
満田久輝(みつだ ひさてる)は、大阪府において生まれ、1934年(昭和9)に旧制浪速高等学校を卒業し、京都帝国大学農学部農林化学科へ入学、1937年(昭和12)に卒業しました。1944年(昭和19)に京都帝国大学化学研究所助教授となり、戦中、戦後の食糧事情が困難な時期に、コメにビタミンを加えた強化米を開発し、国民病といわれた脚気の克服に寄与します。
1949年(昭和24)に農学博士、1952年(昭和27)に京都大学化学研究所教授、1955年(昭和30)には、同大学農学部農芸化学科教授(栄養化学講座)となりました。1959年(昭和34)に「強化米の開発」で、科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰、1961年(昭和36)に「成人の蛋白質所要量の研究」で、日本栄養・食糧学会武田賞、1963年(昭和38)には、「緑葉におけるビタミンB2生合成機構」で、日本ビタミン学会賞を受賞します。
1966年(昭和41)に日本学術会議会員、1967年(昭和42)に京都大学農学部食品工学科教授(栄養化学講座)となり、翌年には、京都大学評議員(1969年12月まで)となりました。1971年(昭和46)に国際食品科学工学会賞バブコック・ハート賞、1972年(昭和47)に日本栄養・食糧学会会長、1973年(昭和48)に日本ビタミン学会会長、1974年(昭和49)には、国際食品科学工学会賞インターナショナル賞を受賞するなど数々の栄誉と重責を担います。
1978年(昭和53)に京都大学を停年退官し、名誉教授、甲子園大学学長(1983年まで)となり、「食糧備蓄に関する基礎研究とその普及」で、日本栄養・食糧学会功労賞を受賞しました。さらに、1980年(昭和55)に紫綬褒章、「ビタミンB2の生合成機構に関する研究とその応用」で、日本学士院賞、1981年(昭和56)にアメリカ化学会農芸化学・食品化学賞、1983年(昭和58)に日本学士院会員、1985年(昭和60)には、勲二等旭日重光章を受章します。
1986年(昭和61)にアインシュタイン特別名誉科学賞、1989年(平成元)に文化功労者、1994年(平成6)に文化勲章受章、1995年(平成7)には、京都市名誉市民となりました。多方面で活躍し、学術文化の向上に大きく寄与したものの、2006年(平成18)3月10日に、大坂府において、91歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
1949年(昭和24)に農学博士、1952年(昭和27)に京都大学化学研究所教授、1955年(昭和30)には、同大学農学部農芸化学科教授(栄養化学講座)となりました。1959年(昭和34)に「強化米の開発」で、科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰、1961年(昭和36)に「成人の蛋白質所要量の研究」で、日本栄養・食糧学会武田賞、1963年(昭和38)には、「緑葉におけるビタミンB2生合成機構」で、日本ビタミン学会賞を受賞します。
1966年(昭和41)に日本学術会議会員、1967年(昭和42)に京都大学農学部食品工学科教授(栄養化学講座)となり、翌年には、京都大学評議員(1969年12月まで)となりました。1971年(昭和46)に国際食品科学工学会賞バブコック・ハート賞、1972年(昭和47)に日本栄養・食糧学会会長、1973年(昭和48)に日本ビタミン学会会長、1974年(昭和49)には、国際食品科学工学会賞インターナショナル賞を受賞するなど数々の栄誉と重責を担います。
1978年(昭和53)に京都大学を停年退官し、名誉教授、甲子園大学学長(1983年まで)となり、「食糧備蓄に関する基礎研究とその普及」で、日本栄養・食糧学会功労賞を受賞しました。さらに、1980年(昭和55)に紫綬褒章、「ビタミンB2の生合成機構に関する研究とその応用」で、日本学士院賞、1981年(昭和56)にアメリカ化学会農芸化学・食品化学賞、1983年(昭和58)に日本学士院会員、1985年(昭和60)には、勲二等旭日重光章を受章します。
1986年(昭和61)にアインシュタイン特別名誉科学賞、1989年(平成元)に文化功労者、1994年(平成6)に文化勲章受章、1995年(平成7)には、京都市名誉市民となりました。多方面で活躍し、学術文化の向上に大きく寄与したものの、2006年(平成18)3月10日に、大坂府において、91歳で亡くなり、従三位を追贈されています。
〇満田久輝の主要な著作
・『栄養化学要説』(1959年)
・『実験栄養化学』(1961年)
・『要説実験栄養化学』(1973年)
・『米、再考-コメは世界の主食です-』(1993年)
☆満田久輝関係略年表
・1914年(大正3)5月27日 大阪府において、生まれる
・1934年(昭和9) 旧制浪速高等学校を卒業し、京都帝国大学農学部農林化学科へ入学する
・1937年(昭和12) 京都帝国大学農学部農林化学科を卒業する
・1944年(昭和19) 京都帝国大学化学研究所助教授となる
・1949年(昭和24) 農学博士となる
・1952年(昭和27) 京都大学化学研究所教授となる
・1955年(昭和30) 京都大学農学部農芸化学科教授(栄養化学講座)となる
・1959年(昭和34) 「強化米の開発」で、科学技術庁長官賞科学技術功労者表彰を受ける
・1961年(昭和36) 「成人の蛋白質所要量の研究」で、日本栄養・食糧学会武田賞を受賞する
・1963年(昭和38) 「緑葉におけるビタミンB2生合成機構」で、日本ビタミン学会賞を受賞する
・1966年(昭和41) 日本学術会議会員となる
・1967年(昭和42) 京都大学農学部食品工学科教授(栄養化学講座)となる
・1968年(昭和43) 京都大学評議員(1969年12月まで)となる
・1971年(昭和46) 国際食品科学工学会賞バブコック・ハート賞を受賞する
・1972年(昭和47) 日本栄養・食糧学会会長となる
・1973年(昭和48) 日本ビタミン学会会長となる
・1974年(昭和49) 国際食品科学工学会賞インターナショナル賞を受賞する
・1978年(昭和53) 京都大学を停年退官し、名誉教授となり、甲子園大学学長(1983年まで)となり、「食糧備蓄に関する基礎研究とその普及」で、日本栄養・食糧学会功労賞を受賞する
・1980年(昭和55) 紫綬褒章を受章、「ビタミンB2の生合成機構に関する研究とその応用」で、日本学士院賞を受賞する
・1981年(昭和56) アメリカ化学会農芸化学・食品化学賞を受賞する
・1983年(昭和58) 日本学士院会員となる
・1985年(昭和60) 勲二等旭日重光章を受章する
・1986年(昭和61) アインシュタイン特別名誉科学賞を受賞する
・1989年(平成元) 文化功労者となる
・1994年(平成6) 文化勲章を受章する
・1995年(平成7) 京都市名誉市民となる
・2006年(平成18)3月10日 大坂において、91歳で亡くなり、従三位を追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
743年(天平15) | 「墾田永年私財法」が出される(新暦6月23日) | 詳細 |
1235年(文暦2) | 藤原定家によって「小倉百人一首」が完成された(百人一首の日) | 詳細 |
1273年(文永10) | 鎌倉幕府第7代執権北条政村の命日(新暦6月13日) | 詳細 |
1901年(明治34) | 山陽鉄道(後の山陽本線)の神戸駅~馬関駅(現在の下関駅)間が全通する | 詳細 |
1938年(昭和13) | 「日独防共協定」締結による同盟強化に伴い、大日本青少年独逸派遣団が出発する | 詳細 |
1992年(平成4) | 漫画家長谷川町子の命日 | 詳細 |
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