ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2026年01月

beihankyuushyoku01
 今日は、昭和時代後期の1970年(昭和45)に、学校給食に米飯が許可された日です。
 学校給食(がっこうきゅうしょく)は、児童、生徒の心身の健全な発達と国民の食生活の改善をはかるために、学校教育活動の一環として集団的に実施される給食のことです。日本では、明治時代の中頃の1889年(明治22)に、現在の山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まりとされてきました。
 大正時代末頃から主に貧困児童の就学奨励策として、小規模ながら全国的に実施されたものの、太平洋戦争中は、食料不足で多くが中止されています。戦後の1946年(昭和21)に、文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まりました。
 翌年1月に、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始され、1948年(昭和23)4月23日には、文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表します。翌年に、ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始され、1950年(昭和25)には、8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施されました。
 1954年(昭和29)6月3日に、「学校給食法」が公布・施行され、義務教育諸学校などに適用されます。1956年(昭和31)には、高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められ,翌年には盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定されました。
 1970年(昭和45)1月19日に、学校給食に米飯が許可され、1976年(昭和51)には、学校給食制度上に米飯が正式に導入されます。その後、2005年(平成17)には、学校給食を教材として活用し、食に関する指導の充実をはかるため、栄養教諭制度が創設されました。

〇学校給食関係略年表

・1889年(明治22) 現在の山形県鶴岡市の市立忠愛小学校で貧困児童を対象に、おにぎり・焼き魚・漬物の昼食を無償で提供したのが始まり
・1923年(大正12) 文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励される
・1929年(昭和4) この年までに学校給食を実施した学校は全国で204校、経費は約2万9,000円に及ぶ
・1932年(昭和7)9月 文部省が訓令「学校給食臨時施設方法」を制定し、給食のための設備が初めて法制化される
・1939年(昭和14) 昭和13年度の給食実施校が約1万2,000校、給食を提供された人数は約60万人(実人数)、給食費は約150万円に及ぶ
・1941年(昭和16) 学校給食は貧困児童の救済・児童の栄養改善に向けて全国に広がり、内容の充実が図られるも、太平洋戦争による食糧不足のため、学校給食は中止となる
・1944年(昭和19) 6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・味噌等を特別配給して学校給食を実施、4月1日に6大都市の国民学校学童に1食7勺の給食が始まり、9月1日にパン食のみになる
・1946年(昭和21) 文部・厚生・農林三省次官通達「学校給食実施の普及奨励について」が発せられ、戦後の学校給食の方針が定まる
・1947年(昭和22)1月 主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始される
・1948年(昭和23)4月23日 文部省が「全小中学校に学校給食を拡大」と発表する
・1949年(昭和24) ユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて、ユニセフ給食が開始される
・1950年(昭和25) 8大都市の小学校児童に対し、米国寄贈の小麦粉によりはじめて完全給食が実施される
・1951年(昭和26) 講和条約の調印に伴い、給食用物資の財源であったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)が6月末日をもって打ち切られ、学校給食は中止の危機にさらされる
・1952年(昭和27) 日本学校給食会が脱脂粉乳の輸入業務を開始、また、ユニセフ寄贈の脱脂粉乳の受入配分業務も実施される
・1954年(昭和29) 「学校給食法」が公布・施行され、日本の学校給食は第二のスタートを切る
・1956年(昭和31) 高等学校定時制課程の学校給食奨励のための法律も定められる
・1957年(昭和32) 盲学校、聾学校、養護学校の学校給食に関する法律も制定され、全国学校給食会連合会が発足する
・1958年(昭和33) 農林次官通達「学校給食用牛乳供給事業実施要綱」に伴い、文部省管理局長より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知され、学校給食に牛乳が供給される
・1958年(昭和33)10月1日 「学習指導要領」が改訂され、学校給食が初めて学校行事などの領域に位置付けられる
・1960年(昭和35) 学校給食研究改善協会が設立され、「へき地における学校給食助成事業」が開始される
・1961年(昭和36) へき地におけるミルク給食施設設備費及び夜間定時制高等学校夜食費に対する補助制度が設けられる
・1962年(昭和37) 文部省より財団法人として学校給食研究改善協会が認可される
・1963年(昭和38) 脱脂粉乳に対する国庫補助(100グラム4円)が実現し、ミルク給食の全面実施が推進される
・1964年(昭和39) 国が共同調理場に勤務する学校栄養職員の設置に要する人件費の2分の1を補助することになる
・1966年(昭和41) 高度へき地学校の全児童生徒に対し、全学国庫補助により、パン・ミルクの無償給食が実施される
・1968年(昭和43) 「小学校学習指導要領」の改正に伴い、小学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置づけられる
・1969年(昭和44) 「中学校学習指導要領」の改正に伴い、中学校の学校給食は「特別活動」の中の「学級指導」に位置付けられる
・1970年(昭和45)1月19日 学校給食に米飯が許可される
・1974年(昭和49) 教育的専門職員として「学校栄養職員」の名称地位が制度上明確になる
・1976年(昭和51) 学校給食制度上に米飯が正式に導入される
・1986年(昭和61) 「学校栄養職員の職務内容について」が文部省体育局長より通知される
・1989年(平成元) 「小学校学習指導要領」、「中学校学習指導要領」が改正され、学校給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられる
・1995年(平成7) 学校給食用脱脂粉乳の輸入自由化に伴い、関税暫定措置法等関係法令が改正され、従来の輸入割当制度から関税割当制度に移行される
・1996年(平成8)7月18日 文部省が「学校給食における衛生管理の改善に関する調査研究協力者会議」を設置し、夏季緊急点検、抽出による食材の点検等が実施される
・1997年(平成9) 「学校給食衛生管理の基準」が定められる
・2004年(平成16) 「学校教育法の一部を改正する法律」が公布され、栄養教諭の役割が明記される
・2005年(平成17)4月、栄養教諭制度がスタートする
・2005年(平成17)6月 「食育基本法」が公布(7月より施行)される
・2006年(平成18) 食育推進基本計画が策定される
・2007年(平成19) 「食に関する指導の手引」が作成される
・2008年(平成20) 中教審答申にて「食育」の必要性が明記される
・2009年(平成21) 「学校給食法」が改正施行され、その目的が「食育」の観点から見直される
・2011年(平成23) 内閣府より公益財団法人として学校給食研究改善協会が認定される
・2012年(平成24) 文部科学省から「学校給食調理従事者研修マニュアル」が発行される
・2013年(平成25) 文部科学省から「学校給食施設・設備の改善事例集」が発行される
・2014年(平成26) 学校給食における食物アレルギー対応に関する調査研究協力者会議から「今後の学校給食における食物アレルギー対応について」最終報告が出る
・2015年(平成27) 文部科学省より「学校給食における食物アレルギー対応指針」が発行される
・2016年(平成28) 文部科学省より小学生用食育教材「たのしい食事つながる食育」が発行される
・2017年(平成29) 文部科学省より「栄養教諭を中核としたこれからの学校の食育」が発行される
・2018年(平成30) 文部科学省「学校給食実施基準」一部改正施行される
・2019年(平成31)3月 文部科学省「食に関する指導の手引(第二次改定版)」発行される

☆学校給食法(がっこうきゅうしょくほう)とは?

 学校給食および学校給食を活用した食に関する指導の実施に関して必要な事項を定めた法律(昭和29年法律第160号)でした。義務教育諸学校における学校給食の実施に関する根拠法律で、「学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。」(第1条)と規定されます。
 学校設置者は学校給食の実施について努力しなければならないとされ、その食の経費については、施設設備費や関係職員の給与費などは設置者が、それ以外は児童生徒の保護者が負担するものとし、国はそれらの経費の一部を補助することができるとしていました。しかし、2009年(平成21)4月1日の改正で、日本における一般的な食生活の現状に鑑み同文言は削除され、かわって「食に関する正しい理解と適切な判断力を養う」点が盛り込まれています。

☆「学校給食法」(昭和29年法律第160号)1954年(昭和29)6月3日公布・施行

 (この法律の目的)

第一条 この法律は、学校給食が児童の心身の健全な発達に資し、かつ、国民の食生活の改善に寄与するものであることにかんがみ、学校給食の実施に関し必要な事項を定め、もつて学校給食の普及充実を図ることを目的とする。

 (学校給食の目標)

第二条 学校給食については、小学校における教育の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
 一 日常生活における食事について、正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
 二 学校生活を豊かにし、明るい社交性を養うこと。
 三 食生活の合理化、栄養の改善及び健康の増進を図ること。
 四 食糧の生産、配分及び消費について、正しい理解に導くこと。

 (定義)

第三条 この法律で「学校給食」とは、前条各号に掲げる目標を達成するために、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に定める小学校、盲学校、ろう学校又は養護学校(以下「小学校等」と総称する。)において、その児童に対し実施される給食をいう。

 (小学校等の設置者の任務)

第四条 小学校等の設置者は、当該小学校等において学校給食が実施されるように努めなければならない。

 (国及び地方公共団体の任務)

第五条 国及び地方公共団体は、学校給食の普及と健全な発達を図るように努めなければならない。

 (経費の負担)

第六条 学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、小学校等の設置者の負担とする。
2 前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費は、学校給食を受ける児童の保護者(学校教育法第二十二条第一項に規定する保護者をいう。)の負担とする。

 (国の補助)

第七条 国は、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、政令で定めるところにより、予算の範囲内において、学校給食の開設に必要な施設又は設備に要する経費の一部を補助することができる。

 (補助の申請等)

第八条 小学校等の設置者は、前条の規定により国の補助を受けようとする場合においては、政令で定めるところにより、文部大臣に補助金の交付申請書を提出しなければならない。
2 文部大臣は、前項の規定により補助金の交付申請書の提出を受けたときは、補助金を交付するかしないかを決定し、その旨を当該小学校等の設置者に通知しなければならない。

 (補助金の返還等)

第九条 文部大臣は、前条第二項の規定により補助金の交付の決定を受けた者が左の各号の一に該当するときは、補助金の交付をやめ、又はすでに交付した補助金を返還させるものとする。
 一 補助金を補助の目的以外の目的に使用したとき。
 二 正当な理由がなくて補助金の交付の決定を受けた年度内に補助に係る施設又は設備を設けないこととなつたとき。
 三 補助に係る施設又は設備を、正当な理由がなくて補助の目的以外の目的に使用し、又は文部大臣の許可を受けないで処分したとき。
 四 補助金の交付の条件に違反したとき。
 五 虚偽の方法によつて補助金の交付を受け、又は受けようとしたとき。

 (小麦等の売渡し)

第十条 国が、食糧管理特別会計の負担において買い入れた小麦又はこれを原料として製造した小麦粉を、農林大臣が文部大臣と協議して定める売渡計画に従い、食糧管理法(昭和十七年法律第四十号)の定めるところにより、学校給食用として売り渡す場合における売渡しの予定価格は、食生活の改善のため必要があるときは、食糧管理法第四条ノ三第二項の規定にかかわらず、農林大臣が定める価格によるものとする。

 (小麦等の用途外使用の禁止)

第十一条 前条に規定する小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者、その者から当該小麦又は小麦粉を学校給食用として買い受けた者及びこれらの者のために当該小麦又は小麦粉を保管する者は、当該小麦又は小麦粉を学校給食以外の用途に供する目的で譲渡し、又は学校給食以外の用途に使用してはならない。

 (報告の徴取)

第十二条 文部大臣又は農林大臣は、第十条に規定する売渡計画の立案又は実施のため必要があるときは、公立又は私立の小学校等の設置者に対し、学校給食に関し必要な事項の報告を求めることができる。

 (政令への委任)

第十三条 この法律に規定するもののほか、この法律の実施のため必要な手続その他の事項は、政令で定める。

   附 則

1 この法律は、公布の日から施行する。
2 食糧管理特別会計法(大正十年法律第三十七号)の一部を次のように改正する。
  附則第七項中「麦ノ売渡」を「麦ノ売渡及学校給食法(昭和二十九年法律第百六十号)第十条ノ規定ニ依ル小麦又ハ小麦粉ノ売渡」に改める。

(大蔵・文部・農林・内閣総理大臣署名) 

   「衆議院ホームページ」より

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Pariskouwakaigi01
 今日は、大正時代の1919年(大正8)に、第一次世界大戦講和のためのパリ講和会議がフランスのパリで始まった日です。
 パリ講和会議(ぱりこうわかいぎ)は、大正時代の1919年(大正8)1~6月に、フフランスのパリで開催された、第一次世界大戦の戦後処理を決めた国際会議で、ヴェルサイユ会議とも呼ばれています。連合国側32か国が参加しましたが、アメリカ大統領ウィルソン、イギリス首相ロイド=ジョージ、フランス首相クレマンソーが実質的に会議を指導しました。
 講和問題だけではなく、国際連盟を含めた新たな国際体制構築についても討議されています。1月18日に、最初の会議がパリのフランス外務省で開かれ、6月28日にベルサイユ宮殿で対独平和条約である「ベルサイユ条約」が調印されて閉幕しました。
 この条約は440条からなり、ドイツに対しては海外植民地の放棄とフランスへのアルザス・ロレーヌ地方やポーランドなどへの領土割譲、ライン川左岸(ラインラント)の非武装化などの軍備制限、オーストリアとの合併禁止、巨額の賠償金1,320億金マルクの支払い、皇帝ヴィルヘルム2世の戦争犯罪人としての訴追が定められています。また、国際労働機構の設置や国際連盟規約などもうたいました。
 講和に向けてアメリカ大統領のW.ウィルソンが発表した十四ヵ条平和構想にはほど遠い不公正な条約となったため、アメリカその他数ヵ国はこの条約に参加していません。ドイツ国民にも大きな不満を呼び起こし、その後の第二次世界大戦の一因になったとされます。
 日本は、講和会議において、山東半島の旧ドイツ権益の無償譲渡、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の割譲、国際連盟規約における人種差別撤廃条項の挿入を主張しましたが、この内、山東半島の旧ドイツ権益の継承、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得たものの、人種差別撤廃条項の挿入は英国の反対により実現しませんでした。
 以下に、「ヴェルサイユ条約」(抜粋)の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇第一次世界大戦関係略年表

<1914年(大正3年)> 
・6月28日 オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻、セルビアで組織された暗殺団に属するプリンチップによってサライエボで暗殺される(サライエボ事件)
・7月28日 オーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアと略記)、セルビアに宣戦布告する
・7月30日 ロシア、総動員令を発令する
・8月1日 ドイツ、ロシアに宣戦布告する
・8月2日 ドイツ、ベルギーに対し領土通過を要求、ベルギーが拒否。ドイツ・オスマン帝国間に秘密同盟条約調印する
・8月3日 ドイツ軍、シュリーフェン・プランに従ってベルギーに進攻。ドイツ、フランスに宣戦布告する
・8月4日 イギリス、ドイツのベルギー中立侵犯を理由としてドイツに宣戦布告する
・8月5日 オーストリア、ロシアに宣戦布告。ドイツ軍、ベルギーのリエージュ要塞を攻撃する
・8月6日 セルビア、ドイツに宣戦布告する
・8月7日 日本の参戦を決定する閣議で外相加藤高明の主戦論大勢を制する(~8月8日)
・8月10日 フランス、オーストリアに宣戦布告する
・8月11日 イギリス、オーストリアに宣戦布告する
・8月15日 日本、ドイツに、ドイツ軍艦の東アジア撤退と膠州湾のドイツ租借地の引き渡しを求める最後通牒を交付する
・8月23日 日本、ドイツに宣戦布告する
・8月26日~8月31日 ドイツ軍、タンネンベルクの戦いでロシア軍を敗走させる
・9月3日 フランス政府、パリからボルドーに移る
・9月5日 イギリス・フランス・ロシア3国、ロンドン宣言を発表する
・9月6日 マルヌ川付近でフランス軍が反撃を開始し、マルヌの戦い始まる(~9月12日)
・9月11日 ドイツのフランス進攻軍右翼、エーヌ川の線まで後退を開始し、西部戦線の膠着化決定的となる
・9月14日 ファルケンハイン、小モルトケにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月19日 イギリス軍、ドイツ領南西アフリカに上陸する
・10月14日 日本海軍、赤道以北のドイツ領南洋諸島を占領する
・10月29日 ドイツ巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍、ロシアのオデッサ(現、ウクライナのオデーサ)、セバストポリを砲撃する
・11月1日 ロシア、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月3日 イギリスおよびフランス、オスマン帝国に宣戦布告する
・11月7日 日本軍、膠州湾岸の青島を占領する
・11月22日 イギリス軍、ペルシア湾岸のバスラを攻略する
・12月8日 イギリス・ドイツ海軍、アルゼンチン沖のフォークランド諸島付近で戦い、ドイツが大敗する

<1915年(大正4年)>
・1月18日 日本政府、中国政府(大総統袁世凱政権)に「対華二十一か条要求」を提出する
・3月18日 イギリス・フランス艦隊、ダーダネルス海峡を猛砲撃する
・4月22日 イーペル(ベルギー)の戦い(~5月25日)でドイツ軍史上初めて毒ガスを使用する
・4月25日 イギリス軍、ダーダネルス海峡のゲリボル半島に上陸する
・4月26日 ロンドン密約調印され、協商国(三国協商)側がイタリアに参戦の代償として南チロールなどを提供することを約束する
・5月3日 イタリア、三国同盟条約を破棄する
・5月7日 イギリス商船ルシタニア号、ドイツ潜水艦に撃沈され、128名のアメリカ人乗客死亡(ルシタニア号事件)。日本政府、「対華二十一か条要求」のうち「希望条項」としての7か条を削除した残りの要求の受諾を迫って、中国政府に最後通牒を交付する
・5月9日 中国政府、日本の最後通牒を受諾する
・5月23日 イタリア、オーストリアに宣戦布告する
・8月10日 外相加藤高明、元老山県有朋の圧力によって辞職、後任は駐仏大使石井菊次郎となる
・8月17日 イギリス商船アラビック号、ドイツ潜水艦に撃沈され、2名のアメリカ人乗客が死亡する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(~9月8日)が行われる
・9月18日 ドイツ政府、アメリカ政府の抗議を受けて潜水艦作戦の自制を決定(アラビック誓約)する
・10月12日 ブルガリア、同盟国側で参戦する
・10月19日 日本政府、イギリス・フランス・ロシア3国のロンドン宣言に加入する
・10月24日 イギリスのエジプト駐在高等弁務官マクマホン、アラブ王国の独立を約束した「マクマホン書簡」をメッカの知事フサインに渡す(フサイン‐マクマホン協定)
・1月1日 ドイツでスパルタクス団結成。袁世凱、皇帝に即位する
・1月6日 イギリス議会で義務徴兵法成立する
・2月21日 ベルダンの戦い始まる(~7月12日)
・3月24日 フランス船サセックス号、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈され、アメリカ人乗客負傷し、アメリカ・ドイツ両国の関係悪化する(サセックス号事件)
・4月24日 スイスのキーンタールで国際社会主義者会議インターナショナル開催(~4月30日)する

<1916年(大正5年)>
・5月4日 ドイツ政府、ふたたび潜水艦作戦の自制を約束し、アメリカ・ドイツ間の関係一時修復に向かう
・5月16日 サイクス‐ピコ協定、最終的に成立する
・5月31日~6月1日 ユトランド沖海戦。イギリス海軍は14隻11万トンを、ドイツ海軍は11隻6万トンを失うが、イギリスの制海権は不動
・6月24日 ソンムの戦い始まる(~11月18日)
・7月3日 第4回日露協約成立する
・8月27日 ルーマニア、オーストリアに宣戦布告する
・8月28日 イタリア、ドイツに宣戦布告する
・8月29日 ヒンデンブルクがファルケンハインにかわってドイツ陸軍参謀総長に就任する
・9月15日 イギリス軍、ソンムの戦いに史上初めて戦車を投入する
・10月9日 寺内正毅内閣成立する
・10月21日 オーストリア首相シュトルク、社会主義者フリードリヒ・アドラーに暗殺される
・11月7日 ウィルソン、アメリカ大統領に再選する
・11月21日 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世死去し、カール1世が即位する
・12月5日 ロイド・ジョージ、アスキスにかわってイギリス首相に就任する
・12月12日 ドイツ首相ベートマン・ホルウェーク、同盟国側の講話提案を発表する

<1917年(大正6年)>
・1月22日 ウィルソン、「勝利なき平和」を提案する
・2月1日 ドイツ海軍、無制限潜水艦戦開始する
・2月3日 アメリカ、ドイツとの国交断絶する
・2月26日 アメリカ商船ラコニア号、ドイツ潜水艦に撃沈される
・3月12日 ペトログラードで労働者兵士ソビエト結成される
・3月15日 リボフを首相とするロシア臨時政府成立。ロシア皇帝ニコライ2世退位し、ロマノフ王朝滅亡(三月革命。ロシア暦では二月革命)する
・4月6日 アメリカ下院、対独宣戦を可決。アメリカ、ドイツに宣戦布告する
・4月16日 レーニン、「封印列車」で亡命先のチューリヒから帰国する
・4月17日 レーニン、「四月テーゼ」を発表する
・4月26日 ロイド・ジョージ、イギリス海軍に商船の護送(コンボイ)実施を命令する
・5月10日 ジブラルタルからイギリス本土向けの初めての護送船団出発する
・6月27日 ギリシア、同盟国側に宣戦布告する
・7月19日 ドイツ国会、平和決議案を可決する
・8月14日 中国、ドイツとオーストリアに宣戦布告する
・9月5日 スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議ふたたび開催される(~9月12日)
・11月2日 バルフォア宣言。石井‐ランシング協定成立する
・11月7日 ロシアのペトログラードでボリシェビキの軍事蜂起成功(十一月革命。ロシア暦では十月革命)する
・11月8日 レーニン、「平和に関する布告」を発表する
・11月16日 クレマンソー、フランス首相に就任。親ドイツ派への弾圧を開始する
・11月26日 ソビエト政権、全ロシア軍に停戦を命令する
・12月22日 ブレスト・リトフスクで、ロシアと同盟国側との講和交渉開始する

<1918年(大正7年)>
・1月8日 ウィルソン、「十四か条」を発表する
・1月28日 フィンランドにロシアからの分離を求める内乱起こる
・2月10日 ブレスト・リトフスクでの講和交渉中断され、ソビエト代表トロツキーは戦争状態終結のみを宣言して引き揚げる
・2月18日 ドイツ軍、ロシアへの攻撃を再開する
・2月23日 ボリシェビキ党中央委員会、ドイツの新しい講和条件の受諾を正式に決定
・3月3日 ソビエト政府、ドイツ側とブレスト・リトフスクで講和条約(ブレスト・リトフスク条約)に調印する
・3月21日 ドイツ軍、「ミヒャエル作戦」によってイギリス軍に対し大攻勢を開始。第二回目のソンムの戦い始まる(~4月5日)
・4月14日 フォッシュ、連合軍最高司令官に就任する
・5月7日 ルーマニア、同盟国側に降伏し、ブカレスト講和条約に調印する
・5月26日 ロシア軍の捕虜になっていたチェコ軍団、チェリャビンスクでソビエト政府に反乱を起こす
・7月15日 マルヌ川方面でドイツ軍大攻勢(第二回目のマルヌの戦い)をかける
・7月18日 英仏の連合軍、フォッシュの作戦に従って反撃開始する
・8月2日 日本政府、シベリア出兵を宣言。英仏軍、アルハンゲリスクに上陸し、対ソ干渉戦争本格化する
・8月3日 イギリス軍、ウラジオストクに上陸する
・8月19日 アメリカ軍、ウラジオストクに上陸する
・9月12日 パーシングの率いるアメリカ第一軍、ベルダン付近で初めて単独で戦い、ドイツ軍に大勝する
・9月15日 バルカン半島での連合軍の大攻勢始まる
・9月29日 ブルガリア降伏し、サロニカで休戦条約に調印する
・10月3日 ヘアトリングにかわり、マックス・フォン・バーデンがドイツ首相に就任し、「十四か条」に基づく休戦を求める覚書をウィルソンに送る
・10月8日 ウィルソンのドイツ政府への回答、ドイツ軍の連合国領土からの撤退を求める
・10月12日 ドイツ政府、ウィルソンの要求を受諾する
・10月26日 参謀次長ルーデンドルフ罷免する
・10月30日 オスマン帝国、レムノス島沖のイギリス巡洋艦上で休戦条約に調印する
・11月3日 ドイツのキール軍港で水兵の反乱起こる。オーストリア、休戦条約に調印する
・11月9日 マックス・フォン・バーデンがドイツ皇帝ウィルヘルム2世の退位を宣言、エーベルトに政権を委譲する
・11月10日 ウィルヘルム2世、オランダへ亡命する
・11月12日 ドイツ代表エルツベルガー、コンピエーニュの森で休戦条約に調印し、第一次世界大戦終わる。オーストリア皇帝カール1世が退位する

<1919年(大正8年)>
・1月18日 パリ講和会議始まる
・6月28日 ドイツ、ベルサイユ条約に調印する
・9月10日 オーストリア、サン・ジェルマン条約に調印する
・11月27日 ブルガリア、ヌイイ条約に調印する

<1920年(大正9年)>
・1月10日 国際連盟が発足する
・6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印する
・8月10日 オスマン帝国、セーブル条約に調印(1923年のローザンヌ条約で、セーブル条約は廃棄)する

☆「同盟国及び連合国とドイツとの平和条約(ヴェルサイユ条約)」(抜粋) 1919年(大正8)6月28日調印

前文(略)

第一編 國際聯盟規約(第一條〜第二十六條)(略)[本書下巻、文書193参照]

第二編 獨逸國の境界(第二十七條〜第三十條)(略)

第三編 歐洲政治條項

第一款 白耳義國

第三十一條〜第三十三條(略)

第三十四條 獨逸國ハ「オイペン」「マルメディー」兩郡ノ全部ニ亙ル地域に對スル一切ノ權利及權原ヲ白耳義國ノ爲ニ抛棄ス

 本條約實施後六月間白耳義國官憲ハ「オイペン」及「マルメディー」ニ於テ登錄簿ヲ公開スヘク前記地域ノ住民ハ同地域ノ全部又ハ一部カ引續キ獨逸國主權ノ下ニ立タムコトヲ希望スル旨右登記簿ニ記入スルノ權利ヲ有ス

 白耳義國政府ハ右民意公表ノ結果ヲ國際聯盟ニ通告スヘク白耳義國ハ聯盟ノ決定ヲ受諾スヘキコトヲ約ス

第三十五條〜第三十九條(略)

第二款 蘆森堡國(第四十條〜第四十一條)(略)

第三款 莱因河左岸

第四十二條 獨逸國ハ莱因河ノ左岸又ハ同河ノ東方五十吉米ニ引キタル線ノ西方ニ在ル同河右岸ニ於テ築城ヲ保有シ又ハ構設スルコトヲ得ス

第四十三條 前條規定ノ境域内ニ於テハ武裝シタル兵力ノ永久又ハ一時ノ駐屯及集合竝各種ノ軍事演習ヲ禁ス動員ノ爲ニスル一切ノ永久施設ノ保持ニ付亦同シ

第四十四條 獨逸國ニシテ其ノ方法ノ如何ヲ問ハス第四十二條及第四十三條ノ規定ニ違反シタルトキハ本條約ノ署名國ニ對シ敵對行爲ヲ爲シ且世界ノ平和ヲ攪亂スルモノト看做サルへシ

第四款 ザール河流域

第四十五條 獨逸國ハ佛蘭西國北部ノ炭鑛破壌ニ對スル補償トシテ又戰爭ニ基ク損害ニ付獨逸國ノ負擔スル全賠償額ノ一部支拂トシテ第四十八條ニ規定スル「ザール」河流域ニ在ル炭鑛ニ對スル完全且絶對ナル所有權及之カ採掘ノ獨占權ヲ何等ノ金銭債務及負擔ヲモ伴フコトナク佛蘭西國ニ譲渡ス

第四十六條〜第四十八條(略)

第四十九條 獨逸國ハ受託者トシテノ國際聯盟ノ爲ニ前記地域上ノ施政權ヲ抛棄ス

 本條約實施後十五年ノ終ニ於テ前記地域ノ住民ヲシテ何レノ主權ニ服スルコトヲ希望スルヤヲ表示セシムヘシ

第五十條(略)

第五款 アルザス、ロレーヌ

 締約國ハ佛蘭西國ノ權利ニ對シ竝「ボルドー」會議ニ於ケル「アルザス」及「ロレーヌ」代表者ノ嚴重ナル抗議ニ拘ラス祖國ヨリ分離セラレタル右兩州人民ノ希望ニ對シ千八百七十一年獨逸國ノ加ヘタル非行ヲ是正スヘキ徳義上ノ義務アルコトヲ認メ左ノ諸條ヲ約定ス

第五十一條 千八百七十一年二月二十六日「ヴェルサイユ」ニ於テ署名セラレタル講和豫備條約及千八百七十一年五月十日ノ「フランクフルト」條約ニ依リ獨逸國ニ譲渡セラレタル地域ハ千九百十八年十一月十一日ノ休戰條約締結ノ日以後佛蘭西國主權ノ下ニ復歸ス

 千八百七十一年以前ニ於ケル國境劃定ニ關スル諸條約ノ規定ハ其ノ效力ヲ囘復スヘキモノトスヘキモノトス

第五十二條〜第七十九條(略)

第六款 澳地利國

第八十條 獨逸國ハ澳地利國ト主タル同盟及聯合國トノ條約ニ依リ決定セラルヘキ國境内ニ於ケル澳地利國ノ獨立ヲ承認シ且嚴ニ之ヲ尊重スヘシ獨逸國ハ國際聯盟理事會ノ同意アル場合ヲ除クノ外該獨立ノ動カスヘカラサルモノナルコトヲ承諾ス

第七款 チェッコ、スロヴァキア國

第八十一條 獨逸國ハ同盟及聯合國ノ旣ニ執リタル措置ニ從ヒ「カルパート」山脈南方「ルテーヌ」人ノ自治地域ヲ含ム「チェッコ、スロヴァキア」國ノ完全ナル獨立ヲ承認シ且之ト共ニ獨逸國ハ主タル同盟及聯合國竝他ノ利害關係國ノ決定シタル「チェッコ、スロヴァキア」國ノ國境ヲ承認ス

第八十二條〜第八十六條(略)

第八款 波蘭國

第八十七條 獨逸國ハ主タル同盟及聯合國ノ旣ニ執リタル措置ニ從ヒ波蘭國ノ完全ナル獨立ヲ承認シ且波羅的海、「ロルツェンドルフ」ノ東方約二吉米ノ地點二至ル迄第二編(獨逸國ノ境界)第二十七條ニ定メタル獨逸國ノ東方國境、次ニ「ジムメナウ」ノ北西方三吉米ニ於テ上部「シレジア」ノ北方境界カ鋭角ヲ爲ス箇所ニ至ル線、次ニ獨逸及露西亞兩國間ノ舊國境トノ接合點ニ至ル迄右上部「シレジア」境界、次ニ「ニーメン」河ノ河流トノ交叉點ニ至ル迄右兩國間ノ舊國境竝前揭第二編第二十八條ニ定メタル東普魯西ノ北境ニ依リ圍繞セラルル地域ニ對スル一切ノ權利及權原ヲ波蘭國ノ爲ニ抛棄ス

第八十八條〜第九十三條(略)

第九款 東普魯西(第九十四條〜第九十八條)(略)

第十款 メーメル

第九十九條 獨逸國ハ波羅的海、第二編(獨逸國ノ境界)第二十八條ニ定メタル東普魯西ノ北東方國境及獨逸露西亞兩國間ノ舊國境ヲ以テ包括シタル地域ニ對スル一切ノ權利及權原ヲ主タル同盟及聯合國ノ爲ニ抛棄ス

   (中略)

第十一款 ダンチッヒ自由市

第百條 獨逸國ハ左記境界内ノ地域ニ對スル一切ノ權利及權原ヲ主タル同盟及聯合ノ爲ニ抛棄ス

第百一條(略) 第百二條 主タル同盟及聯合國ハ「ダンチッヒ」市ヲ第百條ニ揭クル爾餘ノ地域ト共ニ自由市ト爲スコトヲ約ス右自由市ハ國際聯盟ノ保護ノ下ニ置カルへシ

第百三條〜第百八條(略)

第十二款 シュレスウィヒ

第百九條 「獨逸丁抹兩國間ノ國境ハ住民ノ希望ニ從ヒ之ヲ決定ス」此ノ目的ノ爲東方ヨリ西方ニ向ヒ劃シタル左記ノ線(本條約附屬地圖第四號ノ褐色線)ノ北方ニ位スル舊獨逸帝國版圖内ノ住民ヲシテ本條第一號乃至第四號乃條件ノ下ニ行フヘキ投票ニ依リ其ノ希望ヲ表示セシムヘシ

第百十條〜第百十四條(略)

第十三款 ヘリゴランド(第百十五條)(略)

第十四款 露西亞及露西亞諸國

第百十六條 獨逸國ハ千九百十四年八月一日ニ於テ前露西亞帝國ノ一部タリシ一切ノ地域ノ獨立ヲ永久不變ノモノトシテ承認シ且之ヲ尊重スヘキコトヲ約ス

 獨逸國ハ第九編(財政條項)第二百五十九條及第十編(經濟條項)第二百九十二條ノ規定ニ從ヒ「ブレスト、リトウスク」條約竝其ノ露西亞過激派政府ト締結シタル一切ノ條約及取極ノ失效ヲ確認ス

 同盟及聯合國派露西亞國カ本條約ノ原則ニ基ク囘復及賠償ヲ獨逸國ヨリ取得スルノ權利ヲ明確ニ留保ス

第百十七條(略)

第四編 獨逸國外ニ於ケル獨逸國ノ權利及利益

第百十八條 獨逸國ハ本條約ニ定メタル其ノ歐羅巴ニ於ケル國境外ノ地域ニ於テ自國又ハ其ノ同盟國ノ領土内ニ又ハ該領土ニ關シテ有スル一切ノ權利、權原及特權竝發生事由ノ如何ヲ問ハス同盟及聯合國ニ對シテ有スル一切ノ權利、權原及特權ヲ抛棄ス

 獨逸國ハ前項ノ規定實行ノ爲主タル同盟聯合國カ必要ナル場合ニハ第三國ト協議シテ現在又ハ將來ニ於テ執ルコトアルヘキ措置ヲ承認シ且之ニ遵由スルコトヲ茲ニ約ス

 獨逸國ハ殊ニ特定事項ニ關スル左ノ各條ヲ受諾スルコトヲ聲明ス

第一款〜第七款(第百十九條〜第百五十五條)(略)

第八款 山東

第百五十六條 獨逸國ハ千八百九十八年三月六日獨逸國ト支那國トノ間ニ締結シタル條約及山東省ニ關スル他ノ一切ノ協定ニ依リ取得シタル權利、權原及特權ノ全部殊ニ膠州灣地域、鐵道、鑛山及海底電信線ニ關スルモノヲ日本國ノ爲ニ抛棄ス

 青島濟南府間ノ鐵道(其ノ支線ヲ含ミ竝各種ノ附屬財産、停車場、工場、固定物件及車輛、鑛山、鑛業用設備及材料ヲ包含ス)ニ關スル一切ノ獨逸ノ權利ハ之ニ附帶スル一切ノ權利及特權ト共ニ日本國之ヲ取得保持ス

 青島上海及青島芝罘間ノ獨逸國有海底電信線ハ之ニ附帶スル一切ノ權利、特權及財産ト共ニ無償且無條件ニテ日本國之ヲ取得ス

第百五十七條〜第百五十八條(略)

第五編 陸軍海軍及航空條項

 各國軍備ノ一般的制限ノ企圖ヲ實現セシムル爲獨逸國ハ左ニ揭クル陸軍海軍及航空條項ヲ嚴ニ遵守スルコトヲ約ス

第一款 陸軍條項

第百五十九條 獨逸國陸軍ハ左ニ規定スル所ニ從日復員シ且縮少スヘシ

第百六十條 一、獨逸國陸軍ハ千九百二十年三月三十一日迄ニ之ヲ歩兵七師團及騎兵三師團以下ト爲スコトヲ要ス

 獨逸國ヲ組織スル諸邦ノ陸軍總兵員數ハ前記ノ期限以後將校及補充部隊要員ヲ合セ十萬人ヲ超エルコトヲ得ス獨逸國陸軍ハ專ラ其ノ版圍内ノ秩序維持及國境ノ警備ニ從事スヘキモノトス

 將校ノ總員數ハ其ノ編成ノ如何ヲ問ハス司令部ノ要員ヲ合セ四千人ヲ超ユルコトヲ得ス

   (中略)  獨逸國參謀本部及之ニ類似スル一切ノ機關ハ之ヲ廢止スヘク且如何ナル形式ヲ以テスルモ再ヒ之ヲ設置スルコトヲ得ス

第百六十一條〜第百六十三條(略)

第百六十四條 獨逸國カ國際聯盟加入ヲ許容セラルルニ至ル迄同國陸軍ハ本款第二附屬表ノ定數ヲ超ユル數ノ兵器ヲ有スルコトヲ得ス但シ專ラ臨時必要ノ補充ニ供スル爲携帶兵器ニ在リテハ二十五分ノ一、火砲ニ在リテハ五十分ノ一ヲ超エサル範圍内ニ於テ任意其ノ數ヲ增加スルコトヲ得

 獨逸國ハ前記附屬表ノ兵器ノ定數カ其ノ國際聯盟ノ一國ト爲リタル後ト雖聯盟理事會ニ於テ之ヲ修正スル迄引續キ效力ヲ有スヘキコト及此ノ問題ニ關シ聯盟理事會ノ決定ヲ嚴守スヘキコトヲ約ス

第百六十五條〜第百六十七條(略) 第百六十八條 兵器、彈藥其ノ他ノ軍用材料ハ主タル同盟及び聯合國政府ニ通告シテ其ノ承認ヲ經タル地ノ工場又ハ製造所ニ限リ之ヲ製造スルコト得主タル同盟及聯合國政府ハ右工場又ハ製造所ノ數ヲ制限スルノ權利ヲ留保ス

 兵器、彈藥其ノ他一切ノ軍用材料ノ製造、準備、貯藏又ハ設計ヲ目的トスル前記以外ノ設備ハ本條約實施後三月以内ニ總テ之ヲ閉鎖スヘシ承認セラレタル彈藥ノ補給廠トシテ使用スルモノヲ除クノ外一切ノ軍用工場ニ付亦同シ右軍用工場ニ使用スル人員ハ同一期間内ニ之ヲ解傭スヘシ

第百六十九條(略) 第百七十條 獨逸國ニ對スル兵器、彈藥及一切ノ軍用材料ノ輸入ハ嚴ニ之ヲ禁止ス

 百七十規定ハ外國ノ爲ニスル兵器、彈藥及一切ノ軍用材料ノ製造及外國ニ對スル其ノ輸出ニ之ヲ適用ス

第百七十一條〜第百七十二條(略) 第百七十三條 獨逸國ニ於ケル一般義務兵役制度ハ之ヲ廢止スヘシ

 獨逸國陸軍ハ志願兵制度ノミニ依リ之ヲ組織シ且補充スルコトヲ得

第百七十四條〜第百七十七條(略)

第百七十八條 動員又ハ之ニ關スル一切ノ措置ハ之ヲ禁止ス

 如何ナル場合ト雖軍隊、官衙又ハ司令部ハ定員外ノ幹部ヲ有スルコトヲ得ス

第百七十九條(略)

第百八十條 萊因河ノ東方五十吉米ニ引カレタル線ノ西方ニ位スル獨逸國版圍内ニ在ル一切ノ築城工事、堡壘及陸地要塞ハ其ノ武裝ヲ解除シ且防備ヲ撤廢スヘシ

   (中略)

 本城第一項ノ地帶内ニ於テハ其ノ性質ノ如何及重要ノ程度ヲ論セス新築城ノ構設備ヲ禁止ス

   (中略)

第二款 海軍條項

第百八十一條 本條約實施後二月ノ期間滿了後ニ於テ獨逸國常備海軍力ハ左ノ定數ヲ超エサルコトヲ要ス

「ドイチュランド」又ハ「ロートリンゲン」型戰艦 六隻

輕巡洋艦 六隻

驅逐艦 十二隻

水雷艇 十二隻

 又ハ第百九十條ノ規定ニ依リ右艦艇ノ代艦トシテ建造セラルル同數ノ艦艇

 前項ノ海軍力中ニハ潜水艦ヲ包含セサルモノトス

第百八十二條(略)

第百八十三條 本條約實施後二月ノ期間滿了後ニ於テ獨逸國海軍所屬人員ハ艦隊乘員及沿岸防禦、望樓、官衙其ノ他ノ陸上勤務者ヲ合セ各兵種及各階級ノ准士官及下士卒ヲ通シテ一萬五千人ヲ超エサルコトヲ要ス

 准士官以上ノ總員數ハ千五百人ヲ超ユヘカラス

   (中略)

第百八十四條〜第百八十九條(略) 第百九十條 獨逸國ハ第百八十一條ニ規定スル常備艦艇ノ代艦ノ外如何ナル艦艇ヲモ建造又ハ取得スルコトヲ得ス

   (中略) 第百九十一條 獨逸國ニ於テハ如何ナル潜水艦船ヲモ建造又ハ取得スルコトヲ得ス其ノ商業上ノ目的ニ供セラルルモノト雖異ルコトナシ 第百九十二條〜第百九十三條(略) 第百九十四條 獨逸國海軍人員ハ准士官以上ハ繼續二十五年、下士卒ハ繼續十二年ヲ最短期間トスル志願契約ニ依リ總テ之ヲ採用スヘシ

第百九十五條〜第百九十七條(略)

第三款 航空條項 第百九十八條 獨逸國軍ニハ陸軍又ハ海軍ノ航空隊ヲ包含セサルコトヲ要ス

第百九十九條〜第二百二條(略)

第四款〜第五款(第二百三條〜二百十三條)(略)

第六編 俘虜及墳墓(第二百十四條〜第二百二十六條)(略)

第七編 制裁

第二百二十七條(略)[本書下巻、文書234参照] 第二百二十八條 獨逸國政府ハ戰爭ノ法規慣例ニ違反スル行爲アリトシテ訴追セラルル者ヲ軍事裁判所ニ出廷セシムル同盟及聯合國ノ權利ヲ承認ス上記ノ者有罪ト決シタルトキハ之ヲ法ノ定ムル刑罰ニ處スヘシ本規定ハ獨逸國又ハ其ノ同盟國ノ裁判所ニ於ケル訴訟手續又ハ公訴ノ爲其ノ適用ヲ妨ケラルルコトナシ

第二百二十九條〜第二百三十條(略)

第八編 賠償

第一款 一般規定

第二百三十一條 同盟及聯合國政府ハ獨逸國及其ノ同盟國ノ攻擊ニ因リテ強ヒラレタル戰爭ノ結果其ノ政府及國民ノ被リタル一切ノ損失及損害ニ付テハ責任ノ獨逸國及其ノ同盟國ニ在ルコトヲ斷定シ獨逸國ハ之ヲ承認ス

第二百三十二條 同盟及聯合政府ハ獨逸國ノ資源カ本條約ノ他ノ規定ノ結果永遠ニ減少スヘキコトヲ考量シ其ノ右損失及損害ノ全部ニ對シ完全ナル賠償ヲ爲スニ充分ナラサルコトヲ認ム

 然レトモ同盟及聯合國政府ハ其ノ各國ト獨逸國トノ交戰期間内其ノ陸上海上及空中ノ攻撃ニ因リ同盟及聯合國ノ普通人民及其ノ財産ニ對シ加へラレタル一切ノ損害概言スレハ本款第一附屬書ニ揭クル一切ノ損害ニ付補償ヲ要求シ獨逸國ハ之カ補償ヲ爲スヘキコトヲ約ス

   (中略) 第二百三十三條 獨逸國ノ補償スヘキ前記損害ノ總額ハ賠償委員會ト稱スル同盟國國際委員會之ヲ決定スヘシ該委員會ノ組織及權能ハ本款及本款第二乃至第七附屬書ノ定ムル所ニ依ル

第二百三十四條(略) 第二百三十五條 獨逸國ハ同盟及聯合國ヲシテ其ノ請求額ノ確定ニ先チ速ニ其ノ産業及經濟生活ノ囘復ニ著手スルコトヲ得シムル爲賠償委員會ノ定ムル割賦及方法ニ從ヒ(金、貨物、船舶、有価證券其ノ他ヲ以テ)千九百十九年及千九百二十年中竝千九百二十一年四月末日迄ニ二百億「麻」金貨ニ相當スル額ヲ支拂フヘシ

第二百三十六條〜第二百四十四條(略)

第二款 特別規定(第二百四十五條〜第二百四十七條)(略)

第九編 財政條項

第二百四十八條 賠償委員會ノ承認スへキ例外ノ場合ヲ除クノ外本條約又ハ其ノ附屬ノ條約若ハ取極竝休戰期間及其ノ延長期間中獨逸國ト同盟及聯合國トノ間ニ締結セラレタル協定ニ依リ生シタル賠償額其ノ他一切ノ費額ハ獨逸帝國及其ノ各邦ノ一切ノ資産及收入ノ上ニ第一順位ノ優先權ヲ有ス

 獨逸國政府ハ千九百二十一年五月一日ニ至ル迄ハ同盟及聯合國ヲ代表スル賠償委員會ノ承認ヲ豫メ受クルコトナクシテ金ヲ輸出シ又ハ處分スルコトナカルヘク又其ノ輸出又ハ處分ヲ許スコトナカルヘシ

第二百四十九條〜第二百六十三條(略)

第十編 經濟條項(第二百六十四條〜第三百十二條)(略)

第十一編 航空(第三百十三條〜第三百二十條)(略)

第十二編 港、水路及鐵道(第三百二十一條〜第三百八十六條)(略)

第十三編 勞働機關

第一款 勞働機關

 國際聯盟ハ世界平和ノ確立ヲ目的トシ而シテ世界平和ハ社會正義ヲ基礎トスル場合ニ於テノミ之ヲ確立シ得ヘキモノナルニ因リ

 多數ノ人民ニ對スル不正、困苦及窮乏ヲ伴フ現今ノ勞働狀態ハ大ナル不安ヲ醸生シ惹テ世界ノ平和協調ヲ危殆ナラシムヘキニ因リ彼ノ勞働時間ノ制定殊ニ一日又ハ一週ノ最長勞働時間ノ限定、勞働供給ノ調節、失業ノ防止、相應ノ生活ヲ支フルニ足ル賃銀ノ制定、勞務傷害及疾病ニ對スル勞働者ノ保護、兒童年少者及婦人ノ保護、老年及廢疾ニ對スル施設、自國外ニ於テ使用セラルル勞働者ノ利益ノ保護、結社自由ノ原則ノ承認、職業及技術教育ノ組織等ノ如キ手段ヲ以テ前記勞働狀態ヲ改善スルコトハ刻下ノ急務ナルニ因リ

 一國ニ於テ人道的勞働条件ヲ採用セサルトキハ他ノ諸國ノ之カ改善ヲ企圖スルモノニ對シテ障礙トナルヘキニ因リ

 茲ニ締約國ハ正義人道ヲ旨トシ世界恆久ノ平和ヲ確保スルノ冀望ヲ以テ左ノ諸條ヲ協定ス

第三百八十七條 前文記載ノ目的ヲ達セムカ爲茲ニ常設機關ヲ設置ス

 國際聯盟ノ原聯盟國ハ右常設機關ノ原締約國タルヘク今後國際聯盟ノ聯盟國ト爲ルモノハ同時ニ右常設機關ノ締盟國タルヘキモノトス

第三百八十八條〜第三百九十一條(略)

第三百九十二條 國際勞働事務局ハ聯盟機關ノ一部トシテ國際聯盟本部所在地ニ之ヲ設置ス

第三百九十三條〜第四百二十六條(略)

第二款 一般原則(第四百二十七條)(略)


第十四編 保障


第一款 西歐羅巴

第四百二十八條 獨逸國ノ本條約履行ニ對スル保障トシテ同盟及聯合國ノ軍隊ハ本條約實施後十五年間萊因河ノ西方ニ位スル獨逸國領土及萊因河橋頭地域ヲ占領ス

第四百二十九條(略)

第四百三十條 賠償委員會ニ於テ獨逸國カ本條約ニ依リ負擔スル賠償上ノ義務ヲ全部又ハ一部履行セスト認ムルトキハ前記占領中タルト十五年ノ期間滿了後タルトヲ問ハス第四百二十九條ニ定ムル地域ノ全部又ハ一部ハ同盟及聯合國ノ兵力ヲ以テ直ニ之ヲ再占領スヘシ

第四百三十一條〜第四百三十二條(略)

第二款 東歐羅巴(第四百三十三條)(略)

第十五編 雑則(第四百三十四條〜第四百四十條)(略)

[末文及署名](略)

     「現代国際関係の基本文書(上)」一般財団法人鹿島平和研究所編より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1045年(寛徳2)第69代の天皇とされる後朱雀天皇の命日(新暦2月7日)詳細
1467年(応仁元)畠山義就が上御霊社の畠山政長を襲い、応仁の乱が始まる(新暦2月22日)詳細
1657年(明暦3)江戸で明暦の大火(振袖火事)が起こり、死者10万人以上を出す(新暦3月2日)詳細
1911年(明治44)大逆事件で起訴された幸徳秋水ら24人に死刑判決が出される詳細
1915年(大正4)日置益駐中国公使が袁世凱政府に対し「対華二十一箇条要求」を提出する詳細
1944年(昭和19)「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員が強化される詳細
1957年(昭和32)植物学者牧野富太郎の命日詳細
1984年(昭和59)三井三池炭鉱有明鉱(福岡県)で坑内火災が起き、死者83人、負傷者13人を出す詳細
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gashirakawatennou01
 今日は、平安時代後期の1181年(養和元)に、平家により幽閉されていた後白河法皇が、平清盛の死去に伴い院政を再開した日ですが、新暦では2月2日となります。
 院政(いんせい)は、上皇(太上天皇)や法皇(太上法皇)が院庁で政務を行う政治形態のことです。広義には、白河上皇に始まり、江戸時代の光格上皇まで断続するとされますが、狭義には、平安時代後期~鎌倉時代初期に至る白河、鳥羽、後白河、後鳥羽の四上皇による政治を指すとされてきました。
 特に、白河院の応徳3年から平家滅亡の寿永3年頃までの約100年間を院政時代といい、院宣が詔勅・宣旨よりも重んじられたとされます。応徳3年に、白河上皇が後三条天皇の遺志を受け継ぎ、摂関政治を抑制するために、荘園整理と公領の確保を要求する受領層を院近臣 として創始しましたが、保元の乱・平治の乱後は、武家政治と対抗することとなりました。
 しかし、1221年(承久3)の承久の乱で決定的な打撃を受けて、武家政治の優位が確立したとされます。鎌倉時代後期にも、後高倉院,後嵯峨院や大覚寺、持明院両統迭立などにより院政が行われたものの、1322 年(元亨2)の後醍醐天皇の時に院政が廃止され、天皇親政となりました。
 南北朝時代にも院政が行われたものの、室町時代には行われず、江戸時代に入って後陽成天皇の譲位後再び院政が復活します。その後、後水尾、霊元、光格上皇が行ないましたが、1840年(天保11)に光格上皇が亡くなってからは、消滅しました。

〇後白河天皇(ごしらかわてんのう)とは?

 第77代とされる天皇です。平安時代後期の1127年(大治2年9月11日)に、京都において、鳥羽天皇の第四皇子(母は藤原公実の女璋子)として生まれましたが、名は雅仁(まさひと)と言いました。
 1129年(大治4)に曽祖父の白河法皇が亡くなり、鳥羽上皇による院政が開始され、1139年(保延5)に12歳で元服して二品に叙せられます。1143年(康治2)に最初の妃の源有仁の養女・懿子が守仁親王(後の二条天皇)を産んで急死しましたが、1155年(久寿2年7月24日)に近衛天皇が亡くなると、立太子を経ないまま29歳で即位し、第77代とされる天皇となりました。
 1156年(保元元年)に鳥羽法皇が亡くなった後、保元の乱に勝利し、信西(藤原通憲)を重用して政治を取り仕切らせ、新制七ヶ条を制定し、記録所を設置して荘園整理を行い、寺社勢力の削減を図ろうとします。1158年(保元3)には守仁親王(二条天皇)に譲位し、太上天皇となり、上皇として院政(以後、六条天皇、高倉天皇、安徳天皇、後鳥羽天皇と4朝30余年にわたる)を始めました。
 1159年(平治元)の平治の乱に勝利したものの、信西を失ない、平清盛が乱後の実権を握る形で院政は進められます。その後、平氏の全盛期、源平合戦、平氏の滅亡、鎌倉幕府の成立へと進む変革期となりましたが、近臣と共に源平対立を巧みに利用してして対処、王朝権力の維持に努めました。
 一方で、仏道に帰依し、1169年(嘉応元年)に出家して法皇となり、蓮華王院、長講堂等の造寺・造仏、熊野参詣(34回)、高野山、比叡山、東大寺などへの行幸を盛んに行ないます。また、今様を好み歌謡集『梁塵秘抄』 (10巻) 、『梁塵秘抄口伝集』 (10巻) を撰しましたが、1192年(建久3年3月13日)に京都において、数え年66歳で亡くなりました。
 尚、陵墓は京都三十三間堂廻の法住寺陵(現在の京都府京都市東山区)とされています。

〇平清盛(たいら の きよもり)とは?

 平安時代末期の武将・公卿です。1118年(永久6年1月18日)に、伊勢平氏の棟梁であった父・平忠盛の長男(母・祇園女御の妹?)として生まれ(実父は白河法皇という説あり)ましたが、通称は平相国と言いました。
 1153年(仁平3)父・平忠盛が没し、平氏の棟梁となり、1156年(保元元)に保元の乱が起こると、源義朝と共に後白河天皇側について、勝利を得て播磨守、大宰大弐となります。1159年(平治元)の平治の乱では、源義朝らを追討し、源氏一族を政界から追って、急速にその政治的地位を高め、翌年には正三位、参議、大宰大弐如元となりました。
 1164年(長寛2)に、平氏の繁栄を祈願し厳島神社に『平家納経』33巻 (国宝) を納め、1167年(仁安2)には、従一位太政大臣まで上り詰めます。翌年出家し、1171年(承安元)に娘の徳子を高倉天皇の中宮として入内させると、平氏一門で官職を独占しました。
 日宋貿易や三十余国の知行国、全国に500余りの荘園を持つことによって富を得、栄華を極め、「平氏にあらずんば人にあらず」と言わしめます。1178年(治承2)に娘徳子が高倉天皇の第一皇子(後の安徳天皇)を出産、翌年、後白河法皇を幽閉し、政権を完全掌握(治承三年の政変)し、1180年(治承4)には、外孫の安徳天皇を3歳で即位させました。
 しかし、平氏に対する貴族・寺社の不満が強まり、1180年(治承4)に以仁王が平氏追討の令旨を発すると、伊豆の源頼朝などの反平氏勢力が挙兵します。福原遷都、南都焼討で対抗しようとしましたが、平氏軍不振の中で、1181年(養和元)閏2月4日(5日説あり)に、京都において、熱病に冒されて数え年64歳で亡くなりました。

☆院政を実施した上皇・法皇(鎌倉時代まで)

<平安時代後期~鎌倉時代初期>
・白河上皇
・鳥羽上皇
・後白河上皇
・後鳥羽上皇

<鎌倉時代後期>
・後高倉上皇
・後嵯峨上皇
・後宇多上皇

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1874年(明治7)民撰議院設立建白書が出される詳細
1885年(明治18)思想家・作家・ジャーナリスト・社会運動家大杉栄の誕生日詳細
1943年(昭和18)戦費捻出目的でたばこが大幅値上げ(金鵄10銭→15銭、ひかり18銭→30銭、朝日25銭→45銭)される詳細
1944年(昭和19)「緊急国民勤労動員方策要綱」が閣議決定される詳細
1988年(昭和63)西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の愛媛県今治市の伯方島と大島を結ぶ、伯方・大島大橋が供用開始する詳細
1995年(平成7)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起き、死者・行方不明者 6,437人を出す詳細
2017年(平成29)発生生物学者・生物科学の権威岡田節人の命日詳細
2019年(平成31)物理学者米沢富美子の命日詳細
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 今日は、明治時代後期の1912年(明治45)に、大阪明治45年「南の大火」で、死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸を出した日です。
 大阪明治45年「南の大火」(おおさかめいじ45ねんみなみのたいか)は、明治時代後期の1912年(明治45)1月16日未明に、大阪市南区難波新地(現在の中央区難波四丁目付近)を火元とする、明治時代の大阪最後の大火です。この日の午前1時頃、難波新地4番町の湯屋・百草湯の煙筒から噴出した火の粉が、強風によって貸座敷・遊楽館の3階の屋根に引火し、西からの烈風を受けて、一挙に東へ燃え広がり、千日前から日本橋筋をこえ、生国魂神社や谷町九丁目あたりにまで達しました。
 ようやく、10時間後の午前11時になって、第四防火線とした谷町九丁目で、火勢の広がるのを防ぐことができます。これによって、東西1.4km、南北400mに渡って焼失し、罹災面積10,946坪(33.3ha)となり、死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸を出し、劇場・寄席・貸座敷などの他に、生国魂神社、榎神社、明治病院、高津尋常小学校なども被災しました。
 焼け跡には、1914年(大正3)から翌年にかけて、大阪市電九条高津線が敷設され、現在の千日前通の一部区間となっています。尚、1880年(明治13)12月24日には、明治13年大阪南の大火「島の内出火」(死者8名、負傷者350~60名、焼失3,388戸)が起き、1890年(明治23)9月5日には、明治23年大阪大火「新町焼け」(死者1名、軽傷者206名、全焼2,023戸、半焼60戸)も起きていました。
 
〇明治・大正時代の大火一覧(焼失1,000戸以上で、戦火・地震によるものを除く)

・1871年(明治4)9月12日 函館の「切見世火事」(焼失1,123戸)
・1872年(明治5)2月26日 東京の銀座大火(焼失4,879戸)
・1873年(明治6)3月22日 函館の「家根屋火災」(焼失1,314戸)
・1873年(明治6)3月22日~23日 横浜の「相生町の大火」(重軽傷者20余名、焼失1,577戸)
・1874年(明治7)4月27日 浜松明治7年の大火「小野組火事」(焼失家数1,318軒)
・1875年(明治8)4月24日 飛騨高山明治8年の大火(死亡者1名、焼失1,032戸)
・1879年(明治12)1月26日~27日 高崎明治13年の大火(消失2,500余戸)
・1879年(明治12)3月3日 高岡明治12年の大火(焼失2,000余戸)
・1879年(明治12)12月6日 明治12年函館大火(焼失2,326戸)
・1879年(明治12)12月26日 東京の日本橋大火(全焼10,613戸)
・1880年(明治13)5月15日 弘前明治13年の大火(焼失1,000余戸)
・1880年(明治13)5月21日 三条の大火「糸屋万平火事」(死者34名、焼失2,743戸)
・1880年(明治13)8月7日 新潟明治13年の大火(死者3名、負傷名37名、焼失6,175戸)
・1880年(明治13)12月24日 明治13年大阪南の大火「島の内出火」(死者8名、負傷者350~60名、焼失3,388戸)
・1881年(明治14)1月26日 東京の神田の大火(全焼10,673戸)
・1881年(明治14)2月11日 東京の神田区の大火(全焼7,751戸)
・1881年(明治14)4月25日 福島明治の大火「甚兵衛火事」(死者7名、焼失1,785戸)
・1882年(明治15)5月15日 富山県氷見明治の大火(焼失1,600余戸)
・1884年(明治17)5月13日 水戸明治17年「下市の大火」(焼失1,200余戸)
・1884年(明治17)11月7日~8日 盛岡明治17年の大火(焼失1,432戸)
・1885年(明治18)5月31日~6月1日 富山明治18年の大火「安田焼」(死者9名、焼失5,925戸) 
・1886年(明治19)4月30日~5月1日 秋田明治19年の大火「俵屋火事」(死者17名、負傷者186名、焼失3,554戸) 
・1886年(明治19)12月30日 水戸明治19年「上市の大火」(焼失1,800余戸)
・1888年(明治21)1月4日 松本明治21年南深志の大火(死者5名、焼失1,553戸)
・1888年(明治21)1月31日 横浜明治21年野毛の放火による大火(重軽傷者数10人、焼失1,121戸)
・1889年(明治22)2月1日~2日 静岡明治22年の大火(焼失1,100余戸) 
・1890年(明治23)2月27日 東京の浅草大火(全焼1,469戸)
・1890年(明治23)9月5日 明治23年大阪大火「新町焼け」(死者1名、軽傷者206名、全焼2,023戸、半焼60戸)
・1893年(明治26)3月17日~18日 川越大火(焼失1,302戸、土蔵60棟焼失)
・1893年(明治26)3月29日~30日 松阪明治の大火(焼失1,460戸)
・1894年(明治27)5月26日 山形明治27年「市南の大火」(死者15名、負傷者69名、焼失1,284戸) 
・1895年(明治28)4月29日 石川県七尾の大火(焼失1,000余戸)
・1895年(明治28)6月2日~3日 新潟県新発田明治28年の大火(死者4名、負傷者24名、焼失2,410戸)
・1895年(明治28)10月3日 根室明治28年の大火(焼失1,334戸)
・1896年(明治29)4月13日~14日 福井県勝山町明治29年の大火(死者5名、負傷者2名、焼失1,124戸) 
・1896年(明治29)8月26日 函館の「テコ婆火事」(焼失2,280戸)
・1897年(明治30)4月3日 柏崎明治30年の大火「日野屋火事」(焼失1,230戸)
・1897年(明治30)4月22日 八王子大火(死者42名、焼失3,500余戸)
・1898年(明治31)3月23日 東京の本郷大火(死者2名、負傷者42名、焼失1,478戸)
・1898年(明治31)6月4日 直江津(上越市)明治31年の大火「八幡火事」(焼失1,595戸)
・1899年(明治32)8月12日 富山明治32年の大火「熊安焼」(全焼4,697戸、半焼9戸) 
・1899年(明治32)8月12日~13日 横浜明治32年の大火(死者14名、全焼3,124、半焼49戸)
・1899年(明治32)9月15日 明治32年函館大火(焼失2,294戸)
・1900年(明治33)4月18日 福井「橋南大火」(死者11名、負傷者131名、全焼1891軒、半焼3軒)
・1900年(明治33)6月27日 高岡明治33年の大火(死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸)
・1902年(明治35)3月30日 福井明治35年「橋北の大火」(焼失3,309戸)
・1903年(明治36)4月13日 福井県武生町明治の大火(死者7名、重傷者2名、全焼1,057戸)  
・1904年(明治37)5月8日 小樽明治37年「稲穂町の火事」(焼失2,481戸)
・1906年(明治39)7月11日 直江津町(上越市)明治39年の大火「ながさ火事」(焼失1,041戸)  
・1907年(明治40)8月25日 明治40年函館大火(死者8名、負傷者1,000名、焼失12,390戸)
・1908年(明治41)3月8日 新潟明治41年3月の大火(焼失1,198戸)
・1908年(明治41)9月4日 新潟明治41年再度の大火(全焼2,071戸、半焼18戸)
・1909年(明治42)7月31日~8月1日 大阪明治42年「北の大火」(焼失11,365戸)
・1910年(明治43)4月16日 輪島町の大火(全焼1,055軒、半焼15軒)    
・1910年(明治43)5月3日~4日 明治43年青森大火(死者26名、負傷者163名、焼失7,519戸、半焼5戸)
・1911年(明治44)4月9日 東京の吉原大火(全焼6,189戸、半焼69戸)
・1911年(明治44)5月8日 山形明治44年「市北の大火」(全焼1,340戸)
・1911年(明治44)5月16日 小樽明治44年の大火(焼失1,251戸)
・1912年(明治45)1月16日 大阪明治45年「南の大火」(死者4名、全焼4,750戸、半焼等29戸)   
・1912年(明治45)3月21日 東京の州崎大火(全焼1,149戸、半焼11戸)
・1912年(明治45)4月22日 松本明治「北深志の大火」(死者5名、焼失1,341戸)
・1914年(大正3)2月20日 東京神田大正2年三崎町の大火(全焼2,376戸、半焼54戸)
・1917年(大正6)5月22日 大正6年米沢大火(死者11名、負傷者80余名、焼失2,294戸)
・1919年(大正8)5月19日 大正8年米沢大火(死者1名、焼失1,071戸)
・1921年(大正10)4月6日 東京の大正浅草大火(全焼1,227戸、半焼73戸)
・1924年(大正13)5月21日 八戸大火(死者4名、被災戸数1,393棟)
・1925年(大正14)3月18日  大正日暮里大火(全半焼約2,100戸)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1103年(康和5)第74代の天皇とされる鳥羽天皇の誕生日(新暦2月24日)詳細
1905年(明治38)小説家・詩人・文芸評論家伊藤聖の誕生日詳細
1938年(昭和13)第1次近衛内閣が「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず…」(第一次近衛声明)という声明を出す詳細
1941年(昭和16)大日本連合青年団、大日本連合女子青年団、大日本少年団連盟、帝国少年団協会を統合、大日本青少年団が結成される詳細
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1986年(昭和61)洋画家梅原龍三郎の命日詳細
2008年(平成20) 細胞生物学者・医師岡田善雄の命日詳細
日本画家片岡球子の命日詳細
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 今日は、明治時代前期の1873年(明治6)に、「学制」に基づいた日本で最初の小学校、東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)が設立された日です。
 学制(がくせい)は、明治時代前期の1872年9月4日(明治5年8月2日)に、明治新政府から発布された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令です。その序文として「學事獎勵ニ關スル被仰出書」が出され、教育理念が示されました。
 その内容は、四民平等の原則に立って、封建時代の儒教的教育理念を否定し、個人主義、実学主義を教育の原理としたものです。そして、国民皆学を目ざし、立身出世の財本としての学問の普及を理念として、全国を8大学区、1大学区を32中学区、1中学区を210小学区に編成、大学区に大学、中学区に中学、小学区に小学校、各1校ずつを設置しようとし、文部省の中央集権的管理を目ざしました。
 翌年1月15日に、これに基づいた日本で最初の小学校、東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)が設立されています。しかし、義務教育は8年と定められていましたが、費用は住民の負担にしたため、学制に反対する一揆が起こり、1879年(明治12)に廃止になり、「教育令」に切り換えられました。
 以下に、「學事獎勵ニ關スル被仰出書」と「学制」を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「學事獎勵ニ關スル被仰出書」 (全文) 1872年9月4日(明治5年8月2日)発布

學事獎勵ニ關スル被仰出書(學制序文)

太政官布告第二百十四號(明治五壬申年八月二日)

朕人々自ラ其身ヲ立テ、其産ヲ治メ[1]、其業ヲ昌ニシテ[2]、以テ其生ヲ遂ル所以ノモノハ他ナシ、身ヲ脩メ[3]、智ヲ開キ、才藝[4]ヲ長スルニヨルナリ。而テ其身ヲ脩メ、智ヲ開キ、才藝ヲ長スルハ學ニアラサレハ能ハス。是レ學校ノ設アル所以ニシテ日用常行[5]、言語、書算[6]ヲ初メ、士官・農商・百工・技藝及ヒ法律・政治・天文・醫療等ニ至ル迄、凡人ノ營ムトコロノ事、學アラサルハナシ。人能ク其才ノアル所ニ應シ、勉勵シテ之ニ從事シ、而シテ後初テ生ヲ治メ[7]、産ヲ興シ、業ヲ昌ニスルヲ得ヘシ。サレハ學問ハ身ヲ立ルノ財本共云ヘキ者ニシテ、人タルモノ誰カ學ハスシテ可ナランヤ。夫ノ道路ニ迷ヒ、飢餓ニ陷リ、家ヲ破リ、身ヲ喪ノ徒ノ如キハ、畢竟[8]不學ヨリシテカヽル過チヲ生スルナリ。從來學校ノ設アリテヨリ年ヲ歴ルコト久シト雖トモ、或ハ其道ヲ得サルヨリシテ人其方向ヲ誤リ、學問ハ士人以上ノ事トシ、農工商及ヒ婦女子ニ至ツテハ、之ヲ度外[9]ニヲキ學問ノ何物タルヲ辨セス。又士人以上ノ稀ニ學フ者モ、動モスレハ國家ノ爲ニスト唱ヘ、身ヲ立ルノ基タルヲ知ラスシテ、或ハ詞章[10]記誦[11]ノ末ニ趨リ、空理[12]虚談[13]ノ途ニ陷リ、其論高尚[14]ニ似タリト雖トモ、之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス。是即チ沿襲[15]ノ習弊[16]ニシテ文明普ネカラス。才藝ノ長セスシテ、貧乏破産喪家ノ徒多キ所以ナリ。是故ニ人タルモノハ學ハスンハ有ヘカラス。之ヲ學フニハ宜シク其旨ヲ誤ルヘカラス。之ニ依テ、今般文部省[17]ニ於テ學制ヲ定メ、追々敎則[18]ヲモ改正シ、布告ニ及フヘキニツキ、自今以後、一般ノ人民 華士族卒農工商及婦女子 必ス邑ニ不學ノ戸[19]ナク、家ニ不學ノ人[20]ナカラシメン事ヲ期ス。人ノ父兄タル者宜シク此意ヲ體認[21]シ、其愛育ノ情ヲ厚クシ、其子弟ヲシテ必ス學ニ從事セシメサルヘカラサルモノナリ。 高上ノ學ニ至テハ其人ノ材能ニ任カスト雖トモ幼童ノ子弟ハ男女ノ別ナク小學ニ從事セシメサルモノハ其父兄ノ越度タルヘキ事
但從來沿襲ノ弊學問ハ士人以上ノ事トシ、國家ノ爲ニスト唱フルヲ以テ、學費及其衣食ノ用ニ至ル迄多ク官ニ依頼シ、之ヲ給スルニ非サレハ學ハサル事ト思ヒ、一生ヲ自棄[22]スルモノ少カラス。是皆惑ヘルノ甚シキモノナリ。自今以後此等ノ弊ヲ改メ、一般ノ人民他事ヲ抛チ[23]自ラ奮テ必ス學ニ從事セシムヘキ樣心得ヘキ事
右之通被仰出候條、地方官ニ於テ邊隅[24]小民[25]ニ至ル迄不洩樣、便宜解譯ヲ加ヘ、精細申諭文部省規則ニ隨ヒ、學問普及致候樣、方法ヲ設可施行事。

「法令全書」より

【注釈】

 [1]産ヲ治め:さんをおさめ=生計を立てていくこと。
 [2]業ヲ昌ニシテ:ぎょうをさかんにして=家業を盛んにして。
 [3]身ヲ修メ:みをおさめ=自分の行いや心を整え正して。
 [4]才藝:さいげい=才能と技芸。
 [5]日用常行:にちようじょうこう=普段の行動。
 [6]書算:しょさん=読み・書き・そろばん(算数)のこと。
 [7]生ヲ治メ:せいをおさめ=暮らしの道を立てる。
 [8]畢竟:ひっきょう=結局。要するに。
 [9]度外:どがい=範囲の外。考えの外。対象外。
 [10]詞章:ししょう=詩歌や文章。
 [11]記誦:きしょう=記憶しておいて、そらで唱えること。暗唱。
 [12]空理:くうり=現実とかけ離れた、役に立たない理論
 [13]虚談:きょだん=事実に基づかない話。根も葉もない話。つくりばなし。
 [14]高尚:こうしょう=知性や品性の程度が高いこと。気高くて、立派なこと。
 [15]沿襲:えんしゅう=古くからのならわしに従う。
 [16]習弊:しゅうへい=昔からの悪いならわし。
 [17]文部省:もんぶしょう=教育・学業・文化行政の中央行政官庁。
 [18]教則:きょうそく=教育課程・教授法の基準。
 [19]不學ノ戸:ふがくのこ=子供を学校に行かせない家。
 [20]不學ノ人:ふがくのひと=学校に行かない人。
 [21]體認:たいにん=認識すること。
 [22]自棄:じき=自分からだめにすること。自分の身を粗末にして顧みないこと。すてばちになること。
 [23]抛チ:なげうち=捨てる。惜しげもなく差し出す。放棄してかえりみない。
 [24]邊隅:へんぐう=都から遠く離れた土地。辺境。
 [25]小民:しょうみん=一般人民。庶民。

<現代語訳>

 学事奨励に関する仰せ出だされ書

人々が自分自身でその身を立て、その生計を立て、その家業を盛んにして、そのようにしてその一生を成就することができるものはというと、それは他でもない、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことによるものである。そうして、その、自分の行いや心を整え正し、知識を広め、才能と技芸を伸ばすことは、学ばなければ不可能である。これが学校を設置する理由であり、日常普段の行動、言語・読み書き・算数を始め、役人・農民・商人・いろいろな職人・技芸に関わる人、ならびに法律・政治・天文・医療等に至るまで、だいたい人の営むところで学ぶ事によらないものはない。人間はよくその才能のあるところに応じて勉励して学問に従事し、その後に初めて自分の暮らしの道を立て、資産を増やし、家業を盛んにすることができるであろう。従って、学問は立身のための資本ともいうべきものであって、人間たるものは、誰が学問をしないでよいということがあろうか、いやない。その、路頭に迷い、飢餓にはまり、家を破産させ、身を滅ぼすような人たちは、要するに学ばなかったことによって、このような過ちをもたらしたのである。これまで学校が設置されてから長い年月が経過しているとはいっても、あるいはその方法が正しくないことによって人はその方向を誤り、学問は武士階級以上の人がすることと考え、農業・工業・商業に就く人、及び女性や子供に至っては、学問を対象外のものとし、学問がどういうものであるか考えていない。また、武士階級以上の人でまれに学問する者があっても、場合によると学問は国家のためにするのだと唱え、学問が身を立てる基礎であることを知らないで、ある者は詩歌や文章を暗唱するなどの瑣末なことに走ったり、現実とかけ離れた役に立たない理論や事実に基づかない話に陥り、その言っている論理は知性や品性の程度が高いように見えるけれども、これを自分自身が行ったり、実施したりすることができないものが、少なくない。これはつまり、長い間従ってきた古くからの悪い習わしであって、文明が普及せず、才能と技芸が上達しないために、貧乏や破産、家を失う者といった連中が多い理由である。こういうわけで、人間は学問をしなければならないのである。これを学ぶためには、ぜひともその趣旨を誤ってはならない。こういう理由で、このたび文部省で学制を定め、順々に教則を改正し布告していくことになるだろうから、今から後は、一般の人民(華族・士族・卒族・農民・職人・商人及び女性や子供)は、必ず村に子供を学校に行かせない家がなく、家には学校に行かない人がいないようにしたい。人の父兄である者は、よくこの趣旨を認識し、その子弟を慈しみ育てる気持ちを厚くし、その子弟を必ず学校に通わせるようにしなければならない。上級の学校については、その人の才能に任せるが、幼い子弟は男女の別なく、小学校に通わせないことは、その父兄の落ちどであることになること。

ただし、これまでの長期間の悪習となっている学問は武士階級以上の人のことであり、そして学問は国家のためにすることだと唱えることにより、学費及びその衣類・食事の費用に至るまで、多くを官に依拠して、これを給付してくれるのでなければ学問はしないと思い、一生自分の身を粗末にして顧みない者が少なくない。これは皆どうしたらよいか戸惑っていることの甚しいものである。今から以後は、これらの弊害を改め、一般の人民は他の事を投げうって自分から奮闘して必ず学問に従事させるように心得るべきであること。

右の通り仰せ出だされましたので、地方官において、辺境の庶民に至るまで漏らすことのないよう、その時々に応じ、意義を説明してやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及していくように、方法を考えて施行すべきであること。

〇「学制」

大中小学区之事

第一章 全国ノ学政ハ之ヲ文部一省ニ統フ

第二章 全国ヲ大分シテ八大区トス之ヲ大学区ト称シ毎区大学校一所ヲ置ク

第三章 大学区ノ分別左ノ如シ
 第一大区
 東京府 神奈川県 埼玉県 入間県 木更津県 足柄県 印旛県 新治県 茨城県 群馬県 栃木県 宇都宮県 山梨県 静岡県
 計一府十三県東京府ヲ以テ大学本部トス
 第二大区
 愛知県 額田県 浜松県 犬上県 岐阜県 三重県 度会県
 計七県愛知県ヲ以テ大学本部トス
 第三大区
 石川県 七尾県 新川県 足羽県 敦賀県 筑摩県
 計六県石川県ヲ以テ大学本部トス
 第四大区
 大阪府 京都府 兵庫県 奈良県 堺県 和歌山県 飾磨県 豊岡県 高知県 名東県 香川県 岡山県 滋賀県
 計二府十一県大阪府ヲ以テ大学本部トス
 第五大区
 広島県 鳥取県 島根県 北条県 小田県 石鉄県 神山県 山口県 浜田県
 計九県広島県ヲ以テ大学本部トス
 第六大区
 長崎県 佐賀県 八代県 白川県 美々津県 都城県 鹿児島県 小倉県 大分県 福岡県 三潴県
 計十一県長崎県ヲ以テ大学本部トス
 第七大区
 新潟県 柏崎県 置賜県 酒田県 若松県 長野県 相川県
 計七県新潟県ヲ以テ大学本部トス
 第八大区
 青森県 福島県 磐前県 水沢県 岩手県 秋田県 山形県 宮城県
 計八県青森県ヲ以テ大学本部トス
 総計三府七十二県

第四章 北海道ハ当分第八大区ヨリ之ヲ管ス他日別ニ区分スヘシ

第五章 一大学区ヲ分テ三十二中区トシ之ヲ中学区ト称ス区毎ニ中学校一所ヲ置ク全国八大区ニテ其数二百五十六所トス

第六章 一中学区ヲ分テ二百十小区トシ之ヲ小学区ト称ス区毎ニ小学校一所ヲ置ク一大区ニテ其数六千七百二十所全国ニテ五万三千七百六十所トス

第七章 中学区以下ノ区分ハ地方官其土地ノ広狭人口ノ疎密ヲ計リ便宜ヲ以テ郡区村市等ニヨリ之ヲ区分スヘシ

第八章 一中区内学区取締十名乃至十二三名ヲ置キ一名ニ小学区二十或ハ三十ヲ分チ持タシムヘシ此学区取締ハ専ラ区内人民ヲ勧誘シテ務テ学ニ就カシメ且学校ヲ設立シ或ハ学校ヲ保護スヘキノ事或ハ其費用ノ便用ヲ計ル等一切其受持所ノ小学区内ノ学務ニ関スル事ヲ担任シ又一中区内ニ関スル事ハ互ニ相論議シ専ラ便宜ヲ計リ区内ノ学事ヲ進歩セシメンヿヲ務ムヘシ

第九章 学区取締ハ地方官ニ於テ之ヲ命スヘシ
 但其人名ハ本省督学局ニ届クヘシ督学局ハ第十五章ニ見ユ

第十章 学区取締ハ其土地ノ居民名望アル者ヲ撰ムヘシ
 但戸長里正等ヲシテ兼ネシムルモ妨ケナシトス

第十一章 学区取締給料ハ当分其土地ノ情態ニヨリテ之ヲ定ムヘシ此給料ハ土地ヨリ出スヘキモノトス然トモ事実止ヲ得サルモノハ姑ク官ヨリ其幾分ヲ助給スヘシ

第十二章 一般人民華士族[2]農工商及婦女ノ学ニ就クモノハ之ヲ学区取締ニ届クヘシ若シ子弟六歳以上ニ至リテ学ニ就カシメサルモノアラハ委シク其由ヲ学区取締ニ届ケシムヘシ私塾家塾ニ入リ及ヒ已ムヲ得サル事アリテ師ヲ其家ニ招キ稽古セシムルモ皆就学ト云フヘシ

第十三章 学区取締ハ毎年二月区内人民子弟六歳以上ナルモノヽ前年学ニ就モノ幾人学ニ就カサルモノ幾人ト第一号ノ式ノ如ク表ヲ作リ之ヲ地方官ニ出シ地方官之ヲ集メテ四月中督学局ニ出スヘシ

第十四章 官立私立ノ学校及私塾家塾ヲ論セス其学校限リ定ムル所ノ規則及生徒ノ増減進否等ヲ書記シ毎年二月学区取締ニ出スヘシ学区取締之ヲ地方官ニ出シ地方官之ヲ集メテ四月中督学局ニ出スヘシ
 学校ヨリ出ス書記ハ三紙トシ一紙ハ学区取締ニ留置キ一紙ハ地方官ニ留メ一紙ハ督学局ニ出スヲ法トス
 大学及外国教師アル校ニ於テハ直ニ地方官督学局ニ出スモ妨ケナシ
 但大学及外国教師アル校ニ於テモ学区取締其心得ノ為メ規則並ニ生徒ノ増減進否等ヲ知ランヿヲ求メハ丁寧ニ之ヲ告クヘシ

第十五章 大学本部毎ニ督学局一所ヲ設ケ督学ヲ置キ附属官員数名之ニ充テ本省ノ意向ヲ奉シ地方官ト協議シ大区中ノ諸学校ヲ督シ及教則ノ得失生徒ノ進否等ヲ検査シ論議改正スルヿアルヘシ
 但大事ハ決ヲ本省ニ取リ小事ハ其時々之ヲ本省ニ開申スヘシ

第十六章 督学局ニ於テハ毎年学区取締ヨリ出ス所ノ表並ニ諸学校ヨリ出ス所ノ書記トヲ以テ学校及生徒進歩ノ状態並ニ六歳以上ノ男女学ニ就クモノ幾人就カサルモノ幾人等ノ表ヲ製シ本省ニ送リ本省ニテ之ヲ上梓公告スヘシ

第十七章 督学局ハ総テ地方官ト協議スヘシトイヘトモ直ニ学区取締ヲ呼出シ本局ノ意向ヲ諭示スルヿアルヘシ

第十八章 地方官ハ総テ督学局ニ協議スヘシ
 但督学局完全ナラサルノ間ハ総テ本省ニ申出ツヘシ

第十九章 地方官ニ於テハ学務専任ノ吏員一二名ヲ置キ部内ノ学事ヲ担任セシムヘシ其人名ハ兼テ本省並ニ督学局ニ届ケ置クヘシ

○学校ノ事

第二十章 学校ハ三等ニ区別ス大学中学小学ナリ学校教則書ハ別冊アリ

○小学

第二十一章 小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ区分スレハ左ノ数種ニ別ツヘシ然トモ均ク之ヲ小学ト称ス即チ尋常小学女児小学村落小学貧人小学小学私塾幼稚小学ナリ

第二十二章 幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ

第二十三章 小学私塾ハ小学教科ノ免状アルモノ私宅ニ於テ教ルヲ称スヘシ

第二十四章 貧人小学ハ貧人子弟ノ自活シ難キモノヲ入学セシメン為ニ設ク其費用ハ富者ノ寄進金ヲ以テス是専ラ仁恵ノ心ヨリ組立ルモノナリ仍テ仁恵学校トモ称スヘシ

第二十五章 村落小学ハ僻遠ノ村落農民ノミアリテ教化素ヨリ開ケサルノ地ニ於テ其教則ヲ少シク省略シテ教ルモノナリ或ハ年巳ニ成長スルモノモ其生業ノ暇来リテ学ハシム是等ハ多ク夜学校アルヘシ

第二十六章 女児小学ハ尋常小学教科ノ外ニ女子ノ手芸ヲ教フ

第二十七章 尋常小学ヲ分テ上下二等トス此二等ハ男女共必ス卒業スヘキモノトス教則別冊アリ
 下等小学教科
 一 字綴 読並盤上習字
 二 習字 字形ヲ主トス
 三 単語 読
 四 会話 読
 五 読本 解意
 六 修身 解意
 七 書牘 解意並盤上習字
 八 文法 解意
 九 算術 九々数位加減乗除但洋法ヲ用フ
 十 養生法講義
 十一 地学大意
 十二 理学大意
 十三 体術
 十四 唱歌 当分之ヲ欠ク
 上等小学ノ教科ハ下等小学教科ノ上ニ左ノ条件ヲ加フ
 一 史学大意
 二 幾何学罫画大意
 三 博物学大意
 四 化学大意
 其他ノ形情ニ因テハ学科ヲ拡張スル為メ左ノ四科ヲ斟酌シテ教ルヿアルヘシ
 一 外国語学ノ一二
 二 記簿法
 三 画学
 四 天球学
 下等小学ハ六歳ヨリ九歳マテ上等小学ハ十歳ヨリ十三歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス但事情ニヨリ一概ニ行ハレサル時ハ斟酌スルモ妨ケナシトス

第二十八章 右ノ教科順序ヲ蹈マスシテ小学ノ科ヲ授ルモノ之ヲ変則小学ト云フ
 但私宅ニ於テ之ヲ教ルモノハ之ヲ家塾トス

○中学

第二十九章 中学ハ小学ヲ経タル生徒ニ普通ノ学科ヲ教ル所ナリ分テ上下二等トス二等ノ外工業学校商業学校通弁学校農業学校諸民学校アリ此外廃人学校アルヘシ
 下等中学教科
 一 国語学
 二 数学
 三 習字
 四 地学
 五 史学
 六 外国語学
 七 理学
 八 画学
 九 古言学
 十 幾何学
 十一 記簿法
 十二 博物学
 十三 化学
 十四 修身学
 十五 測量学
 十六 奏楽 当分缺ク
 上等中学教科
 一 国語学
 二 数学
 三 習字
 四 外国語学
 五 理学
 六 罫画
 七 古言学
 八 幾何代数学
 九 記簿法
 十 化学
 十一 修身学
 十二 測量学
 十三 経済学
 十四 重学
 十五 動植地質鉱山学
 下等中学ハ十四歳ヨリ十六歳マテ上等中学ハ十七歳ヨリ十九歳マテニ卒業セシムルヲ法則トス

第三十章 当今中学ノ書器未タ備ラス此際在来ノ書ニヨリテ之ヲ教ルモノ或ハ学業ノ順序ヲ蹈マスシテ洋語ヲ教ヘ又ハ医術ヲ教ルモノ通シテ変則中学ト称スヘシ
 但私宅ニ於テ教ルモノハ之ヲ家塾トス

第三十一章 当今外国人ヲ以テ教師トスル学校ニ於テハ大学教科ニ非サル以下ハ通シテ之ヲ中学ト称ス

第三十二章 私宅ニアリテ中学ノ教科ヲ教ルモノ教師タルヘキ証書ヲ得ルモノハ中学私塾ト称スヘシ其免状ナキモノハ之ヲ家塾トス

第三十三章 諸民学校ハ男子十八歳女子十五歳以上ノモノニ生業ノ間学業ヲ授ケ又十二歳ヨリ十七歳マテノ者ノ生業ヲ導カンカ為メ専ラ其業ヲ授ク故ニ多ク夜分ノ稽古アラシムヘシ

第三十四章 農業学校ハ小学ヲ経テ農業ヲ治メントスルモノヽ為ニ設ク

第三十五章 通弁学校ハ専ラ通弁ノ事ヲ主トス或ハ商人等交易ノ為メ専ラ通弁ノミヲ志スモノ此校ニ入ル
 但外国教師アリト雖トモ只語学ノミヲ教ル者ハ之ヲ通弁学校ト称ス

第三十六章 商業学校ハ商用ニ係ルヿヲ教フ海内繁盛ノ地ニ就テ数所ヲ設ク

第三十七章 工業学校ハ諸工術ノヿヲ教フ

○大学

第三十八章 大学ハ高尚ノ諸学ヲ教ル専門科ノ学校ナリ其学科大略左ノ如シ
 理学 化学 法学 医学 数理学

第三十九章 小学校ノ外師範学校アリ此校ニアリテハ小学ニ教ル所ノ教則及其教授ノ方法ヲ教授ス当今ニ在リテ極メテ要急ナルモノトス此校成就スルニ非サレハ小学ト雖トモ完備ナルヿ能ハス故ニ急ニ此校ヲ開キ其成就ノ上小学教師タル人ヲ四方ニ派出センヿヲ期ス

○教員ノ事

第四十章 小学教員ハ男女ヲ論セス年齢二十歳以上ニシテ師範学校卒業免状或ハ中学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルヿヲ許サス

第四十一章 中学校教員ハ年齢二十五歳以上ニシテ大学免状ヲ得シモノニ非サレハ其任ニ当ルヿヲ許サス

第四十二章 大学校教員ハ学士ノ称ヲ得シモノニ非サレハ許サス

以上三章ハ其目的ヲ示ス数年ノ後ヲ待テ之ヲ行フヘシ後章ハ現今ノ位ニ応シテ之ヲ許スモノトス

第四十三章 私学私塾及家塾ヲ開カント欲スル者ハ其属籍住所事歴及学校ノ位置教則等ヲ詳記シ学区取締ニ出シ地方官ヲ経テ督学局ニ出スヘシ

第四十四章 私学私塾教員タルモノ総テ規則ニ違ヒ或ハ不行状アル時ハ之ヲ譴責シ又ハ之ヲ止メシムルヿアルヘシ

第四十五章 師範学校ニ於テ教授ヲ受ケタル教員ハ他ノ職務ヲ兼ネ及他ニ転スヘカラサルヲ法トス

第四十六章 小学教員ハ男女ノ差別ナシ其才ニヨリ之ヲ用フヘシ

第四十七章 教員生徒ヲ教授スルノ功他ニ秀越スルモノアル時ハ公私学校私塾ヲ問ハス督学局地方官ト協議シ之ヲ本省ニ乞テ之ニ褒賞ヲ与フ

生徒及試業ノ事

第四十八章 生徒ハ諸学科ニ於テ必ス其等級ヲ蹈マシムルヿヲ要ス故ニ一級毎ニ必ス試験アリ一級卒業スル者ハ試験状ヲ渡シ試験状ヲ得ルモノニ非サレハ進級スルヲ得ス

第四十九章 生徒学等ヲ終ル時ハ大試験アリ小学ヨリ中学ニ移リ中学ヨリ大学ニ進ム等ノ類
 但大試験ノ時ハ学事関係ノ人員ハ勿論其請求ニヨリテハ他官員トイヘトモ臨席スルヿアルヘシ

第五十章 私学私塾生徒モ其義前二章ニ同シ

第五十一章 試験ノ時生徒優等ノモノニハ褒賞ヲ与フルヿアルヘシ

第五十二章 生徒ノ内学業鋭敏後来大成スヘキノ目的アレトモ学資ヲ納ルヿ能ハス及其衣食ヲ給スルヿ能ハサルモノニハ費用ヲ給貸スルヿアルヘシ但成業ノ後年割ヲ以テ之ヲ償フトモ或ハ官ニ奉事シテ使役ヲ受ルトモ命ニ随フヘキノ証書ヲ出サシメ年限ヲ定メ其費用ヲ貸与ス是ヲ三等ニ分ツ年割ヲ以テ償ヒ還スハ其学業ヲ離テ五年ノ後ヨリスヘシ病死等アルトキハ之ヲ棄ツ
 公費ヲ受ル二年ノ者
 同三年ノ者
 同五年ノ者
 此生徒八大区ニ平分シテ全国千五百人ト限ル故ニ缺員アルニ非サレハ増加スルヿヲ得ス
 二年公費ヲ受クル者ハ官ニ使役スルヿ四年償還スルハ六年ヲ以テス
 三年ノ者ハ使役七年償還九年
 五年ノ者ハ使役十一年償還十五年
 此生徒一人ノ費用一年百二十両一切官ニ於テ之ヲ賄フ
 但使役ノ間ハ相当ノ歳俸ヲ給スルハ勿論タルヘシ若其役ヲ奉セサルモノハ前ノ官費ヲ償フヘシ

第五十三章 私学私塾生徒モ其義前章ニ同シ

第五十四章 生徒ニ費用ヲ給貸スルニハ其父兄及本人ヨリ証書ヲ出サシメ且其修業シタル学科ノ証書ヲ出サシム検査法及証書式等ハ別冊アリ

第五十五章 生徒ニ費用ヲ給貸スルニハ其学業ヲ授ケシ教師ヨリ其生徒学業鋭敏後来大ニ成ルヘキノ目的アルノ状並ニ其曽テ進級セシ処ノ学科ノ証書ヲ具ヘ幾年ノ公費ヲ給スヘキ云々等教師見込ヲ詳記シ之ヲ督学局ニ達スヘシ校長アル校ニ在テハ校長[2]其見込ヲ添ヘ之ヲ達スヘシ督学局之ヲ地方官ニ議シ其貧困ノ状ヲ詳ニシ而シテ後其学業ヲ試験シ本省ヘ申達スヘシ
 但此生徒ハ公私大中小学ニ抅ハラス且試験ハ地方官学務掛立会ヲ以テ法トスヘシ

第五十六章 師範学校ノ生徒ハ第五十二章ニ定ムル所ノ生徒員数ノ内ヨリ之ヲ採ルヘシ
 但当今設クル所ノ師範学校ノ生徒ハ此限ニアラス

第五十七章 第五十二章ニ定ム所ノ生徒ノ外ニ公撰生ヲ設ク此ノ公撰生ハ他日之ヲ論定ス

海外留学生規則ノ事

第五十八章 海外留学生徒ハ都テ本省ニ於テ之ヲ管轄ス

第五十九章 留学免状ハ本省ニ於テ渡スヘシ
 但渡海免状ハ外務省ヨリ受取リ相渡スヘシ

第六十章 留学中諸般ノ事件ハ弁務使ヘ依頓シ其指令ニ従フヘシ且生徒ノ中人撰ノ上生徒総代ノ者一人或ハ幾人弁務使ヨリ申付ヘシ

第六十一章 留学ニ官撰ト私願トノ別アリ官私共都テ本省ニ於テ之ヲ達スヘシ

第六十二章 官撰留学生ヲ撰ムニ二等ノ差アリ一ヲ初等留学生トシ一ヲ上等留学生トス

第六十三章 初等留学生ハ中学卒業ノモノヨリ撰ム上等留学生ハ大学ノ学科卒業ノモノヨリ撰ム

第六十四章 初等留学生ハ禀性誠実達敏ニシテ十九歳以上二十五歳迄ノ者小学初級ヨリ順次進級シ中学ノ課程ヲ卒業セシ証書アルモノヲ公ニ撰挙スヘシ
但国内大学校ニ入リテ研業センヿヲ願フ者ハ撰ニ当ル人トイヘトモ[1]其情願ニ任スヘシ

第六十五章 初等留学生ヲ撰ムニハ其学業ヲ授ケシ教師ヨリ生徒中学卒業試験ノ証書ヲ具ヘ其撰挙見込ヲ詳記シ之ヲ督学局ニ達ス督学局之ヲ試験シ甲第ノモノハ即チ其試験ノ始末ヲ詳記シ本省ニ出シ其允可ヲ得ルヲ法トス
 但試験ノ時ハ本省官員ハ勿論其請求ニヨリテハ他官員タリトモ臨席スルヿアルヘシ

第六十六章 官撰留学生ハ第六十四章第六十五章ニ定ル所ノ規則ニ随ヒ其進級ノ順序確実ニシテ後来成業ノ目的アルニ於テハ生徒公私ノ差別アルヿナシ

第六十七章 官撰留学生ノ学科ハ官ヨリ命スヘシト雖モ当人ノ望ミト其教師ノ見込トニヨルヿアルヘシ故ニ当人ノ望ミ其ノ科ヲ修業スルニアレハ教師ノ思考果シテ適当スルヤ否ヲ詳記シ試験ノ節教師ヨリ之ヲ出スヲ法トス
 但此記載ハ両紙ヲ出スヘシ一紙ハ之ヲ本省ニ留メ一紙ハ之ヲ弁務使ニ遣ハス

第六十八章 官撰留学生外国ヘ着セハ某地ニアリテ某ノ学校ニ入リ某ノ人ニ従テ某科ヲ学フ等ノ事ヲ詳記シ本省ヘ届クヘシ
 但シ八ケ月ヲ越テ其報ナキ時ハ即弁務使ニ掛合ヒ呼戻スヘシ

第六十九章 官撰留学生ハ外国ニアリテ学科進級ノ時ハ必ス本省ニ届クヘシ

第七十章 官撰留学生帰 朝ノ時ハ某外国ニアリテ研業セシ所ノ状ヲ具シ本省ヘ出スヘシ本省ニ於テ之ヲ試験スルヲ法トス
 但外国ニ於テ大学卒業ノ免状アルモノハ試験ニ及ハス

第七十一章 大学校ニ於テ専門ノ学科ヲ卒業セシモノハ官撰ヲ以テ順次順次トハタトヘハ大学科卒業ノモノ幾人アルニ教師試験ヲナシ其内甲第ノモノ一人若クハ二人ヲ採リテ上等生ノ撰ニ当ツヘシ而シテ下第ノモノハ半年若クハ一年ヲ経テ前ノ如ク撰擢スルヲ云フ海外ニ派出シ其業ヲシテ一層精密錬熟セシム是ヲ上等留学生トス

第七十二章 初等留学生ハ通常年限満五年ニ過クヘカラス

第七十三章 上等留学生ハ通常年限満三年トスヘシ

第七十四章 初等留学生ハ一年ノ定員百五十人ト定ム

第七十五章 上等留学生ハ定員ナシトイヘトモ多キモ三十人ニ過クヘカラス

第七十六章 大学設置ノ日ニ当ツテ中等留学生ヲ設クルハ其時ニヨルヘシ

第七十七章 初等留学生学資
 初二年 九百ドルラル
 但止ムヲ得ス都下ニ滞在スヘキモノハ千ドルラルヲ給スヘシ
 後三年 千ドルラル
 但往返途中旅費ハ定限ノ外タリ支度料ハ上程前学資一ケ月分ニ当ル高ヲ賜フ

第七十八章 上等留学生学資
 千五百ドルラルヨリ千八百ドルラル迄
 但往返旅費支度料前章ニ同シ

第七十九章 私願留学生ハ官費ニ拘ラストイヘトモ学科上ニ於テハ官撰留学生ニ准スヘシ唯精密ノ検査ヲ受ケサルノミ

第八十章 留学私願ノモノハ其教師ヨリ見込ヲ詳記スルヿ第六十五章ノ如クシ之ヲ本省ニ出スヘシ本省ニ於テ其見込書ヲ以テ検査ノ上可否スヘシ
 但研業セシ所ノ学科規則ニ入ラサルモノハ留学ノ名義ヲ免サス

第八十一章 私願留学ハ年限其人ノ望ミニ任スヘシ
 但一ケ年大概六七百ドルラル以上ヲ費スニ非サレハ留学為シ難キヲ以テ其員数ヲ出スヿ能ハサルモノハ之ヲ許サス

第八十二章 留学中居所転換ハ官私共止ムヲ得サル事故アルニ非サレハ容易ニ許サス必弁務使ノ指揮ヲ待ヘシ

第八十三章 留学中疾病事故等アルトキハ其費別ニ弁務使ヨリ受取リ私費留学ノモノハ此地ニ於テ之ヲ本省ヘ上納スヘシ

第八十四章 公費ノ生徒ハ上程ノ節学費一年分ヲ渡シ翌年ヨリハ前半年分米国ハ前年九月欧洲ハ前年七月後半年分米国ハ其年ノ三月欧洲ハ其年ノ正月本省ヨリ弁務使ヘ迴送スヘシ私費ノモノモ之ニ同シ故ニ私費ノ分ハ前以テ本省ニ納ムヘシ

第八十五章 官撰留学生ハ帰 朝ノ上必官ニ奉職スルカ又ハ官費ヲ償還スルカ共ニ命ニ随フヘキノ証書ヲ出スヿ等第五十二章ニ同シ
 但奉職十一年償還十五年ヲ限トス

第八十六章 生徒留学中言行ヲ慎ミ学業ヲ勉メ国体ヲ汚サヽルヤウ日夜心ヲ用ユヘシ若シ懶惰或ハ不行状ニシテ前途ノ見込之ナキモノハ直ニ之ヲ呼戻スヘシ

第八十七章 其地ノ弁務使ニ於テ常ニ生徒ヲ監視シ毎年生徒ノ勤惰進退等明細表ヲ作リ之ヲ本省ヘ送リ即本省ニ於テ上梓公告スヘシ

第八十八章 時ニ因テ留学ノ定規ヲ変スヘキ件々ハ本省ト弁務使ト絶ヘス往復商量シテ之ヲ改ムヘシ

○学費ノ事

第八十九章 学事ニ関係スル官金ハ定額ニヨリ本省ニ於テ一切之ヲ管知スルヿ
 但教育ノ設ハ人々自ラ其身ヲ立ルノ基タルヲ以テ其費用ノ如キ悉ク政府ノ正租ニ仰クヘカラサル論ヲ待タス且広ク天下ノ人々ヲシテ必ス学ニ就カシメンヿヲ期スレハ政府正租ノ悉ク給スル所ニアラス然レトモ方今ニアツテ人民ノ智ヲ開クヿ極メテ急務ナレハ一切ノ学事ヲ以テ悉ク民費ニ委スルハ時勢未タ然ル可カラサルモノアリ是ニ因テ官力ヲ計リ之ヲ助ケサルヲ得ストイヘトモ官ノ助ケアルヲ以テ従来ノ弊ニ依著ス可ラス御布告ニヨル

第九十章 凡人民ヲシテ学ニ就カシムル勉メテ広普ナルヲ欲ス故ニ官金ヲ以テ学事ヲ助クルモノノ如キハ必民ノ及ハサルモノヲ助クルニアリ決シテ偏重ノ事アルヘカラス士ヲ学ハシメテ農工商ヲ学ハシメス或ハ富者ニ衣食ヲ給シテ学ハシメ貧ナル者学フヿヲ得ス或ハ一人ニ数百金ヲ費ヤシテ学ハシメ衆人学フヿヲ得サル類ノ如キヿ有ルヘカラス

第九十一章 生徒衣食ノ費用或ハ官金ヲ以テ之ニ給シ以テ当然トス是従来ノ弊ナリ公私学校ノ生徒衣食ノ用ヲ供スルヿ一切之ヲ廃止スヘシ

第九十二章 当今学事ヲ助クルニ官金ヲ以テスルモノ左ノ目的ノ外ニ出ツヘカラス
 一外国教師ノ俸給並ニ外国人ニ係ル費用方今才芸ヲ進ムルニハ外国芸術ノ実用ヲ採ルニアリ即外国教師ヲ仮ラサルヲ得ス而シテ[24]此俸給ハ生徒弁シ得ルヿ能ハス仍テ官ヨリ之ヲ助ク
 一大学校ノ営繕及大学校ニ備フヘキ書籍器械学校営繕ノ如キハ完全ナルニ非サレハ姑息ノ弊止マスシテ生徒ノ学業ヲ妨クル甚多シタトヒ完全ナラスト雖トモ其費用少シトセス究理舎密其他百工技術必器械ヲ以テ之ヲ教授ス此等ノ費生徒悉ク弁シ得ル能ハス仍テ官ヨリ之ヲ助ク
 一中学校ニ於テモ前ニ同シ
 一生徒ニ費用ヲ給貸スルノ費第五十二章ヲ見合スヘシ及留学生公撰生ノ費用
 一学区ヲ助クル費第九十八章第九十九章第百章ニ載スル所ヲ見合スヘシ

第九十三章 諸学校ニ於テ需ツ所ノ費用ノ条件左ノゴトシ
 一教師ノ歳俸或ハ其居宅ノ屋賃
 一学区取締給料
 一学校僕役入費
 一学校造営及修理ノ入費或ハ人家ヲ借テ学校トスル時ハ其借賃
 一学校諸器械教授器械或ハ修覆
 一学校ニ用ル薪炭油筆紙墨ノ費
 一試業ノ入用
 一体術器械ノ入用
 此数件ノ全費ハ生徒之ヲ弁スヘキモノナリ然レトモ悉ク生徒ヨリ出サシムルトキハ生徒ノ力及ハスシテ学業之力為ニ滞稽スヘシ故ニ官ヨリ之ヲ助クト雖トモ生徒固ヨリ幾分ノ受業料ヲ納メサル可ラス

第九十四章 大学校ニアリテハ生徒ノ受業料一月七円五十銭ヲ相当トス外ニ六円四円ノ二等ヲ設ケ相当ノ受業料ヲ納ル能ハサルモノヽ為ニス中学校ニアリテハ一月五円五十銭ヲ相当トス外ニ三円五十銭二円ノ二等ヲ設ク小学校ニアリテハ一月五十銭ヲ相当トス外ニ二十五銭ノ一等ヲ設ク
 但相当ノ受業料ヲ納ル能ハサルモノハ戸長里正之ヲ証シ学区取締ヲ経テ其学校ニ出シ許可ヲ受クヘシ

第九十五章 一家二人ノ子弟ヲ学校ニ入ル者ハ戸長若クハ里正ノ証ヲ待タスシテ其由ヲ陳シ下等ノ受業料ヲ納ムヘシ三人以上アル時ハ二人ノ外受業料ヲ出スニ及ハス

第九十六章 諸学校に於テハ第九十四章定ル所ノ受業料ヲ以テ便宜ヲ計リ其学校ヲ保護スルヿヲ要スヘシ然レトモ生徒ノ多少ト学校ノ高下トニヨツテ其保護スルノ費過不足ヲ生スヘシコレハ其校ノ情態ニ応シ少シク受業料ヲ斟酌スルヿ妨ケナシトス
 但大学校及外国教師アル中学校ニ於テハ多分ノ不足生スルハ言ヲ待タス是官ノ助カアル所以トイヘトモ各校ノ情態同ラサルモノアルヲ以テ之ニ応シ亦少シク受業料ヲ糾酌スルヿアルヘシ中小学校トイヘトモ学区人民ノ貧富等ニヨツテハ少シク斟酌スルモ妨ケナシ

第九十七章 定ル所ノ受業料ハ当今ニアリテ一概ニ行ハレサル事アラハ便宜ニ随ヒ各区ノ情態及学校ノ事情ニヨリテ暫ク下等ヨリ少ク定ムルヿアルヘシ

第九十八章 凡学校ヲ設立シ及之ヲ保護スルノ費用ハ中学ハ中学区ニ於テシ小学ハ小学区ニ於テ其責ヲ受クルヲ法トス故ニ官金ヲ以テ之ヲ助クルモノハ学区ヲ助クルモノナリ区ノ情態ニヨリ人口ニ平均シ毎年出金セシムルカ或ハ一時富人ヨリ出金セシムルカ或ハ地方ニテ旧来ノ積金等学校ニ費ヤシテ妨ケナキモノアルトキハ其金ヲ以テ融通セシムルカ其他幾様ノ便宜ハ土地ノ事情ニ随フヘシ

第九十九章 教育ヲシテ普及ナラシメンカ為メ府県ニ委托シ其学区ヲ助クルノ金額左ノ如シ
 人員男女共一万人ニ付━━━━━━ノ割
 金━━━━━━━━━━━両三府七十二県
 此金高━━ハ其三分ノ二ヲ出シ━━━迄学区其他今般定ル所ノ規則ヲ立ツ可キノ基礎ヲ定ムヘシ基礎巳ニ定ツテ此全額ヲ出ス
 此金額ハ━━━ヨリ向五ケ年━━━ヲ一期トシテ之ヲ定ム一期以後ノ増減ハ其時ノ議決ニヨルヘシ
 此金ノ遣払ハ毎年六ケ月毎ニ詳記シ本省ヘ届クヘシ本省ニ於テ委シク上梓公告スヘシ

第百章 前章定ムル所ノ金額ハ務テ民力ノ及ハサル所ヲ助クルヲ以テ目的トス是故ニ尋常容易ノ事ニ使用スヘカラス
 但此金専ヲ小学ヲ広普シテ学則完整ナラシムルカ為ニ用フヘシタトヘハ小学校ヲ設立セシメン為学区積金ノ幾分ヲ助ケ学区ニ托シ其使用ヲ為スヿ学区貧ニシテ力足ラサル時其幾分ヲ助クルヿ止ムヲ得サル情故アリテ小学教師ヲ官ヨリ遣ス時其給俸ヲ助クルヿ貧困ノ生徒受業料ヲ出スヿ能ハサルモノニ其幾分ヲ助クルヿ完全ノ学校ヲ設クル為メ其営繕等ノ用ヲ一時融通スルヿ器械書籍体術等ヲ備フル為メ一時融通スルヿ学区取締ノ給料幾分ヲ助クルヿ等

第百一章 額金ノ内五分ヲ引キ別ニ之ヲ備ヘ置キ師範学校ニ於テ教授ヲ受ケシモノ後来小学ノ教師トナル時ニ其給料ヲ与フルノ助ケトスヘシ
 但此俸給ハ学区ニ於テ弁スヘキモノトイヘトモ[1]現今ノ事情イマタ茲ニ至ラサルモノアルヲ以テ官暫ク之ヲ助ケサルヲ得ス

第百二章 当今外国教師アル学校ヲ保護スルノ費用ハ本省ヨリ直ニ之ヲ管理ス地方官其情状ヲ具シテ本省ニ達スヘシ私ニ外国人ヲ雇入タル学校ハ此限ニアラス

第百三章 将来大中学ヲ設ケ及之ヲ保護スルノ費用モ前ニ同シ
 但其教員アルヲ待テ追々設立スヘシ

第百四章 変則中小学費用ハ地方官ノ見込ニヨリ之ヲ処分スヘシ
 但其事実ヲ具シ本省ニ届クヘシ

第百五章 凡大中小学校ノ営繕ハ公私共務テ完全ナルヲ期ス若目前ノ速成ヲ欲シテ事姑息ニ渉ラハ到底得ル所ナカルヘシ故ニ其力ヲ計リ今年其一ヲナシ明年其二ヲナシ順次進歩数年ヲ期シテ全国ノ完整ニ至ルヲ要ス
 但生徒学業ノ事ニ至リテハ一日モ忽ニスヘカラストイヘトモ広ク全局ヲ見テ宜ク本末順序ヲ誤ルヘカラス

第百六章 本省定額金ノ遣払ハ毎年七月中明細ニ記シ上梓公告スヘシ

第百七章 諸学校ニ於テ毎年費ス所ノ金額ハ学校ノ実情ニヨリテ之ヲ定ムヘシ其公私共遣払ハ第二号式ノ如ク明細表ヲ製シ毎年二月七月督学局ニ出スヘシ

第百八章 器械書籍ハ学校必要ノモノトス心ヲ用ヒテ完備セシメスンハアル可ラス諸学校所在ノ書器ハ第三号式ノ如ク表ニ製シ毎年二月中督学局ニ出スヘシ

第百九章 凡諸学校ノ設立スル必ス維持保護ノ目的ヲ要ス即第四号式ノ如ク表ニ製シ毎年二月中督学局ニ出スヘシ

 明治五年壬申七月

 (別表略)

  「ウイキソース」より

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