
参勤交代(さんきんこうたい)は、江戸幕府が大名支配の手段として課した大名軍役の一つで、諸大名に時期を定めて江戸に参勤させた制度でした。全国250以上ある大名家が2年毎に江戸に参勤し、1年経ったら自分の領地へ引き上げる交代を行うものです。
江戸初期に諸大名が自発的に江戸に参勤したことに端を発し、大名は忠誠を示すため、正室と子(男子であれば跡継ぎ)、有力家臣の子弟を人質として江戸に住まわせるようになりました。1615年(元和元)に、制定された「武家諸法度(元和令)」により、参勤作法として従者の員数を定めて、100万石以下20万石以上の大名は20騎以下、10万石以下の大名は分に応ずるよう規定されます。
1634年(寛永11)に、譜代大名の妻子を江戸に移すこととし、翌年には、「武家諸法度(寛永令)」を改定し、その第2条に「大名・小名、在江戸交替相定むる所なり、毎歳夏四月中、参勤いたすべし」と規定し、参勤交代が制度化されました。1642年(寛永19)には、制度改正が行われ、譜代大名の交代期は6月、とくに関東の譜代大名は在府・在国半年、8月ないし2月交代となります。
享保の改革の一環として、1722年(享保7)に諸大名に1万石につき100石の上米を命じ、その代償として、参勤交代を緩和し、在府半年・在国1年半としましたが、8年後の1730年(享保15)には、参勤交代が旧制に復しました。1862年(文久2)に、再び参勤交代を緩和し、3年一勤百日在府制を実施しましたが、1865年(慶応元)に再び旧に戻そうとしたものの、命令に従う者がなく、事実上の廃絶となっています。
この制度は、江戸幕府による大名妻子の人質政策であり、往復の旅費や江戸藩邸での巨額の出費は大名の財政を苦しめたものの、一方で江戸の繁栄、交通(街道や宿場等)・経済(貨幣流通や商工業)の発達、中央文化の地方普及を促したとされてきました。
1634年(寛永11)に、譜代大名の妻子を江戸に移すこととし、翌年には、「武家諸法度(寛永令)」を改定し、その第2条に「大名・小名、在江戸交替相定むる所なり、毎歳夏四月中、参勤いたすべし」と規定し、参勤交代が制度化されました。1642年(寛永19)には、制度改正が行われ、譜代大名の交代期は6月、とくに関東の譜代大名は在府・在国半年、8月ないし2月交代となります。
享保の改革の一環として、1722年(享保7)に諸大名に1万石につき100石の上米を命じ、その代償として、参勤交代を緩和し、在府半年・在国1年半としましたが、8年後の1730年(享保15)には、参勤交代が旧制に復しました。1862年(文久2)に、再び参勤交代を緩和し、3年一勤百日在府制を実施しましたが、1865年(慶応元)に再び旧に戻そうとしたものの、命令に従う者がなく、事実上の廃絶となっています。
この制度は、江戸幕府による大名妻子の人質政策であり、往復の旅費や江戸藩邸での巨額の出費は大名の財政を苦しめたものの、一方で江戸の繁栄、交通(街道や宿場等)・経済(貨幣流通や商工業)の発達、中央文化の地方普及を促したとされてきました。
〇参勤交代関係略年表
・1596年(慶長元) 藤堂高虎が弟の正高を証人として江戸に送り、参勤交代のはじめとされる
・1600年(慶長5) 関ケ原の戦後、外様大名の江戸参勤が増加する
・1602年(慶長7) 前田利長が母を人質として参勤する
・1615年(元和元) 「武家諸法度(元和令)」が制定されたが、参勤作法として従者の員数を定めただけで100万石以下20万石以上の大名は20騎以下、10万石以下の大名は分に応ずるよう規定する
・1634年(寛永11) 譜代大名の妻子を江戸に移す
・1635年(寛永12) 「武家諸法度(寛永令)」を改定し、その第2条に「大名・小名、在江戸交替相定むる所なり、毎歳夏四月中、参勤いたすべし」と規定し、参勤交代を制度化する
・1642年(寛永19) 制度の改正が行われ、譜代大名の交代期は6月、とくに関東の譜代大名は在府・在国半年、8月ないし2月交代となる
・1722年(享保7) 諸大名に1万石につき100石の上米を命じ、その代償として、参勤交代を緩和し、在府半年・在国1年半とする
・1730年(享保15) 参勤交代が旧制に復する
・1862年(文久2) 再び参勤交代を緩和し、三年一勤百日在府制を実施する
・1865年(慶応元) 再び旧に戻したが命令に従う者がなく、参勤交代制度が廃絶となる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1869年(明治2) | 彫刻家米原雲海の誕生日(新暦9月27日) | 詳細 |
| 1903年(明治36) | 東京電車鉄道(電鉄)が、品川~新橋間を開業(東京初の路面電車)する | 詳細 |
| 1904年(明治37) | 日本と大韓帝国との間で、「第一次日韓協約」が調印される | 詳細 |
| 1941年(昭和16) | 劇作家・小説家長谷川時雨の命日 | 詳細 |
| 1943年(昭和18) | 詩人・小説家島崎藤村の命日(藤村忌) | 詳細 |
| 1944年(昭和19) | 沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦により撃沈される(対馬丸事件) | 詳細 |
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