
特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、太平洋戦争後の連合国軍占領下において、日本政府の援助により、東京を中心に作られた「慰安所」を中核とした占領軍用の慰安施設でした。連合国軍兵士による強姦や性暴力を防ぐために、1945年(昭和20)8月26日に、資本金1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で設立され、最大で5万5000人の売春婦を新聞広告などで募集したとされます。
8月27日に、東京の大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定した他、各所に設置され、高級将校用慰安所として、10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」、11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置されました。しかし、翌年3月26日に、連合国軍東京憲兵司令官官房は「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖されることになります。
その後、職を失った女性は、パンパンと称された街娼になったり、風俗街に移動したものもいました。
8月27日に、東京の大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定した他、各所に設置され、高級将校用慰安所として、10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」、11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置されました。しかし、翌年3月26日に、連合国軍東京憲兵司令官官房は「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖されることになります。
その後、職を失った女性は、パンパンと称された街娼になったり、風俗街に移動したものもいました。
〇特殊慰安施設協会(RAA)関係略年表
<1945年(昭和20)>
・8月17日 成立した東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿は警視総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画する
・8月18日 内務省は同省警保局長橋下政実によって「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」(「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」)、および「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を各県に行政通達し、警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを行なう
・8月26日 資本金は1億円(内、5,500万円は大蔵省が保証して日本勧業銀行が融資)で、「特殊慰安施設協会」が設立される
・8月27日 大森海岸の料亭「小町園」を慰安所第一号に指定する
・8月28日 特殊慰安施設協会(RAA)幹部が皇居前で宣誓式と万歳三唱を行なう
・8月28日 開業予定の小町園慰安所へマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達がに乗り込み、すべての慰安婦たちを強姦する
・9月4日 特殊慰安施設協会の広告が毎日新聞に掲載される
・9月28日 GHQの軍医総監と公衆衛生福祉局長サムス大佐が、東京都衛生局防疫課長与謝野光に対して、都内で焼け残った花街5カ所と売春街17カ所に触れ、占領軍用の女性を世話してくれと要求する
・10月20日 東京の高級将校用慰安所として、墨田区向島に「迎賓館大蔵」が設置される
・11月 東京の高級将校用慰安所として、世田谷区若林に「RAAクラブ」が設置される
<1946年(昭和21)>
・3月26日 連合国軍東京憲兵司令官官房「進駐軍ノ淫売窟立入禁止ニ関スル件」(オフ・リミッツ令)を通達し、特殊慰安施設協会(RAA)施設は閉鎖される
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