ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2026年07月

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 今日は、鎌倉時代の1205年(元久2)に、初代執権北条時政が実子の北条政子、義時により追放(牧氏事件)され、義時が第2代執権に就任した日(閏)ですが、新暦では9月6日となります。
 北条義時(ほうじょう よしとき)は、鎌倉幕府第2代執権です。1163年(長寛元)に、伊豆国の在地豪族だった父・北条時政の次男(母は伊東入道の女)として生まれましたが、幼名は江馬小四郎と言いました。
 1180年(治承4)に、源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、父とともにこれを助け、相模の石橋山の戦などに加わります。1184年(元暦元)から翌年にかけて、源範頼に従い平氏討伐のため西国に出陣し、豊後国などで転戦しました。
 1199年(正治元)に、源頼朝が没し、子の頼家があとをつぐと頼家の外家である比企能員の勢力が台頭したが、父・時政、姉・政子らはこれを嫌い、頼家がみずから訴訟を裁くのを停め、13人の有力御家人の合議によることとします。1203年(建仁3)に、父・時政は比企氏を滅ぼし、将軍頼家を廃し、その弟実朝を将軍に擁立、初代執権(政所別当)となって、幕府の実権を握りました。
 1204年(元久元)に、従五位下・相模守に任ぜられ、翌年には、実朝を廃そうと謀った父を、姉・政子とともに幕府から追放し、第2代執権に就任します。1213年(建保元)には、侍所別当和田義盛を滅ぼし、政所別当に加えて侍所別当をも兼ねるようになりました。
 1219年(承久元)に、実朝が鶴岡八幡宮で頼家の遺児公暁に殺され、公暁も三浦義村に殺され、源氏の正統は絶え、京都から九条道家の子頼経を迎え、政子を表面にたて幕政を掌握します。1221年(承久3)に、後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を出して兵を挙げ、承久の乱がおこり、子の泰時、弟の時房らを大将軍とする大軍を送り、京都を占領ししました。
 上皇を隠岐に流し、泰時・時房を六波羅探題として都にとどめ、朝廷との交渉、京都の警備、西国の政務などに当たらせます。敵方からの没収所領3000余か所に、東国の御家人武士を地頭として送り、幕府の勢力範囲は一段と拡大しました。
 承久の乱後3年にして病を得て、1224年(元仁元)6月13日に出家し、同日急死したとされています。

〇北条義時関係略年表(日付は旧暦です)

・1163年(長寛元) 父・北条時政母・伊東入道の女の子として生まれる
・1180年(治承4) 源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、父とともにこれを助け、相模の石橋山の戦などに加わる
・1184年(元暦元) 源範頼に従い平氏討伐のため西国に出陣する
・1199年(正治元) 源頼朝が没し、子の頼家があとをつぐと頼家の外家である比企能員の勢力が台頭したが、義時の父北条時政,姉北条政子らはこれを嫌い、頼家がみずから訴訟を裁くのを停め、13人の有力御家人の合議によることとする
・1203年(建仁3) 時政は比企氏を滅ぼし、将軍頼家を廃し、その弟実朝を将軍に擁立、初代執権(政所別当)となって、幕府の実権を握る
・1204年(元久元) 従五位下・相模守に任ぜられる
・1205年(元久2) 実朝を廃そうと謀った父を、姉政子とともに幕府から追放し、第2代執権に就任する
・1213年(建保元) 侍所別当和田義盛を滅ぼし、政所別当に加えて侍所別当をも兼ねるようになる
・1219年(承久元) 実朝が鶴岡八幡宮で頼家の遺児公暁に殺され、公暁も三浦義村に殺され、源氏の正統は絶え、京都から九条道家の子頼経を迎え、政子を表面にたて幕政を掌握する
・1221年(承久3) 後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を出して兵を挙げ、承久の乱がおこり。義時は子の泰時、弟の時房らを大将軍とする大軍を送り、京都を占領し、上皇を隠岐に流し、泰時・時房を六波羅探題として都にとどめ,朝廷との交渉,京都の警備,西国の政務などに当たらせる
・1224年(元仁元)6月13日 急死する

☆執権(しっけん)とは?

 元々は、権力を握ることで、政務を執行する者という意味でしたが、鎌倉時代には、鎌倉幕府で将軍を補佐し、幕政を統轄した職名となります。
幕府成立期には政所の別当大江広元のことを執権といっていましたが、3代将軍源実朝の時代には、北条時政も政所別当の地位について2人となり、時政の権力が勝ると共に、執権と称して幕府の実権を掌握するようになります。
 時政の後、北条義時がその地位を継承しますが、1213年(建保元)に侍所別当であった和田義盛を滅亡させ、政所と侍所の両別当を兼ねて幕政を統轄するようになり、事実上幕政の最高権力者となりました。これによって、将軍はまったく名目的な存在となり、以後北条氏が独占的に執権の地位を世襲し、権力を掌握します。
 連署、評定衆、引付衆らを率いて幕政を統轄し、1333年(元弘3/正慶2)の鎌倉幕府滅亡まで続きました。

☆鎌倉幕府の歴代執権(北条家)一覧

・初代 時政(ときまさ)1203年(建仁3)~1205年(元久2)
・2代 義時(よしとき)1205年(元久2)~1224年(貞応3)
・3代 泰時(やすとき)1224年(貞応3)~1242年(仁治3)
・4代 経時(つねとき)1242年(仁治3)~1246年(寛元4)
・5代 時頼(ときより)1246年(寛元4)~1256年(康元元)
・6代 長時(ながとき)1256年(康元元)~1264年(文永元)
・7代 政村(まさむら)1264年(文永元)~1268年(文永5)
・8代 時宗(ときむね)1268年(文永5)~1284年(弘安7)
・9代 貞時(さだとき)1284年(弘安7)~1301年(正安3)
・10代 師時(もろとき)1301年(正安3)~1311年(応長元)
・11代 宗宣(むねのぶ)1311年(応長元)~1312年(応長2)
・12代 煕時(ひろとき)1312年(応長2)~1315年(正和4)
・13代 基時(もととき)1315年(正和4)~1316年(正和5)
・14代 高時(たかとき)1316年(正和5)~1326年(正中3)
・15代 貞顕(さだあき)1326年(正中3)
・16代 守時(もりとき)1326年(正中3)~1333年(元弘3)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1866年(慶応2)江戸幕府第14代将軍徳川家茂の命日(新暦8月29日)詳細
1883年(明治16)公卿・政治家岩倉具視の命日詳細
1907年(明治40)豊国炭鉱(福岡県)で炭塵爆発事故により死者365人を出す詳細
1925年(大正14)東京放送局(現在のNHKの前身)が初の語学番組である語学講座「英語講座」の放送を開始する詳細
1944年(昭和19)文部省が集団的な学童疎開の範囲を東京のほか12都市に拡大する詳細
1948年(昭和23年)「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が公布・施行され9つの祝日が誕生する詳細
1975年(昭和50)沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)が開幕詳細
1977年(昭和52)農芸化学者藪田貞治郎の命日詳細
1990年(平成2)水族館「海遊館」(大阪府大阪市港区)が開館する詳細
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 今日は、鎌倉時代の1189年(文治5)に、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡追討(奥州合戦)の為に鎌倉を出発した日ですが、新暦では9月1日となります。
 奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、1189年(文治5)7月~9月にかけて、鎌倉政権と奥州藤原氏との間での東北地方における一連の戦いの総称ですが、『吾妻鏡』では、奥州征伐としてきました。奥州藤原氏は鎌倉政権を脅かす存在でしたが、さきに秀衡・泰衡父子が義経をかくまっていたことを口実とし、7月19日には頼朝自らが兵を率いて鎌倉を出発、奥州へ向かいます。
 頼朝は全軍を東海道軍・大手軍・北陸道軍の三手に分けて奥州へ侵攻し、8月22日には平泉を陥落させました。泰衡は平泉から逃れたものの、9月3日に比内郡贄柵で、家臣・河田次郎に殺され、奥州藤原氏は滅亡します。これによって、全国統一を完了し、頼朝による武士政権が確立しました。

〇奥州合戦関係略年表(日付は旧暦です)

<1189年(文治5)>
・閏4月30日 藤原泰衡の軍勢が衣川館を襲撃し、源義経が自害する
・5月22日 奥州より義経誅殺を伝える飛脚が鎌倉に参着する
・6月8日 義経滅亡を受けて、後白河法皇より戦闘停止の院宣が鎌倉に届く
・6月13日 藤原高衡が義経の首を鎌倉に持参、和田義盛・梶原景時が実検する
・6月25日 源頼朝が泰衡追討宣旨の発給を朝廷に要請する
・6月26日 奥州で兵乱が起き、藤原忠衡が殺害される
・6月30日 頼朝は奥州征伐について大庭景義に諮問する
・7月16日 泰衡追討の延期を命じる宣旨が鎌倉に届くが、頼朝は宣旨なしでの出兵を決断する
・7月17日 終日審議し、東海道軍・大手軍・北陸道軍の三軍を編成して、進攻ルートを決定する
・7月18日 北陸道軍が鎌倉を出発する
・7月19日 頼朝が率いる大手軍が鎌倉を出発、越後の囚人・城長茂を軍勢に加える
・7月25日 頼朝は下野国古多橋駅に到着、宇都宮社に奉幣する
・7月26日 頼朝は宇都宮を出発、常陸の佐竹秀義を軍勢に加える
・7月28日 新渡戸駅に到着、城長茂の郎従200余人が参集する
・7月29日 頼朝は白河関を通過する
・8月7日 頼朝は国見駅に到着する
・8月8日~10日 阿津賀志山、石那坂、根無藤で戦闘があり、藤原国衡・金剛別当秀綱・佐藤基治・金十郎らが戦死して奥州軍が大敗する
・8月11日 頼朝は船迫宿に到着、国衡の首を実検する
・8月12日 頼朝は多賀城国府に到着、東海道軍が合流する
・8月13日 北陸道軍は出羽国で田川行文・秋田致文を討ち取る
・8月14日 頼朝は玉造郡に発向、小山朝政、物見岡を攻略する
・8月20日 頼朝は玉造郡多加波々城を攻略する
・8月21日 頼朝は平泉に発向、栗原・三迫の要害を攻略して津久毛橋に達するが、泰衡は平泉に火を放って逃走する
・8月22日 平泉が陥落する
・8月25日 衣川館の藤原基成父子が投降する
・8月26日 頼朝の宿所に投降をほのめかす泰衡の書状が投げ込まれる
・9月2日 頼朝は平泉から岩手郡厨河柵に発向する
・9月3日 泰衡が比内郡贄柵で郎従の河田次郎に殺害される
・9月4日 頼朝は志波郡に到着、陣岡で北陸道軍が合流する
・9月6日 河田次郎が泰衡の首を陣岡に持参、頼朝は前九年の役の故事に倣い、釘を打ち付けて梟首とする
・9月8日 頼朝は奥州平定の飛脚を京都に送る
・9月9日 一条能保の使者が陣岡に到着、7月19日付の泰衡追討宣旨を持参する
・9月11日 頼朝は陣岡を出て厨河柵に入る
・9月19日 頼朝は厨河柵を出発し、平泉に戻る
・9月22日 頼朝は陸奥国の奉行を葛西清重に命じる
・9月28日 頼朝は鎌倉に向けて帰還する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

931年(承平元)第59代の天皇とされる宇多天皇の命日(新暦9月3日)詳細
1107年(嘉承2)第73代の天皇とされる堀河天皇の命日(新暦8月9日)詳細
1829年(文政12)国学者・旅行家菅江真澄の命日(新暦8月18日)詳細
1849年(嘉永2)蘭方医・楢林宗建らが長崎出島で種痘を実施して成功する(新暦9月5日)詳細
1864年(元治元)京都で蛤御門の変(禁門の変)が起きる(新暦8月20日)詳細
1888年(明治21)剣術家・政治家山岡鉄舟の命日詳細
1940年(昭和15)近衛文麿の東京の私邸(荻外荘)に於いて、荻窪会談が開催される詳細
1944年(昭和19)文部・厚生・軍需3省次官指令「学徒勤労ノ徹底強化ニ関スル件」が出され、学徒勤労動員が強化される詳細
1949年(昭和24)今井正監督の映画『青い山脈』(原作:石坂洋次郎)が封切られる詳細
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 今日は、昭和時代前期の1936年(昭和11)に、二・二六事件により、2月27日に出された東京市の戒厳令が解除された日です。
 二・二六事件(にいにいろくじけん)は、昭和時代前期の1936年(昭和11)2月26日に、東京で国家改造を目指す「皇道派」青年将校22名が、1,500名弱の陸軍部隊を率いて起こしたクーデター未遂事件です。軍内部では、「統制派」(統制経済による国家改造を計画する軍首脳幹部を中心とするグループ)と「皇道派」(特権階級を廃して天皇親政の実現を目指す青年将校グループ)の二大派閥が激しく対立していました。
 その中で、「皇道派」青年将校によって、2月26日未明に行動が起こされ、首相・蔵相官邸、警視庁はじめ、政府首脳や重臣の官・私邸、朝日新聞社などを襲撃し、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、教育総監渡辺錠太郎らを殺害、東京・永田町一帯を占拠します。しかし、翌日東京市に戒厳令が公布され、28日に反乱部隊は「騒擾部隊」とされ、原隊復帰の奉勅命令が出されて、29日には鎮圧されました。
 その後、将校の大半は死刑となり、以後、統制派を中心とする軍部の発言権が強化されます。この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が「思想犯保護観察法」を成立させ、軍部の政治的発言力が強まっていくことになりました。

〇二・二六事件の経過

<2月26日>
・未明に将校たちは兵士約1480名を率い、武器弾薬を奪って蹶起する。
・岡田啓介内閣総理大臣、高橋是清大蔵大臣、鈴木貫太郎侍従長など内閣の有力政治家や高級官僚達の邸宅を襲撃し、多くが殺害される。
・警視庁や朝日新聞社も襲撃し、永田町・霞ヶ関・赤坂など政治中枢部が占拠される。
・川島義之陸相に将校たちから蹶起趣意書が渡され、臨時内閣が発足して決起を認める陸軍大臣告示が出される。
・昭和天皇は、事件発生時から彼らを「暴徒」や「反乱軍」と見なし、早期の鎮圧を望み、軍部は鎮圧に動き出す。
・東京に戒厳令が命ぜられ(翌日施行)、石原莞爾が戒厳参謀に就く。

<2月27日>
・枢密院の審査を経て、東京に戒厳令が施行される
・夕方、弘前の第八師団にいた秩父宮は急遽上京し、高円宮とともに参内し、皇族は一致結束して天皇を支えることを誓う。

<2月28日>
・午前0時に反乱部隊に対して原隊復帰の奉勅命令が下る。
・赤坂周辺に鎮圧部隊の戦車隊が、東京湾には日本海軍の戦艦長門などの艦隊が集結する。

<2月29日>
・飛行機から投降を呼びかけるビラが撒かれる。
・午前前8時55分、ラジオで「兵に告ぐ」と題した放送がされ、反乱部隊の武装解除が促がされる。
・「勅命下る 軍旗に手向かふな」と記されたアドバルーンが挙げられる。
・将校たちは兵士を原隊に帰還させると共に、一部自決を図ったが、ほとんどは逮捕される。

<3月4日>
・東京陸軍軍法会議設置の緊急勅令が出される。

<3月10日>
・「統制派」が事件を利用し、林銑十郎ら「皇道派」指導格の4大将を追放(予備役に編入)して、発言権を強める。

<4月28日>
・一審制、非公開、弁護人なしの東京陸軍軍法会議が特設される。

<7月5日>
・主謀者の青年将校ら17名に死刑が言い渡される。

<7月12日>、
・磯部浅一、村中孝次を除く15名の死刑が執行される。

<7月18日>、
・東京市の戒厳令が解除される。

<8月14日>
・北一輝、西田税に死刑が言い渡される。

<8月19日>
・北一輝、西田税、磯部浅一、村中孝次の死刑が執行される。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1204年(元久元)鎌倉幕府第2代将軍源頼家の命日(新暦8月14日)詳細
1315年(正和4)鎌倉幕府第12代執権北條煕時の命日(新暦8月18日)詳細
1573年(天正16)第15代将軍足利義昭が織田信長に降伏して京を追放され、室町幕府が事実上滅亡する(新暦8月15日)詳細
1858年(安政5)安政五カ国条約の一つとされる「日英修好通商条約」が調印される(新暦8月26日)詳細
1866年(慶応2)東洋史学者・評論家内藤湖南の誕生日(新暦8月27日)詳細
1871年(明治4)女優川上貞奴の誕生日(新暦9月2日)詳細
1923年(大正12)経済学者森嶋通夫の誕生日詳細
1970年(昭和45)東京都杉並区で日本初の光化学スモッグが発生する(光化学スモッグの日)詳細
1996年(平成8)薬学者・薬理学者石館守三の命日詳細
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 今日は、大正時代の1924年(大正13)に、日本棋院が創立された日です。
 日本棋院(にほんきいん)は、囲碁技術の向上発達と国際普及に寄与することを目的とする専門棋士の団体で、東京都千代田区五番町に本部をおき、公益財団法人となっています。1924年(大正13)7月17日に、本因坊派、方円社、稗聖会(ひせいかい)を中心に、江戸幕府の崩壊後に分裂した日本碁界の再統一と国際普及を目指して、男爵大倉喜七郎の援助により創立されました。
 主な事業として、①専門棋士の養成と段位決定のための棋戦の開催、②新聞棋戦など各種棋戦の主催、③国内外への碁の普及とアマチュア免状の発行、④出版活動(『週刊碁』『月刊碁ワールド』『月刊囲碁未来』等)などをしています。国内では市ヶ谷の東京本院のほか、東京・有楽町囲碁センター、大阪と名古屋に総本部が置かれ、海外ではアムステルダム、ニューヨーク、シアトル、サンパウロの4か所の囲碁センターを普及の拠点としてきました。
 日本において、囲碁の中心的な役割を果たし、約300人の棋士が所属するほか、職員として事務員や棋院発行の出版物をまとめる記者などが所属しています。

〇日本棋院関係略年表

・1924年(大正13)7月17日 日本棋院が創立される
・1925年(大正14) 棋道姉妹紙『欄柯』が創刊される
・1926年(大正15) 日本棋院会館(東京麹町区永田町)が開館する
・1927年(昭和2) 日本棋院大手合・東西対抗第一回が開始される
・1928年(昭和3) 『欄柯』を『囲碁倶楽部』に改題する
・1929年(昭和4) 大手合東西制を廃止する(春秋の定期手合開始)
・1935年(昭和10) 初のラジオ囲碁対局が放送される
・1936年(昭和11) 第1回全日本アマ選手権戦が開催される
・1937年(昭和12) 福田正義、プロ棋士として初の渡欧する
・1939年(昭和14) 本因坊戦が開始される
・1944年(昭和19) 4月に『囲碁倶楽部』と『棋道』合併するも、11月に『棋道』休刊となる
・1945年(昭和20) 日本棋院戦火で焼失、目黒の岩本七段宅に移す
・1946年(昭和21) 『棋道』復刊第1号(9月号)を発行する
・1947年(昭和22) 前田陳爾、坂田栄男、梶原武雄ら8棋士が「囲碁新社」を旗揚げする
・1948年(昭和23) 日本棋院新会館、東京芝高輪に開館する
・1949年(昭和24) 「囲碁新社」のメンバーが復帰し、「日本棋院囲碁規約」が制定される
・1950年(昭和25) 関西棋院が日本棋院から分離し、日本棋院関西総本部が発足する
・1953年(昭和28) 津島寿一日本棋院総裁に、大倉喜七郎名誉総裁に推戴、第1回王座戦、第1期NHK杯争奪戦が開始される
・1954年(昭和29) 日本棋院選手権戦開始、『囲碁クラブ』復刊第1号発行(6月号)、日本棋院中央会館、丸の内に開館、高松宮賞東京新聞社杯争奪選手権戦開始
・1955年(昭和30) アマ本因坊戦が創設される
・1956年(昭和31) 最高位戦、早碁名人戦が開始される
・1957年(昭和32) 首相杯争奪高段者トーナメント創設、欧州選手権戦が開始される
・1958年(昭和33) 日本最強決定戦が開始される
・1959年(昭和34) 日本棋院第1位決定戦、女流アマ選手権戦開催が開始され、日本棋院『有段者名簿』発刊する
・1960年(昭和35) 日本代表団(瀬越団長)訪中、第2期旧名人戦で坂田栄男(右)名人本因坊に就く
・1961年(昭和36) 名人戦(読売新聞)、アマ十傑戦創設、全日本都道府県対抗戦開始、『Monthly Go Review』創刊
・1962年(昭和37) NHKテレビ囲碁対局開始、プロ十傑戦開始、中国代表団(李夢華団長)来日
・1963年(昭和38) インターナショナル・ゴ・トーナメント開催(中央会館)、女流アマ都市対抗戦開始
・1965年(昭和40) 高校選手権戦創設、東洋三国アマ対抗戦開始
・1967年(昭和42) 日本棋院関西総本部会館竣工(大阪市北区西天満)
・1968年(昭和43) 全国日本棋院支部対抗戦開催、早碁選手権戦(東京12チャンネル)、アマ・プロ十傑対抗戦開催
・1969年(昭和44) 新鋭トーナメント(東京12チャンネル)、日韓専門棋士交流対局
・1970年(昭和45) 全日本第1位決定戦開始
・1971年(昭和46) 日本棋院新会館、市ヶ谷に完成
・1973年(昭和48) 日本棋院中部総本部会館竣工(名古屋市東区橦木町)、月刊『碁』創刊(現 囲碁未来)
・1975年(昭和50) 新人王戦開始
・1976年(昭和51) 棋聖戦開始、名人戦(朝日新聞に移行後)、碁聖戦、天元戦開始
・1977年(昭和52 週刊『碁』創刊
・1978年(昭和53) 鶴聖戦開始、囲碁親善使節団訪ソする
・1979年(昭和54) 第1回世界アマチュア囲碁選手権戦開催、高校生代表訪中、女流鶴聖戦開催
・1980年(昭和55) 第1回全国少年少女大会開催
・1982年(昭和57) 国際囲碁連盟発足、女流本因坊戦開始
・1988年(昭和63) 世界囲碁選手権富士通杯開始
・1989年(平成元) 日本棋院南米部囲碁会館開館、「日本囲碁規約」を新たに制定
・1990年(平成2) 「竜星戦」ケーブルテレビで衛星放送開始
・1992年(平成4) 日本棋院ヨーロッパ囲碁文化センター開館
・1995年(平成7) 日本棋院米国西部囲碁センター開館
・1996年(平成8) 日本棋院ホームページ開設、日本棋院『情報会員』サービス開始
・1997年(平成9) 第1回任天堂子ども囲碁大会開催
・1999年(平成11) 週刊少年ジャンプ『ヒカルの碁』連載開始、『棋道』と『囲碁クラブ』合併、『月刊碁ワールド』創刊
・2001年(平成13) 『ヒカルの碁』がテレビ東京系列にて放映開始
・2002年(平成14) トヨタ&デンソー杯世界王座戦開始、携帯電話サイト『碁バイルセンター』サービス開始
・2003年(平成15) 大手合廃止、新昇段制度が制定される
・2004年(平成16) 日本棋院80周年記念式典開催、囲碁殿堂資料館をオープン、第1回小中学生囲碁団体戦開催、ネット対局サービス『幽玄の間』開始
・2005年(平成17) 日本棋院関西総本部、大阪梅田・阪急ファイブアネックスビルに移転する
・2006年(平成18) 「囲碁少年少女育英資金」設立、大和証券杯ネット囲碁オープン開始
・2007年(平成19) 週刊碁創刊1500号、大和証券杯ネット囲碁レディース、大和証券杯ネット囲碁アマチュア選手権開始
・2008年(平成20) 大和証券杯ネット囲碁グランドチャンピオン戦開始、頭脳の祭典開催、第1回ワールドマインドスポーツゲームズが北京で開催
・2009年(平成21) 生活文化普及支援事業「みんなで学ぶ楽しい囲碁入門教室」を全国で開催
・2010年(平成22) 第16回アジア競技大会に囲碁種目(ペア碁、男女団体)が採用され、プロ棋士が参加
・2011年(平成23) 公益財団法人に移行、エステー&フマキラー 囲碁マスターズカップ開始
・2012年(平成24) インターネット棋戦「大和証券杯ネット囲碁オープン」が公式戦化
・2013年(平成25) 日本棋院プロ棋士対コンピュータ囲碁の公式定期戦第1回「電聖戦」開催、囲碁ナショナルチームを創設、有楽町囲碁センター開館(有楽町・東京交通会館。旧八重洲囲碁センター)
・2014年(平成26) 第1回囲碁電王戦、2013棋戦優勝者選手権、第1回グロービス杯世界囲碁U-20、第1回会津中央病院杯女流トーナメント戦開催、関西総本部移転(大阪市北区茶屋町19-19)、梅田囲碁サロン開館(大阪市北区角田町1番12号)
・2015年(平成27) 「がっこう囲碁普及基金」創設(囲碁少年少女育英基金を統合)、扇興杯の開始
・2016年(平成28) 井山裕太九段が囲碁界で初の国民栄誉賞受賞
・2018年(平成30) YouTubeで「日本棋院囲碁チャンネル」開設
・2021年(令和3) 梅田囲碁サロン移転(大阪市北区芝田)
・2022年(令和4) 本因坊文裕が11連覇、史上最長連覇記録達成
・2024年(令和6) 日本棋院創立100周年記念式典

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1615年(元和元)江戸幕府が「禁中並公家諸法度」を制定する(新暦9月9日)詳細
1661年(寛文元)蕉門十哲の一人である俳人宝井其角の誕生日(新暦8月11日)詳細
1795年(寛政7)画家・円山派の祖円山応挙の命日(新暦8月31日)詳細
1945年(昭和20) ポツダム会談(ドイツのポツダムで開催)が始まる詳細
沼津大空襲おいて、死者274人、重軽傷者505人、全半焼家屋9,523戸を出す詳細
1970年(昭和45)家永教科書裁判第二次訴訟で東京地裁が、検定不合格取消の判決(杉本判決)を出す詳細
1981年(昭和56)俳人・医師水原秋桜子の命日詳細
2005年(平成17)ユネスコの第29回世界遺産委員会で、「知床」の世界遺産(自然遺産)への登録が決定される詳細
2016年(平成28)「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」が世界遺産(文化遺産)に登録される詳細
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 今日は、平成時代の1993年(平成5)に、 神奈川県横浜市に超高層ビルでは当時日本一の高さとなる横浜ランドマークタワーが開業した日です。
 横浜ランドマークタワー(よこはまらんどまーくたわー)は、神奈川県横浜市西区みなとみらいにある、地上70階(高さ296m)の超高層ビルです。造船所の跡地利用の「横浜みなとみらい21」地区の開発計画に中で構想され、商業施設、オフィス、宿泊施設、展望台などで構成されてきました。
 1990年(平成2)3月20日に着工、1993年(平成5)7月14日に竣工し、同年7月16日に開業しましたが、当時は日本一高い超高層建築物(2014年のあべのハルカス完成まで)で、現在は3位となっています。敷地内にあるドックヤードガーデンは、現存する日本最古の商船用石造りドックを復元・保存したもので、国の重要文化財となりました。
 尚、2003年(平成15)には、東京湾100選選定委員会より、「東京湾100選」に選定されています。

〇日本の超高層建築物ベスト20

1.麻布台ヒルズ森JPタワー(325.40m・64階)2023年竣工[東京都港区]高さ日本一のビル
2.あべのハルカス(300m・60階)2014年竣工[大阪市阿倍野区]日本初のスーパートールで、麻布台ヒルズ森JPタワー完成まで約9年間、高さ日本一だったビル
3.横浜ランドマークタワー(296.33m・70階)1993年竣工[横浜市西区]あべのハルカス完成まで約20年間、高さ日本一だったビル
4.虎ノ門ヒルズステーションタワー(265.75m・49階)2023年竣工[東京都港区]
5.SiSりんくうタワー(256.1m・56階)1996年竣工[大阪府泉佐野市]あべのハルカス完成まで西日本で最も高かったビル
6.大阪府咲洲庁舎(256.0m・55階)1995年竣工[大阪市住之江区]
7.虎ノ門ヒルズ 森タワー(255.5m・52階)2014年竣工[東京都港区]麻布台ヒルズ森JPタワーが完成するまで東京都で一番高かったビル
8.ミッドタウン・タワー(248.1m・54階)2007年竣工[東京都港区]
9.ミッドランドスクエア ミッドランドスクエア(247.00m・47階)2006年竣工[名古屋市中村区]中部地方で最も高いビル
10.JRセントラルタワーズ オフィスタワー(245.1m・51階)1999年竣工[名古屋市中村区]ミッドランドスクエア完成まで中部地方で最も高いビル
11.東京都庁第一本庁舎(243.4m・48階)1991年竣工[東京都新宿区]横浜ランドマークタワー完成まで日本一高いビル(1991年~1993年)
12.NTTドコモ代々木ビル(239.85m・27階)2000年竣工[東京都渋谷区]
13.サンシャイン60(239.7m・60階)1978年竣工[東京都豊島区]完成から1985年まではアジアで最も高いビル 東京都庁完成まで日本一高いビル(1978年~1991年)
14.東京ミッドタウン八重洲 八重洲セントラルタワー(238.2m・45階)2022年竣工[東京都中央区]
15.六本木ヒルズ森タワー(238.05m・54階)2003年竣工[東京都港区]
16.麻布台ヒルズレジデンスA(237.20m・54階)2023年竣工[東京都港区]日本一高いマンション
17.新宿パークタワー(235.0m・52階)1994年竣工[東京都新宿区]
18.東京オペラシティタワー(234.371m・54階)1996年竣工[東京都新宿区]
19.住友不動産六本木グランドタワーオフィス棟(230.76m・40階)2016年竣工[東京都港区]
20.渋谷スクランブルスクエア東棟(229.706m・47階)2019年竣工[東京都渋谷区]

☆日本の超高層ビル高さ第1位の変遷

・ホテルニューオータニ本館(東京都千代田区)17階・73m[1964~1968年日本一の高いビル]
・霞が関ビルディング(東京都千代田区霞が関)36階建・147m[1968~1970年日本一の高いビル]
・世界貿易センタービルディング(東京都港区浜松町)40階建・162.59m[1970~1971年日本一の高いビル]
・京王プラザホテル(東京都新宿区西新宿)47階・169m[1971~1974年日本一の高いビル]
・新宿住友ビルディング(東京都新宿区西新宿)52階・210.3m[1974年日本一の高いビル]
・新宿三井ビルディング(東京都新宿区西新宿)55階・223.6m[1974~1978年日本一の高いビル]
・サンシャイン60(東京都豊島区)60階・239.7m[1978~1991年日本一の高いビル]
・東京都庁第一本庁舎(東京都新宿区)48階・243.4m[1991~1993年日本一の高いビル]
・横浜ランドマークタワー(神奈川県横浜市西区)70階・296.33m[1993年~2014年日本一高いビル]
・あべのハルカス(大阪市阿倍野区)60階・300m[2014~2023年日本一高いビル]
・麻布台ヒルズ森JPタワー(東京都港区)64階・325.40m[2023年~高さ日本一のビル]

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1260年(文応元)日蓮が『立正安国論』を著し、北条時頼に提出する(新暦8月24日)詳細
1304年(嘉元2)第89代の天皇とされる後深草天皇の命日(新暦8月17日)詳細
1885年(明治18)日本鉄道の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売された(駅弁記念日)詳細
1894年(明治27)領事裁判権の撤廃、相互最恵国待遇を認めた「日英通商航海条約」が締結される詳細
1919年(大正8)政治家板垣退助の命日詳細
1963年(昭和38)名神高速道路の栗東IC~尼崎ICが開通する(日本最初の高速道路の開通)詳細
1994年(平成6)三内丸山遺蹟で巨大建物の木柱等が出土、国内最大級の縄文集落跡と報道される詳細
1997年(平成9)「臓器の移植に関する法律(臓器移植法)」が公布(施行は10月16日)される詳細
2003年(平成15)「性同一性障害特例法」が公布(施行は翌年7月16日)される詳細
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