
隣組(となりぐみ)は、東京市においては、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、岡田啓介内閣の選挙粛正運動の下部組織として隣保組織の整備が指示されたのをとっかかりとして、1938年(昭和13)5月には「交隣相助、共同防衛」をスローガンに隣組制度が制定され、これが「隣組」の嚆矢とされています。全国的には、1940年(昭和15)9月11日に出された、内務省訓令第17号の「部落会町内会等整備要領」によって、町内会などの下に設けられた最末端の地域組織で、隣保班とも呼ばれていました。1942年(昭和17)8月14日には、隣組が、町内会・部落会と共に、大政翼賛会の下部組織に正式に編入されます。大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つとなりました。江戸時代の五人組以来の旧慣をなるべく尊重し、採り入れることがうたわれています。1組につき5~10戸程度で構成され、各戸から1名以上が参加する定例集会である常会により運営されました。配給業務や軍人遺家族援護、防空、消火の訓練と実施などの相互扶助的な日常活動が行われ、戦時体制を支える行政の末端組織とされています。
〇大政翼賛会(たいせいよくさんかい)とは?
昭和時代前期の1940年(昭和15)10月12日に近衛文麿とその側近によって、新体制運動推進のために創立された、官製の国民統制組織で、総裁には首相が、各道府県支部長には知事が就任し、行政補助的役割を果たしました。国防国家体制の政治的中心組織として位置づけられ、「大政翼賛の臣道実践」という観念的スローガンの下、衆議は尽くすが最終決定は総裁が下すという、ドイツナチス党の指導者原理を模倣した「衆議統裁」方式を運営原則とします。
その後、太平洋戦争の進展とともに統制組織としての色彩を強め、1942年(昭和17)4月の翼賛選挙を実施して、翼賛政治体制の確立を図りました。それと共に、同年6月には従来各省の管轄下にあった「大日本産業報国会」、「農業報国連盟」、「商業報国会」、「日本海運報国団」、「大日本青少年団」、「大日本婦人会」の官製国民運動6団体をその傘下に収めます。
さらに、同年8月14日に、町内会と部落会に翼賛会の世話役(町内会長・部落会長兼任、約21万人)を、隣組に世話人(隣組長兼任、約154万人)を置くことを決定しました。このようにして、翼賛会体制=日本型ファシズムの国民支配組織が確立、国民生活はすべてにわたって統制されることになります。
しかし、鈴木貫太郎内閣のもとでの国民義勇隊創設に伴い、1945年(昭和20)6月13日に解散し、国民義勇隊へと発展的に解消しました。
その後、太平洋戦争の進展とともに統制組織としての色彩を強め、1942年(昭和17)4月の翼賛選挙を実施して、翼賛政治体制の確立を図りました。それと共に、同年6月には従来各省の管轄下にあった「大日本産業報国会」、「農業報国連盟」、「商業報国会」、「日本海運報国団」、「大日本青少年団」、「大日本婦人会」の官製国民運動6団体をその傘下に収めます。
さらに、同年8月14日に、町内会と部落会に翼賛会の世話役(町内会長・部落会長兼任、約21万人)を、隣組に世話人(隣組長兼任、約154万人)を置くことを決定しました。このようにして、翼賛会体制=日本型ファシズムの国民支配組織が確立、国民生活はすべてにわたって統制されることになります。
しかし、鈴木貫太郎内閣のもとでの国民義勇隊創設に伴い、1945年(昭和20)6月13日に解散し、国民義勇隊へと発展的に解消しました。
☆大政翼賛会関係略年表
<1940年(昭和15)>
・7月26日 近衛文麿内閣は、「基本国策要綱」を閣議決定し、「国防国家体制」樹立の方針を確定する
・9月27日 閣議で運動体の名称「大政翼賛運動」および中核体の名称「大政翼賛会」がそれぞれ正式決定し、役員も発表され、総裁には近衛首相が就任する
・10月12日 首相官邸大ホールで「大政翼賛会」の発会式が挙行される
・12月14日 「大政翼賛会実践要綱」が発表される
・12月19日 「大政翼賛会実践要綱」が、近衛総裁の裁可を得る
<1940年(昭和15)>
・3月21日 翼賛会の全国の支部の組織、庶務両部長の有志が九段会館で「全国地方支部有志協議会」の会合を実施、改組反対の決議を行う
・4月2日 政府により改組案が発表される
<1941年(昭和16)>
・2月 公事結社と認定されて政治活動を禁止される
・4月 第1回改組によって有馬頼寧事務総長らの近衛側近グループが退陣させられ、内務官僚と警察が主導権を握る行政補助機関となっていく
<1942年(昭和17)>
・1月16日 大政翼賛運動の実践部隊として大日本翼賛壮年団が結成される
・4月30日 翼賛選挙を実施して、翼賛政治体制の確立を図る
・6月23日 従来各省の管轄下にあった「大日本産業報国会」、「農業報国連盟」、「商業報国会」、「日本海運報国団」、「大日本青少年団」、「大日本婦人会」の官製国民運動6団体をその傘下に収める
・8月14日 部落会・町内会の会長を翼賛会の世話役に、隣保班長・隣組長を世話人とすることを決定し、大政翼賛会の下部組織に正式に編入される
<1945年(昭和20)>
・3月23日 鈴木貫太郎内閣のもとで、「本土防衛態勢ノ完備ヲ目標」として国民義勇隊の結成が閣議決定され、大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・大日本婦人会が吸収されることとなる
・6月13日 国民義勇隊に引き継がれることになり、「大政翼賛会」は解散する
☆「大政翼賛会」発足時の近衛総裁挨拶 1940年(昭和15)10月12日
わが国は正に一大転換期に際会し、外に善隣との盟約を固うし、内に新体制を樹立し、大東亜の新秩序を確立すると共に、進んで世界新秩序の建設に邁進致さねばならない時が参りました。
政府は聖旨を奉戴し、現時の国際情勢に鑑み、高度国防国家の体制完遂に対して全力を挙げつゝあるのであります。高度国防国家の建設は、政治・経済・文化等の各部面に於て過去に於ける一切の殻を捨て、新らしき目標に向つて一億一心の協力体制を整備し、又国家機構の各部面をして最も円滑なる有機的回転をなさしめることによつて始めて可能となるのであります。
現内閣成立以来国内を挙げて、新政治体制の実現に対し絶大なる共鳴と協力を得ましたことは、真に感激に堪へません。こゝに本日大政翼賛会発会式を挙げ、万邦無比の國體に基づき世界に比類なき理念の上に、大政翼賛運動を本会の推進によつて発足するに至りましたことは、真に御同慶に堪へないところであります。
申すまでもなく、今やわが国は、明治維新にも比すべき重大なる時局に直面してをります。わが大政翼賛の運動こそは、古き自由放任の姿を捨てて新らしき国家奉仕の態勢を整へんとするものであります。歴史は今やわが国に対し重大なる時機の到来を告げつゝあります。大政翼賛運動の将来は真にわが国家の運命を決するものであり、しかも本運動の遂行は容易の業ではありません。われ/\は前途に如何なる波乱怒濤起るとも必ずこれを乗切つて進んで行かねばならぬのであります。本運動の発足に当り、私はその推進的原動力となつてこの難事業の完成に協力せられる役員諸君に、衷心より敬意を表するものであります。
各位はこの重大なる使命達成のため、挺身これに当られ大御心を安んじ奉り、忠誠の実を挙げられんことを切望してやまざる次第であります。
最後に大政翼賛運動綱領については、準備委員の会合に於ても数次真剣なる論議が行はれたことを承つてをります。しかしながら本運動の綱領は、大政翼賛の臣道実践といふことに尽きると信ぜられるのでありまして、このことをお誓ひ申上げるものであります。これ以外には綱領も宣言も無しと言ひ得るのであります。若しこの場合に於て宣言綱領を私に表明すべしと云はれるならば、それは「大政翼賛の臣道実践」といふことである。「上御一人に対し奉り日夜それ/"\の立場に於て奉公の誠をいたす」といふことに尽きると存ずるのであります。かく考へ来て本日は綱領宣言を発表致さざることに私は決心致しました。このことをつけ加へて明確に申述べて置きます。
☆「大政翼賛会実践要綱」 1940年(昭和15)12月14日発表
今や世界の歴史的転換期に直面し、八紘一宇の顕現を国是とする皇國は、一億一心全能力を挙げて天皇に帰一し奉り、物心一如の国家体制を確立し、以て光輝ある世界の道義的指導者たらんとす。茲に本会は、互助相誡、皇國臣民たるの自覚に徹し、率先して国民の推進力となり、つねに政府と表裏一体協力の関係に立ち、上意下達・下情上通を図り、以て高度国防国家体制の実現に努む。左にその実践要綱を提唱す。
一、臣道の実践に挺身す。即ち、無上絶対普遍的真理の顕現たる國體を信仰し、歴代詔勅を奉体し、職分奉公の誠をいたし、ひたすら惟神(かんながら)の大道を顕揚す。
二、大東亜共栄圏の建設に協力す。即ち、大東亜の共栄体制を完備し、その興隆を図るとともに、進んで世界新秩序の確立に努む。
三、翼賛政治体制の建設に協力す。即ち、経済・文化・生活を翼賛精神に帰一し、強力なる綜合的翼賛政治体制の確立に努む。
四、翼賛経済体制の建設に協力す。即ち、創意と能力と科学を最高度に発揮し、翼賛精神に基く綜合的計画経済を確立し、以て生産の飛躍的増強を図り、大東亜における自給自足経済の完成に努む。
五、文化新体制の建設に協力す。即ち、國體精神に基き雄渾、高雅、明朗にして科学性ある新日本文化を育成し、内は民族精神を振起し、外は大東亜文化の昂揚に努む。
六、生活新体制の建設に協力す。即ち、翼賛理念に基き、新時代を推進する理想と気魄を養ひ、忠孝一本、国民悉く一家族の成員として、国家理想に結集すべき科学性ある生活体制の樹立に努む。
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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