ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2025年11月

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 今日は、幕末明治維新期の1869年(明治2)に、明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定された日ですが、新暦では12月12日となります。
 「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」(とうきょうよこはまのあいだてつどうせいさくのぎもうしたて)は、幕末明治維新期の11869年(明治2年11月10日)の明治新政府の廟議で、東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画を示したもので、同年10月11日付の「上申」と、「布告案」で構成されています。この決定は、近世以来全国的な輸送の主役であった海運の存在を前提として、東西両京を結ぶ幹線鉄道から海港へ枝線を敷設することによって主要な海港と海港を鉄道で繋ぎ、全国的な輸送網の形成を図ろうとしたものでした。
 ルートとして、本州の中央を通る中山道案,海側を通る東海道案がありましたがこの時点ではどちらを採択するか未定となっています。文書の終わりには、明治政府が同年11月9日付で、伊達宗城(民部卿兼大蔵卿)・大隈重信(大蔵大輔)・伊藤博文(大蔵大丞・大蔵少輔)に対し、イギリスと鉄道敷設の借款契約を締結する全権を委任したことが見えます。

〇日本の鉄道創設関係略年表(日付は旧暦です)

<明治2年(1869年)>

・3月 横浜在留英国人「アレキサンドル・カンフル」は鉄道敷設の請願書(西暦1869年4月21日付け)を寺島神奈川県知事に提出する
・10月11日 この日付けで、外務省は鉄道建設を政府に上申する
・11月5日 日本政府の岩倉、澤、三条が相談し、大隈と伊藤も列席、鉄道と電信の起業の意あることを告げる
・11月10日 東京~京都の幹線、東京~横浜・京都~神戸・琵琶湖畔~敦賀の3支線の鉄道建設計画「東京横浜ノ間鉄道製作ノ儀申立」が決定される
・11月12日 英国人ホレシオ・ネルソン・レーに1割2分利付100万ポンド借款の起債契約書を公布する

<明治3年(1870年)>
・3月 英尺「フィート」を日本の1尺4厘と定める
・3月8日 エドモンド・モレルが鉄道技師長としてイギリスから招かれ、横浜港へ着く
・3月17日 東京府及び神奈川、品川の二県へ線路測量として雇外国人を率いて官員出張の旨を達する
・3月19日 鉄道掛を東京築地元尾張藩邸に創置する
・3月22日 横浜野毛町に於ける寒川県所轄の官舎(元修文館)に横浜出張所を置き。六鄕川を以て境界とし東西両端より起工することを定める
・3月25日 東京芝口汐留の近傍を量地すする
・3月27日 監督正上野景範に鉄道掛を命じる
・4月3日 横浜野毛浦海岸より亦測量を始める
・4月12日 元龍野、仙台、会津の三邸を敷地として、蒸気車会所建築の為に地均工事を開始する
・4月14日 土木権正平井義十郎を副とする
・5月26日 兵部省は蒸気車解除を他に建築するか、または線路を西方に移すことを上申する
・5月26日 横浜野毛町海岸地は前年2月以来埋め立てられ、当地を横浜停車場敷地とする
・6月 橋梁工事を起こし、神奈川第19橋から始める
・6月8日 大蔵省は高縄町兵部省用地の内を鉄道用地として引き渡し方を上申するが、兵部省が抵抗する
・7月10日 太政官は高輪富士鑑宿陣所を民部省に引き渡すべき事を命じるものの、兵部省引き渡しに応ぜず
・8月15日 鉄道掛は東京府庁を経て之を受領する
・10月 六鄕川本憍を起工、神奈川台の掘割に着手、八ッ山及び御殿山の掘割工事を起工する
・10月20日 工部省を設置し、鉄道は該省の所管に属せる
・10月22日 兵部省は元尾張、安藝その他の邸地を海軍所用地として受け取り、浜殿は宮内庁に返す
・11月 この月以降諸所の盛り土を始める
・12月 工部省は掲旗を定め、その章白布紅書工字とする
・12月14日 鉄道掛の事務局を省内に移す
・12月14日、28日 公書をもって、ホレシオ・ネルソン・レーの不正が発覚し、解雇される

<明治4年(1871年)>
・1月 品川七番砲台場の一部を取り壊しその石材を鉄道工事に使用船とを海軍所と協定する
・8月14日 鉄道寮は品川県と神奈川県に対して、線路立入禁止の通達を依頼する
・9月 横浜停車場本屋が落成する
・11月 汐留停車場本屋が落成する

<明治5年(1872年)>
・1月 品川停車場本屋が落成する
・2月26日 鉄道寮を汐留停車場本屋に移す
・2月28日 鉄道略則を決める
・5月3日 太政官布告「7日をもって品川横浜間を仮に開業する」が出される
・5月4日 鉄道犯罪罰例・改正鉄道略則を制定する
・5月7日 品川駅~横浜駅間で鉄道が仮開業し、一日2往復の列車が運行される
・5月8日 一日6往復に増便される
・5月27日 汐留停車場を新橋と改称する
・6月5日 川崎駅と神奈川駅(現在は廃駅)が営業を開始する
・8月 葵坂に新築したる工部省庁舎内に、鉄道寮を移す
・8月14日 工部省下に鉄道寮を設置する
・9月12日 新橋駅で、鉄道開業式典が催され、明治天皇と建設関係者を乗せたお召し列車が横浜まで往復運転する
・9月13日 新橋駅~横浜駅全区間で、営業運行が開始され、鶴見駅が開業する
・9月23日 技師長エドモンド・モレルが亡くなる
・9月29日 新橋~横浜間の工事全てが落成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1696年(元禄9)第109代とされる明正天皇(女帝)の命日(新暦12月4日)詳細
1883年(明治16)日本画家橋本関雪の誕生日詳細
1920年(大正9)日本画家福王寺法林の誕生日詳細
1940年(昭和15)神武天皇即位2600年とされる「紀元二千六百年記念行事」が始まる詳細
1945年(昭和20)角川源義が角川書店を設立する詳細
1951年(昭和26)日教組が第1回全国教育研究大会を開催する詳細
1982年(昭和57)中央自動車道の勝沼IC~ 甲府昭和IC間が開通し、東京都杉並区と愛知県小牧市が繋がる詳細
2008年〈平成20〉数学者伊藤清の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、小説家白石一郎が生まれた日です。
 白石一郎(しらいし いちろう)は、昭和時代前期の1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれ、太平洋戦争敗戦の1945年(昭和20)までは同地で過ごしました。長崎県立佐世保北高等学校時代に小説家を志し、雑誌の懸賞小説に次々と投稿し、早稲田大学政治経済学部へ進みます。
 1954年(昭和29)に同大学卒業後、一時期サラリーマン生活を送りますが、退職して帰郷、父親の経理事務所を手伝いながら創作に励みました。1955年(昭和30)に『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選、1957年(昭和32)には、『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞します。
 1958年(昭和33)に『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で本格的な作家生活に入り、1970年(昭和45)に第1回福岡市文学賞[小説]、1983年(昭和58)には、第8回福岡市文化賞を受賞しました。その間、1970年(昭和45)から度々直木賞候補となりますが、ようやく8回目にして、1987年(昭和62)に『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞します。
 1992年(平成4)に『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞、1994年(平成6)には、『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化されました。1995年(平成7)には、朝日新聞で『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞しています。
 九州の海を舞台にした海洋歴史小説を多数発表し、1998年(平成10)には、第2回海洋文学大賞特別賞を受賞しました。1999年(平成11)には、第7回福岡県文化賞[創造部門]、『怒濤のごとく』で、第33回吉川英治文学賞を受賞したものの、2002年(平成14)の冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院後、入退院を繰り返し、2004年(平成16)9月20日に、福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなっています。

<白石一郎の主要な著作>

・『みかん』(1957年)第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]受賞
・『雑兵』(1958年)第10回講談倶楽部賞受賞
・『海狼伝』(1987年)第97回直木賞受賞
・『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』(1992年)第5回柴田錬三郎賞受賞
・『異人館』(1995年)
・『怒濤のごとく』(1999年)第33回吉川英治文学賞受賞

〇白石一郎関係略年表

・1931年(昭和6)11月9日 朝鮮の釜山で生まれる
・1945年(昭和20) 大平洋戦争敗戦に伴ない、朝鮮の釜山から長崎県佐世保市へ転居する
・1954年(昭和29) 早稲田大学政治経済学部卒業後、一時期サラリーマン生活を送る
・1955年(昭和30) 『臆病武者』が、九州時事新聞の懸賞小説に一席入選する
・1957年(昭和32) 『みかん』で、第9回講談倶楽部賞[山岡荘八奨励賞]を受賞する
・1958年(昭和33) 『雑兵』で、第10回講談倶楽部賞を受賞し、福岡県福岡市で作家生活に入る
・1970年(昭和45) 第1回福岡市文学賞[小説]を受賞する
・1983年(昭和58) 第8回福岡市文化賞を受賞する
・1987年(昭和62) 『海狼伝』で、第97回直木賞を受賞する
・1992年(平成4) 『戦鬼たちの海—織田水軍の将・九鬼嘉隆』で、第5回柴田錬三郎賞を受賞する
・1994年(平成6) 『十時半睡事件帖』シリーズがNHKでテレビドラマ化される
・1995年(平成7) 朝日新聞で、幕末から明治維新の長崎で活躍した英国商人グラバーの生涯を描いた『異人館』の連載を開始、第54回西日本文化賞社会文化部門を受賞する
・1998年(平成10) 第2回海洋文学大賞特別賞を受賞する
・1999年(平成11) 第7回福岡県文化賞[創造部門]を受賞、『怒濤のごとく』にて第33回吉川英治文学賞を受賞する、
・2002年(平成14) 冬から食道がんのため久留米市内の病院に入院する
・2004年(平成16)9月20日 福岡県久留米市の病院において、肺炎により、72歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1637年(寛永14)江戸幕府が島原の乱の鎮圧に板倉重昌らの派遣を決定する(新暦12月25日)詳細
1872年(明治5)太陽暦導入のため、「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(改暦ノ布告)が布告される(新暦12月9日)詳細
1876年(明治9)医師・細菌学者野口英世の誕生日詳細
1945年(昭和20)GHQが「農業計画に関する覚書」(SCAPIN-257)を出す詳細
1963年(昭和38)三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)で粉塵爆発が起き、死者458人を出す詳細
鶴見事故で列車の三重衝突が起こり、死者161人・負傷者120人を出す詳細
1962年(昭和37)廖承志と高碕達之助が「日中LT貿易覚書」に調印する詳細
1988年(昭和63)物理学者・第17代東京大学総長茅誠司の命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、財団法人大日本映画協会が発足した日です。
 大日本映画協会(だいにほんえいがきょうかい)は、昭和時代前期の1935年(昭和10)11月8日に設立された、官民合同の国策映画機関(財団法人)です。1933年(昭和8)2月に、衆議院議員・岩瀬売によって「映画国策樹立ニ関スル建議案」が提出されると、翌年4月には、内務大臣を会長とする映画統制委員会が設置されました。
 その中で、官民合同の国家協力機関として、この協会が設立されます。文部省社会教育局と内務省警保局が一体となった映画統制が、社会教育に重点を置いて、国策遂行という観点から、興行映画(映画館)への指導統制を中心にそえることとなり、その体制下に組み込まれることとなりました。
 そして、1939年(昭和14)4月5日公布の「映画法」(施行は10月1日)によって、映画の全面的な国家統制が実施されることとなります。

〇映画法(えいがほう)とは?

 昭和時代前期に日中戦争が泥沼化する中で、1939年(昭和14)4月5日に公布(施行は10月1日)された、映画の全面的な国家統制を目的に制定された法律(昭和14年法律第66号)です。内容は、映画製作・配給の許可制、映画製作に従事する者(監督、俳優、カメラマン)の登録制、劇映画脚本の事前検閲、文化映画・ニュース映画の強制上映、外国映画の上映制限などとなっていました。
 映画の取締りはそれまで、1925年(大正14)に内務省令「活動写真〈フィルム〉検閲規則」に基づく内務省の映画フィルム検閲と「各府県興行取締規則」に基づく映画興行取締りが行われています。しかし、軍国主義ファシズム体制化の進行により、1933年(昭和8)2月に衆議院で採択された「映画国策樹立に関する建議案」を契機に、プロパガンダ(大衆的教化)の宣伝媒体としての映画をめぐる統制論議が高まり、翌年4月の映画統制委員会設置を経て、この法律が制定されることになりました。
 これによって、日本映画界の各パートで働く者は政府に登録しなければいかなる部門にも従事することはできなくなり、登録するためには春と秋の年二回行われる「技能審査」という試験を受けなければならなくなり、人材面でも統制されます。また、検閲の強化により、内容の大幅な変更や上映禁止処分などを受けるようになり、恋愛映画や娯楽映画等は検閲段階で排除されることが多くなりました。
 この法律は、1931年(昭和16)に昭和16年法律第35号による改正がなされ、太平洋戦争後の1945年(昭和20)に昭和20年法律第61号により、12月26日をもって廃止されています。

☆戦前の日本映画の統制関係略年表

・1925年(大正14) 内務省令「活動写真〈フィルム〉検閲規則」に基づく内務省の映画フィルム検閲が始まる
・1933年(昭和8)2月 衆議院議員・岩瀬売によって「映画国策樹立ニ関スル建議案」が提出される
・1934年(昭和9)4月 内務大臣を会長とする映画統制委員会が設置される
・1935年(昭和10)11月8日 財団法人大日本映画協会が発足する
・1939年(昭和14)4月5日 「映画法」が公布される
・1939年(昭和14)10月1日 「映画法」が施行される
・1931年(昭和16) 昭和16年法律第35号により、「映画法」が改正される
・1945年(昭和20)12月26日 昭和20年法律第61号により、この日をもって「映画法」が廃止される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

794年(延暦13)桓武天皇が山背国を山城国と改め、新京を「平安」と称する詔を発布する(新暦12月4日)詳細
1629年(寛永6)幕府の「勅許の紫衣」の無視・反対(紫衣事件)等で、後水尾天皇が退位する(新暦12月22日)詳細
1892年(明治25)文芸評論家・推理小説家・翻訳家平林初之輔の誕生日詳細
1894年(明治27)戯作者・新聞記者仮名垣魯文の命日詳細
1895年(明治28)ロシア・フランス・ドイツの勧告(三国干渉)により、清国との間で「奉天半島還付条約」に調印する詳細
1896年(明治29)神宮司庁蔵版『古事類苑』の刊行が開始される詳細
1933年(昭和8)東京の府中町に東京競馬場(東京競馬倶楽部運営)が開場する詳細
1968年(昭和43)化学者で日本で2番めの女性理学博士だった黒田チカの命日詳細
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 今日は、昭和時代前期の1931年(昭和6)に、大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興され、大阪城公園が開園した日です。
 大阪城公園(おおさかじょうこうえん)は、大阪府大阪市中央区大阪城にある都市公園です。1924年(大正13)に、前身となる大阪城追手口(大手口)正面の大手前公園 (2.3ha) が開園、1928年(昭和3)には、大阪市長關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し、昭和天皇の即位記念事業として整備が進められました。
 1931年(昭和6)11月7日に、大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興されると同時に、本丸を含む大阪城公園として開園しましたが、1945年(昭和20)8月14日の第8回大阪大空襲で大きな被害を受けます。大平洋戦争後の1948年(昭和23)8月25日に、占領軍による接収が解除され、建物の修理が進められ、大阪城公園の再整備が始まり、外堀を含む広域が公園地となりました。
 1953年(昭和28)に大坂城跡が国の史跡に指定され、1955年(昭和30)には、国の特別史跡になります。1990年(平成2)に日本さくら名所100選、1990年(平成2)に大阪みどりの百選、日本の都市公園100選、1997年(平成9)に大阪城天守が国の登録有形文化財に登録、2006年(平成18)に大阪城が日本100名城、日本の歴史公園100選、2006年(平成18)には、関西自然に親しむ風景100選に選定されました。
 2015年(平成27)に公園全体を、大阪城パークマネジメント共同事業体が指定管理者として管理運営するようになり、2019年(平成31)には、滞在型の都市公園へのリデザインが、2018年度グッドデザイン賞を受賞しています。総面積105.6haの広大な面積があり、大阪城天守閣をはじめとする歴史建造物を有するほか、約300本の桜を楽しめる西の丸庭園や、105品種1245本の梅の花が咲き誇る梅林など、四季折々の風情をめでる観光客でにぎわってきました。また、大阪城音楽堂や大阪城ホール、大阪国際平和センター、弓道場、修道館などの施設もあります。

〇大阪城公園関係略年表

・1924年(大正13) 前身となる大阪城追手口(大手口)正面の大手前公園 (2.3ha) が開園する
・1928年(昭和3)、大阪市長關一が天守再建を含む大阪城公園整備事業を提案し、昭和天皇の即位記念事業として整備が進められる
・1931年(昭和6)11月7日 大阪城天守閣が鉄筋コンクリート造で復興されると同時に、本丸を含む大阪城公園として開園する
・1945年(昭和20)8月14日 第8回大阪大空襲で大きな被害を受ける
・1948年(昭和23)8月25日 占領軍による接収が解除され、建物の修理が進められ、大阪城公園の再整備が始まり、外堀を含む広域が公園地となる
・1953年(昭和28)3月31日 大坂城跡が国の史跡に指定される
・1955年(昭和30) 6月24日 大坂城跡が国の特別史跡に指定される
・1961年(昭和36) 二の丸南曲輪へ中之島にあった豊國神社が遷座される
・1990年(平成2) 日本さくら名所100選に選定される
・1990年(平成2) 大阪府で開催された国際花と緑の博覧会を記念して、投票の結果に基づき、大阪みどりの百選に選定される
・1989年(平成元)7月28日 日本の都市公園100選に選定される
・1997年(平成9)9月 大阪城天守が国の登録有形文化財に登録される
・2006年(平成18)4月6日 大阪城が日本100名城(54番)に選定される
・2006年(平成18)10月27日 日本の歴史公園100選に選定される
・2006年(平成18) 関西自然に親しむ風景100選に選定される
・2015年(平成27) 公園全体を、大阪城パークマネジメント共同事業体(大和ハウス工業、讀賣テレビ放送、電通が出資する共同事業体)が指定管理者として管理運営するようになる
・2019年(平成31) 滞在型の都市公園へのリデザインが、2018年度グッドデザイン賞を受賞する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1336年(建武3)足利尊氏が室町幕府の基本的な政治方針「建武式目」を制定(新暦12月10日)詳細
1849年(嘉永2)大坂に緒方洪庵が種痘を行う為の除痘館(種痘所)を開設する(新暦12月21日)詳細
1854年(嘉永7)豊予海峡地震が起き、大きな被害が出る(新暦12月26日)詳細
1889年(明治22)劇作家・演出家・小説家・俳人久保田万太郎の誕生日詳細
1909年(明治42)映画監督・脚本家山中貞雄の誕生日詳細
1922年(大正11)学生連合会(社会科学研究会の連合組織)が結成される詳細
1944年(昭和19)小磯国昭内閣により、「老幼者妊婦等ノ疎開実施要綱」が閣議決定される詳細
1983年(昭和58)奈良県高市郡明日香村のキトラ古墳で玄武の壁画が発見される詳細
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 今日は、昭和時代後期の1982年(昭和57)に、大阪市が住友グループから千点にのぼる安宅コレクションの寄贈を受け、中之島公園に大阪市立東洋陶磁美術館が開館した日です。
 大阪市立東洋陶磁美術館(おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん)は、大阪府大阪市北区中之島一丁目にある、東洋の陶磁器をメインとして展示している市立美術館です。大阪市が住友グループより安宅コレクション (中国陶磁器144点,朝鮮陶磁器793点など総数約1000点) の寄贈を受けて、1982年(昭和57)11月6日に開館しました。
 同コレクションを中心に、他のコレクションからの寄贈や購入を加えて、「油滴天目茶碗」 (南宋) と「飛青磁花生」 (元) の国宝2点、「法花花鳥文壺」 (明) 、「青磁象嵌唐子宝相華文水注」 (高麗) などの重要文化財13点を含む約1,300点の作品を収蔵しています。1999年(平成11)3月16日に、新館が開館し、そちらでは、日本陶磁と韓国陶磁を展示してきましたが、2024年(令和6)にリニューアルオープンしました。
 現在は、鉄筋コンクリート+鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上3階建、地下1階建で、延床面積は3,922㎡あり、企画展示室、特集展示室、日本陶磁室、中国陶磁室、韓国陶磁室、映像ライブラリなどがあります。

<主な収蔵品>
(国宝)2点
・油滴天目茶碗(南宋、建窯(中国語版))12-13世紀 豊臣秀次、西本願寺、三井家を経て若狭酒井家伝来
・飛青磁花生(元、龍泉窯)13-14世紀 鴻池家伝来
(重要文化財)13点
・青磁刻花牡丹唐草文瓶(北宋、耀州窯)
・白磁刻花蓮華文洗(北宋、定窯)
・白磁銹花牡丹唐草文瓶(北宋、定窯)
・緑釉黒花牡丹文瓶(金、磁州窯系)
・木葉天目茶碗(南宋、吉州窯)
・青磁鳳凰耳花生(南宋、龍泉窯)
・青花牡丹唐草文盤(元、景徳鎮窯)
・青花蓮池魚藻文壺(元、景徳鎮窯)
・青花花鳥文盤(明・永楽、景徳鎮窯)
・瑠璃地白花牡丹文大皿「大明宣徳年製」銘(明、景徳鎮窯)
・法花花鳥文大壺(明)
・青磁象嵌童子海石榴華文水注(高麗、12-13世紀)
・奈良三彩壺

〇大阪市立東洋陶磁美術館関係略年表

・1980年(昭和55) 大阪市は、住友グループ21社から安宅コレクション寄贈の申し出を受け、中之島公園内に専門美術館を建設することを発表する
・1981年(昭和56) 実施設計に着手する
・1982年(昭和57)11月6日 大阪市立東洋陶磁美術館開館式がおこなわれ、翌日から一般公開される
・1984年(昭和59) 「建築業協会賞」を受賞する
・1985年(昭和60) 友の会が発足する
・1987年(昭和62) 開館5周年記念特別展「李朝陶磁500年の美展」が開催される
・1996年(平成8) 第1期ボランティアガイド活動が開始、小・中学生入館料の無料化が始まる
・1997年(平成9) 新館増築工事に着工する
・1998年(平成10) 開館15周年記念特別展「―中国中原に華ひらいた名窯―耀州窯展」が開催される
・1999年(平成11)3月16日 新館開館式典がおこなわれる
・2000年(平成12) ホームページが開設される
・2002年(平成14) 開館20周年記念展「心のやきもの李朝-朝鮮時代の陶磁」が開催される
・2007年(平成19) 開館25周年記念特別展「美の求道者・安宅英一の眼―安宅コレクション」が開催される
・2012年(平成24) 開館30周年記念特別展「国立マイセン磁器美術館所蔵 マイセン磁器の300年」が開催される
・2017年(平成29) 開館35周年記念・日中国交正常化45周年記念特別展「唐代胡人俑―シルクロードを駆けた夢」が開催される
・2020年(令和2) 年間パスポート「MOCO PASSPORT」の販売を開始する
・2024年(令和6) リニューアルオープン式典が行われる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事).

1717年(享保2)地理学者・儒学者長久保赤水の誕生日(新暦12月8日)詳細
1906年(明治39)考古学者で「騎馬民族説」を唱えた江上波夫の誕生日詳細
1937年(昭和12)「日独伊防共協定」が調印される詳細
1938年(昭和13)北海道の北炭夕張炭鉱(天竜坑)で爆発事故が起こり、死者161人、負傷者21人を出す詳細
1943年(昭和18)大東亜会議において「大東亜共同宣言」が出される詳細
1945年(昭和20)GHQが「持株会社の解体に関する覚書」により、四大財閥の解体を指令する詳細
1975年(昭和50)俳人・随筆家・小説家・編集者石川桂郎の命日(桂郎忌)詳細
2004年(平成16)日本画家佐藤太清の命日詳細
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