ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2025年06月

shyouchikukagekidan01
 今日は、平成時代の1996年(平成8)に、松竹歌劇団(SKD)が解散した日です。
 松竹歌劇団(しょうちくかげきだん)の創立は、松竹によって創設された少女歌劇団(通称:SKD)でした。大正時代の1922年(大正11)に、宝塚歌劇団に対抗して、大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設されたのを前身とし、1928年(昭和3)には、東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれます。
 その後、「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称:ターキー)の断髪姿で急速に人気を高めました。1931年(昭和6)に松竹少女歌劇部(SSK)と改称し、1933年(昭和8)には、楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)となります。
 1937年(昭和12)に、浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こったものの、太平洋戦争下の1944年(昭和19)3月31日に、解散され、松竹芸能本部女子挺身隊がを結成されました。戦後、1946年(昭和21)の復活公演を機に、「少女」の2字をやめて松竹歌劇団(SKD)と改められて再出発します。
 1982年(昭和57)の国際劇場が廃館からは、各地を巡演しましたが、1990年(平成2)2月25日に、東京厚生年金会館において最後の「東京踊り」が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打ちました。1992年3月10日、ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行ったものの、1996年(平成8)6月30日をもって、解散することになります。

〇松竹歌劇団(松竹少女歌劇団)関係略年表

・1922年(大正11) 大阪の松竹分室に「松竹楽劇部生徒養成所」が開設され、中之島公会堂で第1回試演会を行なう
・1923年(大正12) 「松竹楽劇部生徒養成所」が大阪松竹座の専属となる
・1926年(大正15) 上演した「春のおどり」の好評が発展の動機になる
・1928年(昭和3) 東京の浅草松竹座にも楽劇部が生まれる
・1930年(昭和5) 「東京おどり」の成功と男役の水の江滝子(愛称ターキー)の断髪姿で急速に人気を高める
・1931年(昭和6) 松竹少女歌劇部(SSK)と改称する
・1933年(昭和8) 楽団員による待遇改善要求に端を発し、水の江瀧子を組織委員長とする労働争議・通称「桃色争議」が起き、その解決を機に松竹少女歌劇団(SSKD)とする
・1937年(昭和12) 浅草芝崎町に東洋一の規模を誇る国際劇場が竣工、ここを本拠に隆盛を誇こる
・1944年(昭和19)3月31日 解散する
・1946年(昭和21) 「松竹歌劇団」として再出発する
・1982年(昭和57) 国際劇場が廃館となり、各地を巡演するようになる
・1990年(平成2)2月25日 東京厚生年金会館において最後の『東京踊り』が上演され、これをもってレビュー劇団としての歴史に終止符を打つ
・1992年(平成4) ミュージカル転向後の初公演「賢い女の愚かな選択」を池袋サンシャイン劇場で上演後、定期的に公演を行なうようになる
・1996年(平成8)6月30日 解散することになる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

年中行事「夏越祓(なごしのはらえ)」の日です詳細
1892年(明治25)作曲家弘田龍太郎の誕生日詳細
1909年(明治42)京成電気軌道(現在の京成電鉄)が創立される詳細
1944年(昭和19)東条英機内閣が「学童疎開促進要綱」を閣議決定する(集団疎開の日)詳細
1951年(昭和26)「覚せい剤取締法」(昭和26年法律252号)が公布(施行は同年7月30日)される詳細
1975年(昭和50)詩人金子光晴の命日詳細
1978年(昭和53)小説家・中国文学者柴田錬三郎の命日詳細
1987年(昭和62)中曽根内閣の下で、多極分散をモットーとした第四次全国総合開発計画(四全総)が閣議決定される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

yanagisouri01
 今日は、大正時代の1915年(大正4)に、インダストリアルデザイナー柳宗理の生まれた日です。
 柳宗理(やなぎ そうり)は、1915年(大正4)6月29日 東京市赤坂区原宿において、父・柳宗悦、母・兼子の第一子として生まれましたが、本名は宗理(むねみち)と呼びました。1923年(大正12)の関東大震災により家屋の一部が破損、翌年に京都市上京区へ転居、錦林小学校へ入学します。
 京都府立第一中学校卒業後、1933年(昭和8)に東京市小石川区へ転居し、川端画学校で一年間の浪人生活を送りました。東京美術学校西洋画科へ入学し、1940年(昭和15)に卒業後、社団法人日本輸出連合会(商工省外郭団体)嘱託となり、『輸出工芸』第5号の編集を担当、シャルロット・ペリアンの日本各地の視察に同行します。
 1941年(昭和16)にシャルロット・ペリアン 企画展『選択・伝統・創造』に協力し、1942年(昭和17)には、坂倉準三建築研究所研究員となり、レオナルド・ダ・ヴィンチ展(上野)の会場構成に携わりました。1943年(昭和18)に陸軍報道部宣伝部員としてフィリピンへ行き、1945年(昭和20)にフィリピンにて敗戦を迎え、収容所に入れられます。
 1946年(昭和21)に帰国、工業振興会に嘱託として勤務して、工業デザインの研究に着手、1947年(昭和22)には、文化学院文学部および美術部講師に就任しました。1950年(昭和25)に、柳インダストリアルデザイン研究所を開設、駒場の自宅傍にアトリエを構え、1952年(昭和27)に、第1回新日本工業デザインコンクールに出品し第1席「レコードプレイヤー」(日本コロムビア製作)、2席を併せて入選します。
 この賞金を元に、1953年(昭和28)に財団法人柳工業デザイン研究会を設立、『プラスチック振興展』で工業奨励館賞を受賞しました。1955年(昭和30)に、金沢美術工芸大学産業美術学科工業デザイン専攻教授に就任、1957年(昭和32)に、第11回ミラノ・トリエンナーレに招待出品してインダストリアル・デザイン金賞を受賞し、世界的に名が知られるようになります。
 1967年(昭和42)に、金沢美術工芸大学教授を退任し、翌年から非常勤となり、1977年(昭和52)に日本民藝館館長に就任、翌年には、日本民藝協会会長に就任しました。1981年(昭和56)に紫綬褒章、1987年(昭和62)に旭日小綬章を受章し、2002年(平成14)には文化功労者となります。
 2008年(平成20)には、英国王立芸術協会より ロイヤルデザイナー・フォー・インダストリー(Hon RDI)の称号を授与されたものの、2011年(平成23)12月25日に、東京都内の病院において、肺炎のため96歳で亡くなり、正四位と旭日重光章を追贈されました。

<柳宗理の主要なデザイン作品>

・1952年(昭和27) - レコードプレイヤー(日本コロムビア)
・1953年(昭和28) - 「早く沸くヤカン」(東京ガス)
・1954年(昭和29) - 「スタッキングスツール(エレファントスツール)」(コトブキ製作)
・1956年(昭和31) - 「バタフライスツール」(天童木工製作)、オート三輪(三井精機製作)、白磁土瓶・醤油入れ(多治見陶磁器試験所製作)
・1960年(昭和35) - 二回転式下皿秤「パール」(寺岡精工製作)
・1964年(昭和39) - 東京オリンピック聖火コンテナ、トーチ・ホルダー、水泳競技場座席等
・1965年(昭和40) - 「スタッキング・チェア」(コトブキ製作)
・1970年(昭和45) - 札幌冬季オリンピック聖火台、トーチ・ホルダー
・1970年(昭和45) - 野毛のつり橋、野毛山動物園看板
・1973年(昭和48) - 横浜市営地下鉄駅設備
・1980年(昭和55) - 東名高速道路・東京料金所防音壁
・1985年(昭和60) - 関越自動車道・関越トンネル坑口
・1991年(平成3) - 東名高速道路・足柄橋
・1997年(平成9) - 東京湾横断道路・木更津料金所
・1999年(平成11) - 「シェルチェア」「スタッキングチェア」(天童木工製作)

〇柳宗理関係略年表

・1915年(大正4)6月29日 東京市赤坂区原宿において、父・柳宗悦、母・兼子の第一子として生まれる
・1921年(大正10)3月 東京市赤坂区へ転居する
・1923年(大正12)9月 関東大震災により家屋の一部が破損する
・1924年(大正13) 京都市上京区へ転居、錦林小学校へ入学する
・1928年(昭和3) 京都府立第一中学校へ入学する
・1929年(昭和4) 京都市左京区へ転居する
・1933年(昭和8) 東京市小石川区へ転居する
・1934年(昭和9) 川端画学校で一年間の浪人生活を送る
・1935年(昭和10) 東京都目黒区駒場へ転居、東京美術学校西洋画科入学(1940年4月卒業)
・1939年(昭和14) 『東京美術』の編集委員として「現代美術における無意識性に就て」執筆、『美術』17号発行 特集「新日本美術文化の動向」を編集する
・1940年(昭和15) 東京美術学校西洋画科を卒業し、社団法人日本輸出連合会(商工省外郭団体)嘱託となり、『輸出工芸』第5号の編集を担当、シャルロット・ペリアンの日本各地の視察に同行する
・1941年(昭和16) シャルロット・ペリアン 企画展『選択・伝統・創造』高島屋(東京・大阪巡回展)に協力する
・1942年(昭和17) 坂倉準三建築研究所研究員となり、レオナルド・ダ・ヴィンチ展(上野)の会場構成に携わる
・1943年(昭和18) 陸軍報道部宣伝部員としてフィリピンへ(坂倉準三建築研究所の日本文化会館の設計建築に協力)
・1945年(昭和20) フィリピンにて敗戦を迎え、収容所に入られる
・1946年(昭和21) フィリピンから帰国、工業デザインの研究に着手(農村工業振興会に嘱託として勤務)する
・1947年(昭和22) 文化学院文学部および美術部講師に就任する
・1948年(昭和23) 前川設計研究所編『PLAN』発行に「ラスキン、モリスよりグロピウス、コルビュジェへ」を執筆する
・1949年(昭和24) 『第一回産業意匠展』で優秀賞、『中小企業庁主催第一回産業意匠展』で中小企業長官賞及び優秀賞を受賞する
・1950年(昭和25) 柳インダストリアルデザイン研究所を開設、駒場の自宅傍にアトリエを構える
・1952年(昭和27) 『新日本工業デザイン展』(日本橋三越)出展、『第一回新日本工業デザインコンクール(現・毎日ID賞)』で通商産業大臣賞及び佳作を受賞、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)設立に参加(~1960年まで会員)
・1953年(昭和28) 日本インダストリアルデザイナー協会が文部省より財団法人認可 、財団法人柳工業デザイン研究会を設立、『プラスチック振興展』で工業奨励館賞を受賞、国際デザインコミッティー (現・日本デザインコミッティー)設立に参加(~1980年まで会員)する
・1954年(昭和29) 前川國男の事務所新設(東京・四谷)にあたり、その建物の半地下へアトリエ移転、女子美術大学非常勤講師(~1966年)
・1955年(昭和30) 『スェーデン国際建築意匠「H55」展』に展示、『三井精機56年型三輪車オリエント号完成発表会』、銀座松屋グッドデザインコーナー開設(現・デザインコレクション) 商品の推薦、展示に携わる
・1956年(昭和31) 金沢美術工芸大学嘱託教授となり(~1965年)、渡米する
・1957年(昭和32) 特許庁、意匠奨励審査会委員となり、優良意匠の奨励助成・意匠侵害防止・グッドデザインの選定などを行う、北欧(イタリア・アルベロベッロへ)を訪れる
・1958年(昭和33) 【バタフライスツール】ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクションに選定される
・1959年(昭和34) 吉田璋也を訪ね鳥取へ、牛ノ戸焼脇窯を訪れ、渡英する
・1960年(昭和34) 世界デザイン会議企画分科会副委員長に任命され、カッセル国立デザイン専門学校講師(1960年10月~1961年2月の冬季授業を担当)となる
・1961年(昭和36) 父・宗悦が亡くなる
・1964年(昭和39) 第3回ドクメンタ(ドイツ・カッセル)招待出品【灰皿1953、スツール1956、黒釉ティーポット1956、東京オリンピックトーチ1964】
・1966年(昭和41) 『椅子の50年史』アムステルダム市立美術館【バタフライスツール、エレファントスツール】美術館のパーマネントコレクションに選ばれる
・1967年(昭和42) 金沢美術工芸大学教授を退任する
・1969年(昭和44) 横浜市営地下鉄デザイン委員会設置、ファニチャーその他設備のデザイン担当委員を務める
・1972年(昭和47) 柳デザイン(株)(現・柳ショップ)を設立する
・1973年(昭和48) 柳デザインショールーム(浜松町)開設、渡米し、『国際クラフト展』審査員となる
・1974年(昭和49) 『国際クラフト展』審査員(カナダ・トロント)となる
・1975年(昭和50) ヤナギ・ショップ(東京・千駄ヶ谷)が開店する
・1976年(昭和51) ドイツ(シュトゥットガルト)へ行き、フリッツ・レオンハルト博士を訪ねて、意見を聴く
・1977年(昭和52) 日本民藝館館長に就任する(~2006年)
・1978年(昭和53) 日本民藝協会会長に就任する(~2003年)、『民藝』309号に「民芸とモダンデザインの接点」掲載(〜2006年8月644号までの表紙デザイン、図版構成をする)、大阪日本民藝館館長に就任する(〜2011年3月)
・1979年(昭和54) ネパールからインドネシア(ジャワ島)を訪れる
・1980年(昭和55) イタリア(アルベロベッロ)を訪れる
・1981年(昭和56) ブータンを訪れ、紫綬褒章を受賞、フィンランド(ヘルシンキ)を訪れ、フィンランド・デザイナー協会名誉会員となり、メンフィスを結成する
・1982年(昭和57) インド(ラダック)を訪れる
・1983年(昭和58) インドのパキスタン近くのクラジャアート、ラジャスタン地方を訪ねる
・1984年(昭和59) 母・兼子が亡くなる
・1985年(昭和60) フランスへ(『シャルロット・ペリアン展』(パリ)視察)、マリ共和国へ行き、ドゴン族の生活文化を取材する
・1986年(昭和61) カナダ(バンクーバー)、北欧(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド) を訪れる
・1987年(昭和62) 旭日小綬章を授賞する
・1988年(昭和63) 『インド民藝展』(日本民藝館)打ち合わせ調査のため、ニューデリー、ジャイプール、アメダバードなどを訪ねる
・1990年(平成2) 「JC(ジャパンクリエイティブ)」が西武百貨店プライベートブランドとして発足。多数作品の復刻、デザインを行う
・1992年(平成4) 沖縄県立芸術大学非常勤講師となり、国井喜太郎産業工芸賞を受賞する(柳宗理「創成期よりデザイン活動を実践、日本民藝館を通して文化交流に尽力」)
・1994年(平成6) 『Japanese design(日本のデザイン)展』フィラデルフィア博物館(アメリカ) 【バタフライスツール他9点】
・1995年(平成7) 『日本民藝館展』ピーボディ・エセックス博物館(アメリカ巡回展)準備のため渡米する
・1996年(平成8) 沖縄県立芸術大学客員教授となる(~1997年)
・2000年(平成12) 金沢美術工芸大学客員教授となる(~2011年)
・2002年(平成14) 文化功労者となる
・2003年(平成15) 『柳宗理デザイン展』mono gallery(東京)開催
・2006年(平成18) 『柳宗理デザイン生活道具』(熊本国際民芸館)開催
・2007年(平成19) 『柳宗理展ー生活の中のデザイン』(東京国立近代美術館)開催
・2008年(平成20) 英国王立芸術協会より ロイヤルデザイナー・フォー・インダストリー(Hon RDI)の称号を授与される
・2011年(平成23)12月25日 東京都内の病院において、肺炎のため96歳で亡くなり、正四位と旭日重光章を追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1801年(享和元)折衷学派の儒者細井平洲の命日(新暦8月8日)詳細
1866年(慶応2)洋画家・政治家黒田清輝の誕生日(新暦8月9日)詳細
1868年(慶応4)明治新政府が江戸幕府の昌平坂学問所を昌平学校として復興する(新暦8月17日)詳細
1903年(明治36)作曲家瀧廉太郎の命日(廉太郎忌)詳細
1928年(昭和3)「治安維持法」改正で、緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」が公布・施行され、最高刑を死刑とする詳細
1929年(昭和4)評論家・翻訳家・小説家内田魯庵の命日詳細
1945年(昭和20)岡山空襲で岡山城が焼失する(家屋12,693棟被災、死者が1,737人)詳細
1946年(昭和21)GHQから「地理授業再開に関する覚書」(SCAPIN-1046)が指令される詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

kenoudou01
 今日は、平成時代の2014年(平成26)に、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の相模原愛川IC~高尾山IC間が開通し、東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道と繋がった日です。
 首都圏中央連絡自動車道(しゅとけんちゅうおうれんらくじどうしゃどう)は、東京都心から40~60km圏(東京都・神奈川県・埼玉県・茨城県・千葉県にかかる)を環状に結ぶ高規格幹線道路(自動車専用道路)で、略称は圏央道と言います。1976年(昭和53)に発表された国土庁の第3次首都圏基本計画で、拠点間交通体系の重点項目として位置づけられました。
 東京郊外の都市を結ぶほか、放射状に延びる東名高速道路・中央自動車道・関越自動車道・東北自動車道・常磐自動車道・東関東自動車道および東京湾アクアライン(東京湾横断道路)などの幹線道路と結び、首都圏の広域幹線道路網を形成する目的で着工されます。1996年(平成8)3月26日に、最初の開通区間として、青梅IC~鶴ヶ島JCT間が開通し、その後、順次延伸して、2017年(平成29年)2月26日時点で、圏央道として茅ヶ崎JCT~大栄JCT間、松尾横芝IC~木更津JCT間が開通しており、NEXCOが管理・運営を行ってきました。
 首都圏の周辺都市同士の連絡を密にし、物資輸送の効率化、交通の円滑化を進めることで、首都機能の再編成や産業活力の向上を目指しています。また、未開通区間については、NEXCOと国土交通省が共同で建設・整備を進めていて、このうち、藤沢ICとあきる野ICを境として、西側の藤沢IC~あきる野IC間をNEXCO中日本が、その他の区間をNEXCO東日本が、それぞれ建設・管理を担当してきました。

〇首都圏中央連絡自動車道(圏央道)関係略年表

<1987年(昭和62)>
・6月30日:高規格幹線道路として構想される

<1988年(昭和63)>
・3月30日:新湘南バイパスが開通する

<1993年(平成5)>
・4月1日:一般国道468号に指定される

<1996年(平成8)>
・3月26日:青梅IC~鶴ヶ島JCT間が開通する(圏央道として最初の開通区間)

<1998年(平成10)>
・3月30日:千葉東金道路二期(東金IC~松尾横芝IC間)が開通(暫定2車線)する

<2002年(平成14)>
・3月29日:日の出IC~青梅IC間が開通する

<2003年(平成15)>
・3月29日:つくばJCT~つくば牛久IC間が開通する

<2005年(平成17)>
・3月21日:あきる野IC~日の出IC間が開通する

<2007年(平成19)>
・3月10日:つくば牛久IC~阿見東IC間が開通(暫定2車線)する
・3月21日:木更津東IC~木更津JCT間が開通する
・6月23日:八王子JCT~あきる野IC間が開通し、中央自動車道と関越自動車道が東京都心の道路を経由する事なく当自動車道経由でも結ばれる

<2008年(平成20)>
・3月26日:工事中の城山八王子トンネル(現・相模原八王子トンネル)が崩落し、坑口および周囲に損傷被害を受ける
・3月29日:鶴ヶ島JCT~川島IC間が開通する
・7月18日:狭山PAが開設される
<2009年(平成21)>
・3月21日:阿見東IC~稲敷IC間が開通(暫定2車線)する

<2010年(平成22)>
・2月27日:海老名JCT~海老名IC間が開通する
・3月28日:川島IC~桶川北本IC間が開通する
・4月24日:つくば中央IC~つくばJCT間が開通(暫定2車線)する

<2011年(平成23)>
・5月29日:白岡菖蒲IC~久喜白岡JCT間が開通する

<2012年(平成24)>
・3月25日:高尾山IC~八王子JCT間が開通する

<2013年(平成25)>
・3月30日:海老名IC~相模原愛川IC間が開通し、同時に厚木PA(外回り)が開設される
・4月14日:茅ヶ崎JCT~寒川北IC間が開通する
・4月27日:東金IC/JCT~木更津東IC間が開通(暫定2車線)する
・6月11日:八王子西SICから大網白里SIC、茂原長柄SICの追加設置を国土交通大臣が認可する
・7月12日:高滝湖PA(内回り)が開設される
・8月8日:厚木PA(内回り)が開設される

<2014年(平成26)>
・4月12日:稲敷IC - 神崎IC間が(暫定2車線)する
・6月28日:相模原愛川IC~高尾山IC間が開通し、東名高速道路と中央自動車道と関越自動車道が当道路経由でも結ばれる
・7月11日:江戸崎PAが開設する

<2015年(平成27)>
・3月8日:寒川北IC~海老名JCT間が開通し、新湘南バイパスと東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道が結ばれる
・3月29日:相模原ICが開設、および久喜白岡JCT~境古河IC間が開通(幸手IC付近を除き暫定2車線)する
・4月1日:圏央道の通行料金を見直し、今まで1キロメートル当たり 43.20円(43.20/km)から、大都市近郊区間と同じ料金制度の1キロメートル当たり29.52円(29.52円/km)へ値下げされる
・6月7日:神崎IC~大栄JCT間が開通し、常磐自動車道と東関東自動車道が首都高速道路を経由する事なく結ばれる(暫定2車線)
・8月10日:高滝湖PA(外回り)が開設される
・9月10日:平成27年9月関東・東北豪雨により、常総市の常総インターチェンジ付近の建設現場が洪水により浸水し、復旧作業と建設工法の見直しがされた結果、境古河IC~つくば中央IC間の開通時期が遅れる
・10月31日:桶川北本IC~白岡菖蒲IC間が開通し、関越自動車道と東北自動車道が当自動車道経由でも結ばれ、新湘南バイパスから東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道を介して東北自動車道までの間が首都高速道路などを経由する事なく結ばれる

<2016年(平成28)>
・12月24日:八王子西ICがフル化(関越道方面出入口開通)する

<2017年(平成29)>
・2月26日:境古河IC~つくば中央IC間が開通し、東北自動車道と常磐自動車道が当自動車道経由でも結ばれ、新湘南バイパスから東名高速道路、中央自動車道、関越自動車道、東北自動車道、常磐自動車道を介して、東関東自動車道までの間が首都高速道路を経由する事なく結ばれる
・11月9日:台風21号による並行都道(東京都道61号山田宮の前線)土砂災害通行止めのため、八王子西IC ⇔ あきる野IC間のみの利用車両無料措置を開始する(都道復旧までの間)
・12月19日:上記の八王子西IC ⇔ あきる野IC間の代替路無料措置を終了する
・12月20日:八王子JCT本線部が内回り・外回りともに2車線化される

<2018年(平成30)>
・1月28日:海老名南JCT開通により、新東名高速道路と接続する

<2019年(平成31)>
・3月24日 : 大網白里スマートIC供用開始する

<2020年(令和2)>
・2月16日 : 茂原長柄スマートIC供用開始する
・9月26日 : 厚木PAスマートIC供用開始する

<2022年(令和4)>
・4月1日:八王子西ICがETC専用化される
・6月30日:相模原ICがETC専用化される

<2023年(令和5)>
・3月31日:久喜白岡JCT~幸手IC・境古河IC~坂東ICが4車線化され、併せて当該区間の最高速度が70 km/hから80 km/hに変更される
・9月21日:坂戸ICがETC専用化される

<2024年(令和6)>
・3月22日:高尾山ICおよび寒川北ICがETC専用化される
・4月23日:坂東PA(内回り)が開設される
・9月19日:下総ICがETC専用化される

<2025年(令和7)>
・1月24日:圏央成田IC・多古ICの名称決定について公表される
・3月5日:牛久阿見ICがETC専用化される
・3月14日:幸手IC~五霞ICが4車線化され、併せて当該区間の最高速度が70 km/hから80 km/hに変更される
・3月23日:つくば西スマートICが供用開始する
・3月25日:坂東ICがETC専用化される
・3月26日:寒川南IC・圏央厚木ICがETC専用化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1570年(元亀元)姉川の戦いで織田信長・徳川家康連合軍が浅井・朝倉連合軍を破る(新暦7月30日)詳細
1837年(天保8)日本人漂流民を乗せた米国商船を「異国船打払令」にて砲撃したモリソン号事件が起きる(新暦7月30日)詳細
1875年(明治8)「新聞紙条例」と「讒謗律」が発布される詳細
1914年(大正3)サラエボ事件で、オーストリア皇太子夫妻が暗殺され、第一次世界大戦の契機となる詳細
1919年(大正8)ドイツが連合国と第一次世界大戦の講和条約「ヴェルサイユ条約」に調印する詳細
1945年(昭和20)B29・141機による佐世保大空襲が始まり、翌日にかけて、罹災戸数12,037戸、死者1,242人を出す詳細
1948年(昭和23)福井地震(M7.1)が起こり、死者3,769人、負傷者22,203人を出す詳細
1951年(昭和26)小説家林芙美子の命日(芙美子忌)詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

funjinkougai01
 今日は、平成時代の1990年(平成2)に、「スパイクタイヤ粉塵防止法」(平成2年法律第55号)が公布・施行された日です。
 「スパイクタイヤ粉塵防止法」(すぱいくたいやふんじんぼうしほう)は、平成時代の1990年(平成2)6月27日に公布・施行された、スパイクタイヤの使用を規制すること等により、スパイクタイヤ粉塵の発生を防止し、もつて国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全するために制定された法律(平成2年法律第55号)ですが、正式名称は、「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」と言います。当時は、積雪寒冷地域においてスパイクタイヤを装着した自動車が道路を損傷することにより発生する粉塵による大気汚染が深刻な社会問題となっていました。この粉塵は、生活環境の悪化をもたらすだけでなく、人体への健康影響についても、調査結果によって指摘されていて、その防止が緊急の課題となります。
 そこで、本法は、「スパイクタイヤの使用を規制し、及びスパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する対策を実施すること等により、スパイクタイヤ粉じんの発生を防止し、もって国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的」(第1条)として、制定されました。このような中で、スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する国民並びに国及び地方公共団体の責務、指定地域におけるスパイクタイヤの使用規制等の措置等を定めました。
 本法は、即日施行されたものの、第7条の禁止条項は、1991年(平成3年)4月1日から、第8条の罰則規定は1992年(平成4年)4月1日から施行されています。
 以下に、「スパイクタイヤ粉塵防止法」(平成2年法律第55号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律」(平成2年法律第55号)1990年(平成2)6月27日公布・施行

(目的)
第一条 この法律は、スパイクタイヤの使用を規制し、及びスパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する対策を実施すること等により、スパイクタイヤ粉じんの発生を防止し、もって国民の健康を保護するとともに、生活環境を保全することを目的とする。

(定義)
第二条 この法律において「スパイクタイヤ」とは、積雪又は凍結の状態にある路面において滑ることを防止するために金属鋲びようその他これに類する物をその接地部に固定したタイヤをいう。
2 この法律において「自動車」とは、道路運送車両法(昭和二十六年法律第百八十五号)第二条第二項に規定する自動車をいう。
3 この法律において「スパイクタイヤ粉じん」とは、スパイクタイヤを装着した自動車を移動させることに伴い、当該スパイクタイヤに固定された金属鋲その他これに類する物が舗装された路面を損傷することにより発生する物質をいう。
4 この法律において「スパイクタイヤの使用」とは、スパイクタイヤを装着した自動車をその本来の用い方に従い移動させることをいう。
5 この法律において「道路」とは、道路法(昭和二十七年法律第百八十号)第二条第一項に規定する道路及び道路運送法(昭和二十六年法律第百八十三号)第二条第八項に規定する自動車道をいう。

(国民の責務)
第三条 何人も、スパイクタイヤ粉じんを発生させないように努めるとともに、国又は地方公共団体が実施するスパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する施策に協力しなければならない。
(国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する啓発及び知識の普及、冬期における道路の環境の整備、スパイクタイヤに代替するタイヤ等の開発の支援、冬期における自動車の安全な運転のための教育等スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する基本的かつ総合的な施策を推進するように努めるとともに、地方公共団体が実施するスパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する施策を推進するために必要な助言その他の措置を講ずるように努めなければならない。
2 地方公共団体は、当該地域の自然的、社会的条件に応じたスパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する施策の実施に努めなければならない。

(地域の指定)
第五条 環境大臣は、住居が集合している地域その他の地域であって、スパイクタイヤ粉じんの発生を防止することにより住民の健康を保護するとともに生活環境を保全することが特に必要であるものを、指定地域として指定しなければならない。
2 都道府県知事は、前項の指定地域(以下「指定地域」という。)の要件に該当すると認められる一定の地域があるときは、同項の指定について、環境大臣に対し、その旨の申出をすることができる。
3 環境大臣は、指定地域を指定しようとするときは、国家公安委員会その他関係行政機関の長に協議するとともに、関係都道府県知事の意見を聴かなければならない。
4 都道府県知事は、第二項の申出をし、又は前項の意見を述べようとするときは、関係市町村長の意見を聴かなければならない。
5 環境大臣は、指定地域を指定するときは、その旨及びその区域を官報で公示するとともに、当該指定地域を管轄する都道府県知事に通知しなければならない。
6 都道府県知事は、前項の通知を受けたときは、当該指定地域をその地域に含む市町村の長その他の関係市町村長にその旨を通知しなければならない。
7 第二項から前項までの規定は、指定地域の指定の変更又は解除について準用する。

(対策の実施)
第六条 指定地域に係る都道府県は、当該指定地域のスパイクタイヤ粉じんの発生を防止するための対策として、当該指定地域の特性を考慮しつつ、知識の普及、住民の意識の高揚及び調査の実施に努めなければならない。
(スパイクタイヤの使用の禁止)
第七条 何人も、指定地域内の路面にセメント・コンクリート舗装又はアスファルト・コンクリート舗装が施されている道路の積雪又は凍結の状態にない部分(トンネル内の道路その他の政令で定める道路の部分を除く。)において、スパイクタイヤの使用をしてはならない。ただし、消防用自動車、救急用自動車その他の政令で定める自動車に係るスパイクタイヤの使用については、この限りでない。

(罰則)
第八条 前条の規定に違反した者は、十万円以下の罰金に処する。

附 則

(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から施行する。ただし、第七条の規定は平成三年四月一日から、第八条の規定は平成四年四月一日から施行する。

(経過措置)
第二条 この法律の施行の日から貨物自動車運送事業法(平成元年法律第八十三号)の施行の日までの間においては、第二条第五項中「第二条第九項」とあるのは、「第二条第八項」とする。
第三条 道路交通法(昭和三十五年法律第百五号)第三条の大型自動車その他の政令で定める自動車については、第七条本文及び第八条の規定は、公布の日から起算して三年を超えない範囲内において政令で定める日までの間は、適用しない。

  「法令全集」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1377年(永和3/天授3)第100代の天皇(北朝第6代)とされる後小松天皇の誕生日(新暦8月1日)詳細
1439年(永享11)飛鳥井雅世が『新続古今和歌集』(二十一代集最後)を撰上する(新暦8月6日)詳細
1582年(天正10)織田信長の後継を決めるための清洲会議が開催される(新暦7月16日)詳細
1850年(嘉永3)新聞記者・小説家小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の誕生日詳細
1900年(明治33)高岡明治33年の大火で、死者7名、負傷者46名、全焼3,589戸、半焼25戸の被害を出す詳細
1909年(明治42)「朝日新聞」で夏目漱石著の小説『それから』が連載開始される詳細
1927年(昭和2)満蒙への積極的介入方針と対中国基本政策決定のため、「東方会議」が開始(~7月7日)される詳細
1936年(昭和11)小説家・児童文学者鈴木三重吉の命日詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

goumonkinshijyouyaku01
 今日は、昭和時代後期の1987年(昭和62)に、「拷問等禁止条約」が発効した日です。
 「拷問等禁止条約」(ごうもんとうきんしじょうやく)は、拷問およびその他の残酷な、非人間的な、あるいは品位を傷つける扱いや刑罰の禁止を定める国際条約で、正式名称は「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する条約」と言います。国連犯罪防止会議が作成した草案に基づき、1975年(昭和50)の第30国連総会が拷問等禁止宣言を採択後、国際連合人権委員会の草案に基づき、1984年(昭和59)12月10日に、第39国連総会で採択されたものの、発効は、1987年(昭和62)6月26日となりました。
 政府などが個人に対し、必要とする情報を得るために肉体的・精神的な激しい苦痛を故意に加えることを禁止し、各国政府に拷問行為禁止のための措置を設定し、拷問行為に刑罰を課すことを義務づけています。日本は、1999年(平成11)6月29日に加入し、同年7月29日に国内で発効していますが、個人通報制度の受諾は行っていません。2024年(令和6)6月現在の批准国は、174ヶ国となっています。
 以下に、「拷問等禁止条約」の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「拷問等禁止条約」1984年(昭和59)12月10日に第39国連総会で採択、1987年(昭和62)6月26日発効

拷問及び他の残虐な非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約

 この条約の締約国は、
 国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであることを考慮し、
 これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め、
 人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守を助長すべき義務を国際連合憲章、特にその第五十五条の規定に基づいて諸国が負っていることを考慮し、
 何人も拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けないことを定めている世界人権宣言第五条及び市民的及び政治的権利に関する国際規約第七条の規定に留意し、
 また、千九百七十五年十二月九日に国際連合総会で採択された拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰を受けることからのすべての人の保護に関する宣言に留意し、
 拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰を無くすための世界各地における努力を一層効果的なものとすることを希望して、
 次のとおり協定した。

第一部

第一条
1.この条約の適用上、「拷問」とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。「拷問」には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない。

2.1の規定は、適用範囲が一層広い規定を含んでおり又は含むことのある国際文書又は国内法令に影響を及ぼすものではない。

第二条
1.締約国は、自国の管轄の下にある領域内において拷問に当たる行為が行われることを防止するため、立法上、行政上、司法上その他の効果的な措置をとる。
2.戦争状態、戦争の脅威、内政の不安定又は他の公の緊急事態であるかどうかにかかわらず、いかなる例外的な事態も拷問を正当化する根拠として援用することはできない。
3.上司又は公の機関による命令は、拷問を正当化する根拠として援用することはできない。

第三条
1.締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない。
2.権限のある当局は、1の根拠の有無を決定するに当たり、すべての関連する事情(該当する場合には、関係する国における一貫した形態の重大な、明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含む。)を考慮する。

第四条
1.締約国は、拷問に当たるすべての行為を自国の刑法上の犯罪とすることを確保する。拷問の未遂についても同様とし、拷問の共謀又は拷問への加担に当たる行為についても同様とする。
2.締約国は、1の犯罪について、その重大性を考慮した適当な刑罰を科することができるようにする。

第五条
1.締約国は、次の場合において前条の犯罪についての自国の裁判権を設定するため、必要な措置をとる。
(a)犯罪が自国の管轄の下にある領域内で又は自国において登録された船舶若しくは航空機内で行われる場合
(b)容疑者が自国の国民である場合
(c)自国が適当と認めるときは、被害者が自国の国民である場合
2.締約国は、容疑者が自国の管轄の下にある領域内に所在し、かつ、自国が1のいずれの締約国に対しても第八条の規定による当該容疑者の引渡しを行わない場合において前条の犯罪についての自国の裁判権を設定するため、同様に、必要な措置をとる。
3.この条約は、国内法に従って行使される刑事裁判権を排除するものではない。

第六条
1.第四条の犯罪の容疑者が領域内に所在する締約国は、自国が入手することができる情報を検討した後、状況によって正当であると認める場合には、当該容疑者の所在を確実にするため、抑留その他の法的措置をとる。この措置は、当該締約国の法令に定めるところによるものとするが、刑事訴訟手続又は犯罪人引渡手続を開始するために必要とする期間に限って継続することができる。
2.1の措置をとった締約国は、事実について直ちに予備調査を行う。
3.1の規定に基づいて抑留された者は、その国籍国の最寄りの適当な代表と又は、当該者が無国籍者である場合には、当該者が通常居住している国の代表と直ちに連絡を取ることについて援助を与えられる。
4.いずれの国も、この条の規定に基づいていずれかの者を抑留する場合には、前条1(a)、(b)又は(c)の場合に該当する国に対し、当該者が抑留されている事実及びその抑留が正当とされる事情を直ちに通報する。2の予備調査を行う国は、その結果をこれらの国に対して速やかに報告するものとし、また、自国が裁判権を行使する意図を有するか否かを明らかにする。

第七条
1.第四条の犯罪の容疑者がその管轄の下にある領域内で発見された締約国は、第五条の規定に該当する場合において、当該容疑者を引き渡さないときは、訴追のため自国の権限のある当局に事件を付託する。
2.1の当局は、自国の法令に規定する通常の重大な犯罪の場合と同様の方法で決定を行う。第五条2の規定に該当する場合における訴追及び有罪の言渡しに必要な証拠の基準は、同条1の規定に該当する場合において適用される基準よりも緩やかなものであってはならない。
3.いずれの者も、自己につき第四条の犯罪のいずれかに関して訴訟手続がとられている場合には、そのすべての段階において公正な取扱いを保障される。

第八条
1.第四条の犯罪は、締約国間の現行の犯罪人引渡条約における引渡犯罪とみなされる。締約国は、相互間で将来締結されるすべての犯罪人引渡条約に同条の犯罪を引渡犯罪として含めることを約束する。
2.条約の存在を犯罪人引渡しの条件とする締約国は、自国との間に犯罪人引渡条約を締結していない他の締約国から犯罪人引渡しの請求を受けた場合には、この条約を第四条の犯罪に関する犯罪人引渡しのための法的根拠とみなすことができる。この犯罪人引渡しは、請求を受けた国の法令に定める他の条件に従う。
3.条約の存在を犯罪人引渡しの条件としない締約国は、犯罪人引渡しの請求を受けた国の法令に定める条件に従い、相互間で、第四条の犯罪を引渡犯罪と認める。
4.第四条の犯罪は、締約国間の犯罪人引渡しに関しては、当該犯罪が発生した場所のみでなく、第五条1の規定に従って裁判権を設定しなければならない国の領域内においても行われたものとみなされる。

第九条
1.締約国は、第四条の犯罪のいずれかについてとられる刑事訴訟手続に関し、相互に最大限の援助(当該訴訟手続に必要であり、かつ、自国が提供することができるすべての証拠の提供を含む。)を与える。
2.締約国は、相互間に司法上の相互援助に関する条約が存在する場合には、当該条約に合致するように1に規定する義務を履行する。

第十条
1.締約国は、拷問の禁止についての教育及び情報が、逮捕され、抑留され又は拘禁される者の身体の拘束、尋問又は取扱いに関与する法執行の職員(文民であるか軍人であるかを問わない。)、医療職員、公務員その他の者に対する訓練に十分取り入れられることを確保する。
2.締約国は、1に規定する職員、公務員その他の者の義務及び職務に関する規則又は指示に拷問の禁止を含める。

第十一条
 締約国は、拷問が発生することを無くすため、尋問に係る規則、指示、方法及び慣行並びに自国の管轄の下にある領域内で逮捕され、抑留され又は拘禁される者の身体の拘束及び取扱いに係る措置についての体系的な検討を維持する。

第十二条
 締約国は、自国の管轄の下にある領域内で拷問に当たる行為が行われたと信ずるに足りる合理的な理由がある場合には、自国の権限のある当局が迅速かつ公平な調査を行うことを確保する。

第十三条
 締約国は、自国の管轄の下にある領域内で拷問を受けたと主張する者が自国の権限のある当局に申立てを行い迅速かつ公平な検討を求める権利を有することを確保する。申立てを行った者及び証人をその申立て又は証拠の提供の結果生ずるあらゆる不当な取扱い又は脅迫から保護することを確保するための措置がとられるものとする。

第十四条
1.締約国は、拷問に当たる行為の被害者が救済を受けること及び公正かつ適正な賠償を受ける強制執行可能な権利を有すること(できる限り十分なリハビリテーションに必要な手段が与えられることを含む。)を自国の法制において確保する。被害者が拷問に当たる行為の結果死亡した場合には、その被扶養者が賠償を受ける権利を有する。
2.1の規定は、賠償に係る権利であって被害者その他の者が国内法令に基づいて有することのあるものに影響を及ぼすものではない。

第十五条
 締約国は、拷問によるものと認められるいかなる供述も、当該供述が行われた旨の事実についての、かつ、拷問の罪の被告人に不利な証拠とする場合を除くほか、訴訟手続における証拠としてはならないことを確保する。

第十六条
1.締約国は、自国の管轄の下にある領域内において、第一条に定める拷問には至らない他の行為であって、残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に当たり、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものを防止することを約束する。特に、第十条から第十三条までに規定する義務については、これらの規定中「拷問」を「他の形態の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰」と読み替えた上で適用する。
2.この条約は、残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を禁止し又は犯罪人引渡し若しくは追放に関連する他の国際文書又は国内法令に影響を及ぼすものではない。

第二部

第十七条
1.拷問の禁止に関する委員会(以下「委員会」という。)を設置する。委員会は、この部に定める任務を行う。委員会は、徳望が高く、かつ、人権の分野において能力を認められた十人の専門家により構成され、これらの専門家は、個人の資格で職務を遂行する。これらの専門家については、締約国が、委員会の委員の配分が地理的に衡平に行われること及び法律関係の経験を有する者の参加が有益であることを考慮して選出する。
2.委員会の委員は、締約国により指名された者の名簿の中から秘密投票により選出される。各締約国は、自国民の中から一人を指名することができる。締約国は、市民的及び政治的権利に関する国際規約に基づいて設置された人権委員会の委員でもあり、かつ、拷問の禁止に関する委員会の任務を遂行する意思を有する者を指名することが有益であることに留意する。
3.委員会の委員の選挙は、国際連合事務総長により招集される二年ごとの締約国の会合において行う。この会合は締約国の三分の二をもって定足数とし、会合に出席しかつ投票する締約国の代表によって投じられた票の最多数で、かつ、過半数の票を得た者をもって委員会に選出された委員とする。
4.委員会の委員の最初の選挙は、この条約の効力発生の日の後六箇月以内に行う。国際連合事務総長は、委員会の委員の選挙の日の遅くとも四箇月前までに、締約国に対し、自国が指名する者の氏名を三箇月以内に提出するよう書簡で要請する。同事務総長は、このようにして指名された者のアルファベット順による名簿(これらの者を指名した締約国名を表示した名簿とする。)を作成し、締約国に送付する。
5.委員会の委員は、四年の任期で選出され、再指名された場合には、再選される資格を有する。最初の選挙において選出された委員のうち五人の委員(これらの委員は、最初の選挙の後直ちに、3に規定する会合において議長がくじで定めるものとする。)の任期は、二年で終了する。
6.委員会の委員が死亡し、辞任し又は他の理由により委員会の任務を遂行することができなくなった場合には、当該委員を指名した締約国は、締約国の過半数の承認が得られることを条件として、自国民の中から当該委員の残任期間中その職務を遂行する他の専門家を任命する。その任命については、国際連合事務総長がこれを通報した後六週間以内に締約国の二分の一以上が反対しない限り、必要な承認が得られたものとする。
7.締約国は、委員会の任務を遂行中の委員に係る経費について責任を負う。

第十八条
1.委員会は、役員を二年の任期で選出する。役員は、再選されることができる。
2.委員会は、手続規則を定める。この手続規則には、特に次のことを定める。
(a)六人の委員をもって定足数とすること。
(b)委員会の決定は、出席する委員が投ずる票の過半数によって行うこと。
3.国際連合事務総長は、委員会がこの条約に基づく任務を効果的に遂行するために必要な職員及び便益を提供する。
4.国際連合事務総長は、委員会の最初の会合を招集する。委員会は、最初の会合の後は、手続規則に定める時期に会合する。
5.締約国は、締約国の会合及び委員会の会合の開催に関連して生じた経費(職員及び便益に係る費用等3に規定するところにより国際連合に生じた経費の国際連合に対する償還を含む。)について責任を負う。

第十九条
1.締約国は、自国がこの条約に基づく約束を履行するためにとった措置に関する報告を、この条約が自国について効力を生じた後一年以内に、国際連合事務総長を通じて委員会に提出する。その後は、締約国は、新たにとった措置に関する補足報告を四年ごとに提出し、及び委員会が要請することのある他の報告を提出する。
2.国際連合事務総長は、1の報告をすべての締約国に送付する。
3.1の報告は、委員会によって検討される。委員会は、当該報告について、一般的な性格を有する意見であって適当と認めるものを表明することができる。この場合には、当該意見は関係締約国に送付され、当該関係締約国は委員会に対する応答として自国が適当と認めるいかなる見解も表明することができる。
4.委員会は、第二十四条の規定に従って提出する委員会の年次報告に、その裁量により、3の規定に従って表明した意見を、当該意見について関係締約国から受領した見解と共に含める旨を決定することができるものとし、また、当該関係締約国が要請する場合には、1の規定に基づいて提出された報告の写しを含めることができる。

第二十条
1.委員会は、いずれかの締約国の領域内における拷問の制度的な実行の存在が十分な根拠をもって示されていると認める信頼すべき情報を受領した場合には、当該締約国に対し、当該情報についての検討に協力し及びこのために当該情報についての見解を提出するよう要請する。
2.委員会は、関係締約国が提出することのあるすべての見解を他の入手可能なすべての情報と共に考慮した上で、正当であると認める場合には、一人又は二人以上の委員を指名して秘密調査を行わせ及び委員会への早急な報告を行わせることができる。
3.委員会は、2の規定に従って調査が行われる場合には、関係締約国の協力を求める。この調査を行うに当たっては、当該関係締約国の同意がある場合には、その領域を訪問することができる。
4.委員会は、2の規定に従って委員から提出された調査結果を検討した後、当該状況に照らして適当と認める意見又は提案を付して当該調査結果を関係締約国に送付する。
5.1から4までに規定する委員会のすべての手続は秘密とし、また、当該手続のすべての段階において1の締約国の協力を求める。委員会は、2の規定に従って行われた調査に係る手続が完了した後、当該締約国と協議の上、当該手続の結果の概要を第二十四条の規定に従って提出する委員会の年次報告に含めることを決定することができる。

第二十一条
1.この条約の締約国は、この条約に基づく義務が他の締約国によって履行されていない旨を主張するいずれかの締約国からの通報を委員会が受理し及び検討する権限を有することを認める宣言を、この条の規定に基づいていつでも行うことができる。この通報は、委員会が当該権限を有することを自国について認める宣言を行った締約国によるものである場合に限り、この条に定める手続に従って受理し及び検討することができる。委員会は、宣言を行っていない締約国についての通報をこの条の規定の下で取り扱ってはならない。この条の規定に基づいて受理される通報は、次の手続に従って取り扱う。
(a)締約国は、他の締約国がこの条約を実施していないと認める場合には、書面による通知により、当該事案につき当該他の締約国の注意を喚起することができる。通知を受領した国は、その受領の後三箇月以内に、当該事案について事情を明らかにするための説明その他の陳述を、書面により、通知を送付した国に提供する。当該説明その他の陳述には、当該事案について既にとられたか、とることとなっているか又は利用することのできる国内的な手続及び救済措置への言及を、可能かつ適当な範囲内において含めなければならない。
(b)最初の通知の受領の後六箇月以内に(a)の事案が関係締約国の双方が満足するように調整されない場合には、いずれの一方の締約国も、委員会及び他方の締約国に対する通報により当該事案を委員会に付託する権利を有する。
(c)委員会は、この条の規定に基づいて付託された事案についてすべての国内的な救済措置がとられかつ尽くされたことを確認した後に限り、一般的に認められた国際法の原則に従い、当該付託された事案を取り扱う。ただし、救済措置の実施が不当に遅延する場合又はこの条約の違反の被害者である者に効果的な救済を与える可能性に乏しい場合は、この限りでない。
(d)委員会は、この条の規定に基づいて通報を検討する場合には、非公開の会合を開催する。
(e)(c)の規定に従うことを条件として、委員会は、この条約に定める義務の尊重を基礎として事案を友好的に解決するため、関係締約国に対してあっせんを行う。このため、委員会は、適当な場合には、特別調停委員会を設置することができる。
(f)委員会は、この条の規定に基づいて付託されたいずれの事案についても、(b)の関係締約国に対し、あらゆる関連情報を提供するよう要請することができる。
(g)(b)の関係締約国は、委員会において事案が検討されている間において代表を出席させ及び口頭又は書面により意見を述べる権利を有する。
(h) 委員会は、(b)の通報を受領した日の後十二箇月以内に、次の(i)又は(ii)の規定に従って報告を提出する。報告は、各事案ごとに、関係締約国に送付する。
 (i) (e)の規定により解決が得られた場合には、委員会は、事実及び得られた解決について簡潔に記述した報告を提出する。
 (ii) (e)の規定により解決が得られない場合には、委員会は、事実について簡潔に記述した報告を提出し、その報告に関係締約国の口頭による意見の記録及び書面による意見を添付する。
2.この条の規定は、五の締約国が1の規定に基づく宣言を行った時に効力を生ずる。宣言は、締約国が国際連合事務総長に寄託するものとし、同事務総長は、その写しを他の締約国に送付する。宣言は、同事務総長に対する通告により、いつでも撤回することができる。撤回は、この条の規定に基づく通報により既に付託された事案の検討を妨げるものではない。同事務総長が宣言の撤回の通告を受領した後は、いずれの締約国による新たな通報も、関係締約国が新たに宣言を行わない限り、この条の規定に基づいて受理してはならない。

第二十二条
1.この条約の締約国は、自国の管轄の下にある個人であっていずれかの締約国によるこの条約の規定の違反の被害者であると主張する者により又はその者のために行われる通報を、委員会が受理し及び検討する権限を有することを認める宣言を、この条の規定に基づいていつでも行うことができる。委員会は、宣言を行っていない締約国についての通報を受理してはならない。
2.委員会は、この条の規定に基づく通報であっても、匿名のもの又は通報を行う権利の濫用であるか若しくはこの条約の規定と両立しないと認めるものについては、これを受理することのできないものとしなければならない。
3.委員会は、2の規定に従うことを条件として、この条の規定に基づいて行われたいずれの通報についても、1の規定に基づく宣言を行いかつこの条約のいずれかの規定に違反しているとされた締約国の注意を喚起する。注意を喚起された国は、六箇月以内に、当該事案及び救済措置が当該国によりとられている場合には当該救済措置についての事情を明らかにするための説明その他の陳述を、書面により、委員会に提出する。
4.委員会は、関係する個人により又はその者のために及び関係締約国により委員会の利用に供されたすべての情報に照らして、この条の規定に基づいて受理する通報を検討する。
5.委員会は、次のことを確認しない限り、この条の規定に基づく個人からのいかなる通報もしてはならない。
(a)同一の事案が他の国際的な調査又は解決の手続によってかつて検討されたことがなく、かつ、現在検討されていないこと。
(b)当該個人が、利用し得るすべての国内的な救済措置を尽くしたこと。ただし、救済措置の実施が不当に遅延する場合又はこの条約の違反の被害者である者に効果的な救済を与える可能性に乏しい場合は、この限りでない。
6.委員会は、この条の規定に基づいて通報を検討する場合には、非公開の会合を開催する。
7.委員会は、その見解を関係する締約国及び個人に送付する。
8.この条の規定は、五の締約国が1の規定に基づく宣言を行った時に効力を生ずる。宣言は、締約国が国際連合事務総長に寄託するものとし、同事務総長は、その写しを他の締約国に送付する。宣言は、同事務総長に対する通告により、いつでも撤回することができる。撤回は、この条の規定に基づく通報により既に付託された事案の検討を妨げるものではない。同事務総長が宣言の撤回の通告を受領した後は、個人によるか又はその者のための新たな通報は、関係締約国が新たに宣言を行わない限り、この条の規定に基づいて受理してはならない。

第二十三条
 委員会の委員及び第二十一条1(e)の規定に基づいて設置される特別調停委員会の委員は、国際連合の特権及び免除に関する条約の関連規定に規定する国際連合のための任務を行う専門家の便益、特権及び免除を享受する。

第二十四条
 委員会は、この条約に基づく活動に関する年次報告を締約国及び国際連合総会に提出する。

第三部

第二十五条
1.この条約は、すべての国による署名のために開放しておく。
2.この条約は、批准されなければならない。批准書は、国際連合事務総長に寄託する。

第二十六条
 この条約は、すべての国による加入のために開放しておく。加入は、加入書を国際連合事務総長に寄託することによって行う。

第二十七条
1.この条約は、二十番目の批准書又は加入書が国際連合事務総長に寄託された日の後三十日目の日に効力を生ずる。
2.二十番目の批准書又は加入書が寄託された後にこの条約を批准し又はこれに加入する国については、この条約は、その批准書又は加入書の寄託の日の後三十日目の日に効力を生ずる。

第二十八条
1.各国は、この条約の署名若しくは批准又はこの条約への加入の際に、委員会が第二十条に規定する権限を有することを認めない旨を宣言することができる。
2.1の規定に従って留保を付した締約国は、国際連合事務総長に対する通告により、いつでもその留保を撤回することができる。

第二十九条
1.この条約のいずれの締約国も、改正を提案し及び改正案を国際連合事務総長に提出することができる。同事務総長は、締約国に対し改正案を直ちに送付するとともに、当該改正案についての審議及び投票のための締約国会議の開催についての賛否を同事務総長に通報するよう要請する。その送付の日から四箇月以内に締約国の三分の一以上が会議の開催に賛成する場合には、同事務総長は、国際連合の主催の下に会議を招集する。会議に出席しかつ投票する締約国の過半数によって採択された改正案は、受諾のため、国際連合事務総長によりすべての締約国に送付される。
2.1の規定に従って採択された改正は、この条約の締約国の三分の二がそれぞれの国の憲法上の手続に従って当該改正を受諾した旨を国際連合事務総長に通告した時に、効力を生ずる。
3.改正は、効力を生じたときは、当該改正を受諾した締約国を拘束するものとし、他の締約国は、改正前のこの条約の規定(自国が受諾した従前の改正によって改正された規定を含む。)により引き続き拘束される。

第三十条
1.この条約の解釈又は適用に関する締約国間の紛争で交渉によって解決することができないものは、いずれかの紛争当事国の要請により、仲裁に付される。仲裁の要請の日から六箇月以内に仲裁の組織について紛争当事国が合意に達しない場合には、いずれの紛争2.当事国も、国際司法裁判所規程に従って国際司法裁判所に紛争を付託することができる。
3.各国は、この条約の署名若しくは批准又はこの条約への加入の際に、1の規定に拘束されない旨を宣言することができる。他の締約国は、そのような留保を付した締約国との関係において1の規定に拘束されない。
4.2の規定に従って留保を付した締約国は、国際連合事務総長に対する通告により、いつでもその留保を撤回することができる。

第三十一条
1.締約国は、国際連合事務総長に対して書面による通告を行うことにより、この条約を廃棄することができる。廃棄は、同事務総長がその通告を受領した日の後一年で効力を生ずる。
2.廃棄は、廃棄が効力を生ずる日前に生じた作為又は不作為について、この条約に基づく当該締約国の義務を免除するものではなく、また、廃棄が効力を生ずる日前に委員会が既に検討していた問題について検討を継続することを妨げるものでもない。
3.委員会は、いずれかの締約国の廃棄が効力を生じた日の後は、当該国に関連する新たな問題の検討を開始してはならない。

第三十二条
 国際連合事務総長は、国際連合のすべての加盟国及びこの条約に署名し又は加入したすべての国に対し、次の事項を通報する。
(a)第二十五条及び第二十六条の規定による署名、批准及び加入
(b)第二十七条の規定によりこの条約が効力を生ずる日及び第二十九条の規定により改正が効力を生ずる日
(c)前条の規定による廃棄

第三十三条
1.この条約は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語をひとしく正文とし、国際連合事務総長に寄託される。

2.国際連合事務総長は、この条約の認証謄本をすべての国に送付する。

   「外務省ホームページ」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1833年(天保4)長州藩士・政治家木戸孝允(桂小五郎)の誕生日(新暦8月11日)詳細
1903年(明治36)小説家・評論家・翻訳家・英文学者阿部知二の誕生日詳細
1925年(大正14)小説家杉本苑子の誕生日詳細
1945年(昭和20)「国際連合憲章」に52ヶ国が署名する詳細
鈴木貫太郎内閣によって「重要物資等の緊急疎開に関する件」が閣議決定される詳細
1962年(昭和37)国際労働機関(ILO)総会で「労働時間の短縮に関する勧告」(ILO第116号勧告)が採択される詳細
1968年(昭和43)「小笠原返還協定」が発効し、小笠原諸島がアメリカから日本に返還される詳細
1990年(平成2)国際労働機関(ILO)総会で「夜業に関する条約」が採択され、女性の深夜労働が認められる詳細
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ