nakajimakenzou01
 今日は、昭和時代後期の1979年(昭和54)に、フランス文学者・文芸評論家中島健蔵が亡くなった日です。
 中島健蔵(なかじま けんぞう)は、明治時代後期の1903年(明治36)2月21日に、東京・麴町において、東京専門学校(後の早稲田大学)で講師を務めた父・中島泰蔵の長男として生まれました。東京高師附属中学校、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1925年(大正14)に、東京帝国大学文学部仏文科へ入学します。
 1926年(大正15)に今日出海と「仏蘭西文学研究」を創刊、1928年(昭和3)には、東京帝国大学文学部仏文科を卒業し、副手として研究室に残りました。1931年(昭和6)に「作品」の同人となり、バレリーの『ヴアリエテ』などを訳載、文芸時評ほかを書き、1933年(昭和8)には、東京帝国大学文学部助手に昇格します。
 1934年(昭和9)に、辰野隆や鈴木信太郎の世話で東京帝国大学文学部臨時講師となり、最初の評論集『懐疑と象徴』を刊行しました。太平洋戦争中の1942年(昭和17)に、陸軍に徴用されたためマライ派遣軍の一員の陸軍報道班員としてシンガポールに赴き、年末に帰国します。
 戦後は、1945年(昭和20)に日本文芸家協会を再建し、理事に就任(~1974年)、翌年には、日本著作家組合を創設し、書記長となり、野上彰の「火の会」にも参加しました。1948年(昭和23)に福田陸太郎、太田三郎とともに日本比較文学会を結成、初代会長となり、1951年~52年(昭和26~27)には、伊藤整のチャタレー裁判で特別弁護人として出廷し、言論の自由を擁護します。
 1954年(昭和29)に著作権保護への貢献によって、第2回菊池寛賞を受賞、1955年(昭和30)に新日本文学会幹事会議長(~1961年)となり、1956年(昭和31)には、日中文化交流協会を結成して理事長となりました。1959年(昭和34)に安保批判の会に参加、1960年(昭和35)に東京大学仏文大学院講師となりましたが、1962年(昭和37)には東京大学を辞職しています。
 1977年(昭和52)に『回想の文学』で、第30回野間文芸賞を受賞、1978年(昭和53)に『新聞収録大正史』(大正出版)を監修したものの、1979年(昭和54)6月11日に、東京都中野区において、76歳で亡くなりました。 

〇中島健蔵の主要な著作

・評論集『懐疑と象徴』(1934年)
・『現代文芸論』(1936年)
・『現代作家論』(1941年)
・『文芸学試論』(1942年)
・『アンドレ・ジード』(1949年)
・『昭和時代』(1957年)
・自伝小説『自画像』(1963~66年)
・『現代文化論』(1966年)
・『音楽とわたくし』(1971~73年)
・『回想の文学』全五巻(1977年)第30回野間文芸賞受賞
・『回想の戦後文学』(1979年)

☆中島健蔵関係略年表

・1903年(明治36)2月21日 東京・麴町において、東京専門学校(後の早稲田大学)で講師を務めた父・中島泰蔵の長男として生まれる
・1909年(明治42) 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学する
・1914年(大正3) 父宛に贈られた親類前田夕暮(泰蔵の姪を妻に持つ)の第三歌集『生くる日に』を読んで感銘を受け、短歌を創作する
・1919年(大正8) 父・中島泰蔵を結核で亡くす
・1920年(大正9) 東京高師附属中学校を卒業し、補習科に通う
・1921年(大正10) 旧制松本高等学校文科乙類へ入学する
・1925年(大正14) 旧制松本高等学校文科乙類を卒業し、東京帝国大学文学部仏文科へ入学する
・1926年(大正15) 今日出海と「仏蘭西文学研究」を創刊する
・1928年(昭和3) 東京帝国大学文学部仏文科を卒業し、副手として研究室に残る
・1931年(昭和6) 「作品」の同人となり、バレリーの『ヴアリエテ』などを訳載、文芸時評ほかを書く
・1933年(昭和8) 東京帝国大学文学部助手に昇格する
・1934年(昭和9) 辰野隆や鈴木信太郎の世話で東京帝国大学文学部臨時講師となり、最初の評論集『懐疑と象徴』を刊行する
・1935年(昭和10) 東大仏文の研究室にて太宰治と檀一雄の訪問を受ける
・1942年(昭和17) 陸軍報道班員としてシンガポールに赴く
・1945年(昭和20) 日本文芸家協会を再建し、理事に就任(~1974年)する
・1946年(昭和21) 日本著作家組合を創設し、書記長となり、野上彰の「火の会」に参加する
・1948年(昭和23) 福田陸太郎、太田三郎とともに日本比較文学会を結成、初代会長となる
・1951年~52年(昭和26~27) 伊藤整のチャタレー裁判で特別弁護人として出廷し、言論の自由を擁護する
・1954年(昭和29) 著作権保護への貢献によって、第2回菊池寛賞を受賞する
・1955年(昭和30) 新日本文学会幹事会議長(~1961年)となる
・1956年(昭和31) 日中文化交流協会を結成して理事長となる
・1959年(昭和34) 安保批判の会に参加する
・1960年(昭和35) 東京大学仏文大学院講師となる
・1962年(昭和37) 東京大学を辞職する
・1977年(昭和52) 『回想の文学』で、第30回野間文芸賞を受賞する
・1978年(昭和53) 『新聞収録大正史』(大正出版)を監修する
・1979年(昭和54)6月11日 東京都中野区において、76歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1615年(慶長20)武将・大名・茶人・織部流茶道の祖古田重然(織部)が豊臣方内通の罪に問われ自刃する(新暦7月6日)詳細
1873年(明治6)「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)が設立される(国立銀行設立の日)詳細
1942年(昭和17)関門トンネルが開通し、最初の試運転列車が通過する詳細
1951年(昭和26)「産業教育振興法」が公布される詳細
1969年(昭和44)「東京国立近代美術館」(現在の本館)が開館する詳細
1975年(昭和50)考古学者宮坂英弌の命日詳細