリフォルニア大学客員教授となる
・1965年(昭和40) 骨格筋から世界初のCa2+制御タンパク質「トロポニン」を発見、第1回山路自然科学奨励賞を受賞する
・1968年(昭和43) 「カルシウムを中心とした筋収縮機構の研究」で、朝日賞を受賞する
・1971年(昭和46) 東京大学理学部併任教授(生物物理学講座担任)となる
・1972年(昭和47) 「筋の収縮及び弛緩の機構に関する研究」で、第62回日本学士院賞・恩賜賞を受賞する
・1974年(昭和49) ハーバード大学医学部客員教授となる
・1975年(昭和50) 文化功労者となり、文化勲章を受章する
・1977年(昭和52) ロンドン王立協会外国人会員に選出される
・1978年(昭和53) 日本学士院会員となる
・1979年(昭和54) クルーニアン・メダルを得る
・1982年(昭和57) 日本生物物理学会会長に就任する
・1983年(昭和58) 東京大学医学部教授を辞め、名誉教授となり、岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授となる
・1985年(昭和60) 岡崎国立共同研究機構生理学研究所長となる
・1986年(昭和61) 国際心臓研究学会第1回ピーター・ハリス賞を受賞する
・1991年(平成3) 岡崎国立共同研究機構長となる
・1995年(平成7) 勲一等瑞宝章を受章する
・1996年(平成8) 米国国立科学アカデミー外国会員となる
・1999年(平成11) 国際生物学賞を受賞する
・2006年(平成18)7月17日 愛知県岡崎市において、83歳で亡くなり、従三位を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1874年(明治7) | 日本画家、南画家小室翠雲の誕生日 | 詳細 |
1878年(明治11) | 日本画家鏑木清方(かぶらき きよかた)の誕生日 | 詳細 |
1896年(明治29) | 陸羽地震(マグニチュード7.2)が起こり、死者209人、負傷者779人を出す | 詳細 |
1908年(明治41) | 物理化学者森野米三の誕生日 | 詳細 |
1913年(大正2) | お雇い外国人であるドイツ人医師E・von ベルツの命日 | 詳細 |
1970年(昭和45) | 小説家・検察官・弁護士佐賀潜の命日 | 詳細 |
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