ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2025年03月

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 今日は、昭和時代後期の1971年(昭和46)に、多摩ニュータウンで第一次入居が開始された日です。
 多摩ニュータウン(たまにゅーたうん)は、東京都南西部の稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる多摩丘陵に計画・開発された計画的住宅地域です。23の住区からなり、面積3,020ha、東西14km、南北2~4kmで、東京の住宅難を解消するためのもので、開発主体は住宅・都市整備公団(現在の独立行政法人・都市再生機構)、東京都、東京都住宅供給公社などでした。
 1963年(昭和38)に、「新住宅都市開発法」が制定されて南多摩地域の都市計画区域が決定され、1969年(昭和44)6月2日に起工式が行われ、1971年(昭和46)3月26日に、最初の入居が永山駅南側の諏訪・永山地区で行われます。当初は交通の便が悪かったのですが、1974年(昭和49)に京王電鉄相模原線が、1975年(昭和50)に小田急多摩線が多摩センター駅まで開通し、2000年(平成12)には、多摩都市モノレールが延伸されされて、立川市と結ばれました。
 また、1986年(昭和61)に恵泉女学園大学が開設されたのをはじめ、1989年(昭和64)に多摩大学、1991年(平成3)に東京都立大学の大沢キャンパス、1992年(平成4)に国士舘大学、1997年(平成9)にヤマザキ学園大学、2011年(平成23)に東京医療学院大学が開設されています。入居から25年以上たった既設住宅では、建物の老朽化が指摘され、急速に進む住民の高齢化が問題となり、一部では全面的な建て替えを実施する中高層住宅も出始めてきました。

〇多摩ニュータウン関係略年表

・1963年(昭和38)11月 南多摩地域の都市計画区域が決定する
・1964年(昭和39)5月 多摩新都市開発計画の基本方針が決定する
・1964年(昭和39)7月 多摩ニュータウンに関わる用途地域、街路計画の決定が告示される
・1964年(昭和39)10月 農林省との協議が開始される
・1965年(昭和40)12月 多摩ニュータウン新住宅市街地開発事業計画区域が決定する
・1966年(昭和41)12月 多摩ニュータウン事業が決定し、土地区画整理事業区域が決定する
・1969年(昭和44)6月2日 起工式が行われる
・1971年(昭和46)3月26日 多摩ニュータウンの最初の入居が永山駅南側の諏訪・永山地区で行われる
・1974年(昭和49)6月 小田急線がに小田急永山駅まで開通する
・1974年(昭和49)10月 京王線が京王多摩センター駅まで開通する
・1975年(昭和50) 小田急線が小田急多摩センター駅まで開通する
・1980年(昭和55) 多摩ニュータウンの人口が6万人となる
・1986年(昭和61)10月 恵泉女学園大学が開設される
・1987年(昭和62) 多摩ニュータウンの人口が10万人に達する
・1988年(昭和63)4月 大妻女子大学が開設される
・1988年(昭和63)5月21日 京王相模原線の京王多摩センター駅~南大沢駅間が開業する
・1989年(昭和64)4月 多摩大学が開設される
・1990年(平成2) 小田急多摩線が小田急多摩センター駅~唐木田駅まで延伸する
・1991年(平成3)4月 東京都立大学の大沢キャンパスが開設される
・1992年(平成4)4月 国士舘大学が開設される
・1997年(平成9)4月 ヤマザキ学園大学が開設される
・2000年(平成12) 立川市との間に多摩都市モノレールが延伸される
・2006年(平成18) 新住宅市街地開発事業が終了する
・2011年(平成23)4月 東京医療学院大学が開設される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1205年(元久2)『新古今和歌集』が一応成立し、竟宴が開かれる(新暦4月16日)詳細
1489年(長享3)室町幕府第9代将軍足利義尚の命日(新暦4月26日)詳細
1867年(慶応3)江戸幕府がオランダに発注していた蒸気軍艦「開陽丸」が横浜港に到着する(新暦4月30日)詳細
1925年(大正14)「衆議院議員選挙法」の全面改正(通称:普通選挙法)が貴族院を通過成立する詳細
1935年(昭和10)小説家与謝野寛(鉄幹)の命日詳細
1962年(昭和37)小説家・詩人室生犀星の命日詳細
1975年(昭和50)「生物兵器禁止条約(BWC)」が発効する詳細
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 今日は、江戸時代後期の1826年(文政9)に、P.F.vonシーボルトがオランダ商館長に随行して、将軍徳川家斉に謁見した日ですが、新暦では5月1日となります。
 P.F.vonシーボルト(フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト)は、ドイツの医師・博物学者で、オランダ商館の医師として来日し、長崎に鳴滝塾を開設していますが、正式には、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(ドイツ語: Philipp Franz Balthasar von Siebold)と言います。1796年2月17日に、南ドイツのバイエルンのビュルツブルクにおいて、医師の家系で、父はヴュルツブルク大学医学部産婦人科教授ヨハン・ゲオルク・クリストフ・フォン・シーボルトの次男として生まれました。
 1歳余で父を亡くし、ハイディングスフェルに住む母方の叔父に育てられます。1810年にヴュルツブルクの高校に入学し、その後、ビュルツブルク大学で医学、植物学、動物学、地理学などを学び、1820年に学位を得ました。
 1822年にオランダ領東インド会社付の医官となり、翌年にジャワに赴任します。まもなく、日本に任官することになり、1823年(文政6)にオランダ商館の医師として来日、長崎出島に入りました。
 翌年に長崎郊外に学塾兼診療所「鳴滝(なるたき)塾」を開設、西洋医学および一般科学を教授して、高野長英、高良斎、伊東玄朴、戸塚静海、美馬順三、二宮敬作ら多くの門人を育てます。1826年(文政9)にオランダ商館長の江戸参府に随行して、1ヶ月余り江戸に滞在、その間に高橋景保、大槻玄沢、宇田川榕庵ら江戸の蘭学者と交流を持ちました。
 また、日本の動植物を研究し、日本に関する研究資料も集めます。帰国に際し、国禁の日本地図や葵紋付き衣服などを持ち出そうとして発覚(シーボルト事件)し、処罰され、1829年(文政12)に国外追放処分を受けました。
 その後、1858年(安政5)の「日蘭修好通商条約」の締結により、P.F.vonシーボルトの追放が解除となり、翌年にオランダ商事会社員として長男アレクサンダーを伴って再来日します。幕府の外交にも参与しましたが、1862年(文久2)に日本を去り、1866年10月18日に、ドイツのミュンヘンにおいて、70歳で病死しました。

<P.F.vonシーボルトの主要な日本関係の著作>

・『日本』 Nippon(1832~54年) 
・『日本植物誌』 Flora Japonica(1835~70年) 
・『日本動物誌』 Fauna Japonica(1833~50年)
・『江戸参府紀行』 

〇徳川家斉(とくがわ いえなり)とは?

 江戸幕府の第11代将軍です。江戸時代中期の1773年(安永2年10月5日)に、御三卿一橋家の第2代当主徳川治済の長男(母は側室のお富の方)として生まれましたが、幼名は豊千代といいました。1781年(天明元)に、第10代将軍徳川家治の世嗣である徳川家基の急死後、家治の養子となり、将軍後継者として、江戸城西の丸に移ります。
 翌年に天明の太飢饉が始まる中で元服し、家斉と名乗り、従二位権大納言に叙任されましたが、1783年(天明3年7月)には浅間山天明大噴火が起こりました。1786年(天明6)に家治が50歳で急死し、田沼意次が失脚した翌年に、第11代将軍として宣下されますが、天明の打ちこわしが起き、世情は騒然とします。
 その中で、松平定信を老中筆頭として、寛政の改革が始まりました。1789年(寛政元)に棄捐令発布、翌年人足寄場を江戸石川島に設置、朱子学以外の学問を禁止(寛政異学の禁)など一連の改革が進められますが、思うようにはいかず、1793年(寛政5)に父・治済と協力して定信を罷免し、寛政の改革は終わりを告げます。
 定信の罷免後は親政し、右大臣・左大臣・太政大臣となり、町人文化が成熟した、いわゆる文化文政時代を現出したものの、財政窮乏化、綱紀紊乱、士風の著しい退廃を招きました。また、1804年(文化元)にロシア使節レザノフが長崎に来航するなど外圧が強まる中、1825年(文政8)には、「異国船打払令」を出しています。
 1833年(天保4)に天保の大飢饉が起き、1837年(天保8)に大坂で大塩平八郎の乱が起こる中で、次男・家慶に将軍職を譲り、大御所として幕政の実権は握りました。側室40人、子女55人を設けましたが、1841年(天保12年閏1月7日)に江戸城内において、数え年69歳で亡くなっています。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

850年(嘉祥3)第56代の天皇とされる清和天皇(源氏の祖)の誕生日(新暦5月10日)詳細
1356年(正平11/延文元)二條良基が日本初の連歌選集『菟玖波集』を編纂し、序文が書かれる(新暦4月26日)詳細
1906年(明治39)島崎藤村が長篇小説『破戒』を「緑陰叢書」第1篇として自費出版し、自然主義文学の出発点となる詳細
1919年(大正8)建築家・工学博士で、「日本近代建築の父」と呼ばれた辰野金吾の命日詳細
1928年(昭和3)全日本無産者芸術連盟(ナップ)が結成される詳細
1939年(昭和14)「軍用資源秘密保護法」が公布(施行は同年6月26日)される詳細
2005年(平成17)愛知県において、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)が開幕する詳細
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 今日は、昭和時代前期の1928年(昭和3)に、東京の上野恩賜公園で、御大礼記念国産振興博覧会が開幕した日です。
 御大礼記念国産振興博覧会(ごたいれいきねんこくさんしんこうはくらんかい)は、昭和時代前期の1928年(昭和3)3月24日~5月27日まで、昭和天皇の即位の大礼を奉祝する記念として、東京商工会議所が主催して、上野公園竹の台を第1会場にし、不忍池畔の産業館を第2会場として開催した優良国産品の一大博覧会です。第1会場正面には、白亜の八角搭で、壮麗な大礼記念館が場内随一の高搭として聳え、館内では大礼記念展が開かれ、ご即位式の模型や装束類が展示され、その両側に東1・2号館と西1・2・3号館が、両側に東西に分かれて並び、館内には全国各府県市、各団体のほか中央の官公庁も出品をしました。
 娯楽施設として、新天地館、人類館、民謡館、水族館、演芸館などがつくられ、盛り沢山の余興で賑わいます。第2会場の不忍池には、機械館のほか殖民地からの参加で、台湾館や樺太館が建てられ、朝鮮館も渡月橋沿いに特設館を建てました。大礼記念館などの主要施設は、アールデコ様式を採り入れており、建築家岡田信一郎が設計しています。
 会期は、3月24日~5月27日までの65日間で、来場者は、2,233,487人あり、とても盛況でした。尚、上野恩賜公園での大規模な博覧会は、これが最後となります。

〇上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)とは?

 東京都台東区にある都立公園で、面積は53.2万㎡あり、通称は上野公園と言います。恩賜上野動物園、東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、東京文化会館、東京芸術大学など多くの文化施設があり、都内随一のサクラの名所としても知られてきました。
 江戸時代は寛永寺の境内でしたが、1868年(慶応4)の彰義隊の戦いで寛永寺の建物が焼失し、その跡地が1873年(明治6)1月15日の公園開設の「明治6年太政官布達第16号」により、同年3月25日には、芝、飛鳥山、深川、浅草と共に最初の5公園の一つとして正式指定されて東京府公園となります。1875年(明治8)に不忍池(しのばずのいけ)周辺も編入され、翌年1月には、東京府から内務省博物局に移管、博物館所属の公園地となりました。
 その後、造営が進められ完成に伴って、同年5月9日に明治天皇行幸で開園式が行われています。1877年(明治10)に第1回内国勧業博覧会がこの公園で開催され、以後第3回まで続きました。
 1882年(明治15)に上野動物園、寛永寺本堂跡に現在の東京国立博物館、1887年(明治20)に美術学校・音楽学校(現在の東京芸術大学)などが開設、移築されています。1924年(大正13)には、昭和天皇御成婚記念として不忍池とともに東京市に下賜され、一般に開放されて上野恩賜公園と命名されました。

☆上野恩賜公園関係略年表

・1868年(明治元)7月4日 上野戦争により寛永寺伽藍の大部分を焼失する
・1873年(明治6)3月 太政官布達第16号により東京府公園に指定される
・1875年(明治8) 上野山内に加え不忍池も公園地として併合され、府下一の公園となる
・1876年(明治9)1月 東京府から内務省博物局に移管され、上野公園は博物館所属の公園地となる
・1877年(明治10) 国立科学博物館の前身である教育博物館竣工(のちの東京芸大の地)、寛永寺本坊跡地にて第1回内国勧業博覧会を開催する
・1879年(明治12)8月 島津忠義公が、訪日中のグラント将軍と明治天皇のため、天覧犬追物を開催。タイサンボクとローソンヒノキが植樹される
・1881年(明治14) 第2回内国勧業博覧会を開催、閉会後に博物館が使用する前提で煉瓦造の建物を建設する
・1882年(明治15)3月20日 国立博物館および付属動物園(元寒松院跡の清水谷に)が開館する
・1887年(明治20)12月 図面取調掛は東京美術学校と改称し、現在の地に移転する
・1890年(明治23) 公園地は帝室御料地となり宮内省の管轄に置かれる
・1898年(明治31) 西郷隆盛像除幕式が行われる
・1902年(明治35)3月 帝室博物館開館式が行われる
・1909年(明治42)2月 東京帝室博物館表慶館が開館する
・1914年(大正3) 園内で東京大正博覧会が開催される(3月20日~7月31日)
・1924年(大正13) 宮内省から東京市に下賜され(払い下げられ)、この経緯から「上野恩賜公園」という名称となる
・1926年(大正15)5月 東京府美術館が開館する
・1928年(昭和3) 御大礼記念国産振興博覧会が開催される(3月24日~5月27日)
・1930年(昭和5)3月 上野図書館新館が落成する
・1931年(昭和6)11月 東京科学博物館が開館する
・1946年(昭和21) 戦災者救済会により不忍池(蓮池)の水を落として水田とし、上野田圃と呼ばれる
・1948年(昭和23)3月 上野鐘声会が花咲き匂う上野の山の復興を願って1250本のサクラを植樹する
・1952年(昭和27) 上野動物園拡張整備、東京科学博物館が廃止となり、国立科学博物館が設置される
・1953年(昭和28) 竹の台周辺整備開始され、水上音楽堂が竣工する
・1959年(昭和34)6月 国立西洋美術館が開館する
・1961年(昭和36)4月 東京文化会館が開館する
・1962年(昭和37)5月 竹の台噴水テラス沈床芝生が完成する
・1965年(昭和40) 東照宮が国の重要文化財に指定される
・1968年(昭和43)4月 明治100年記念サクラ植樹が行われる
・1972年(昭和47) 上野の森美術館が開館、上野動物園にジャイアントパンダが到着する
・1973年(昭和48) 公園指定100周年を記念して、アントニウス・ボードウィンの銅像を建立する
・1975年(昭和50)9月 東京都美術館新館が開館する
・1979年(昭和54)11月 国立西洋美術館新館が開館する
・1980年(昭和55)10月 下町風俗資料館が開館する
・1987年(昭和62)3月 東京芸術大学旧奏楽堂が移築復元される
・1988年(昭和63)6月 水上音楽堂改築が竣工する
・1997年(平成9)12月 国立西洋美術館企画展示館が竣工する
・1998年(平成10)3月 東京芸術大学奏楽堂が竣工する
・1999年(平成11) 東京芸術大学美術館、東京国立博物館平成館が開館する
・2000年(平成12)10月 「パンダ橋」が竣工する
・2008年(平成20)9月 水上音楽堂改築竣工、野外ステージに改名される
・2012年(平成24) 「上野恩賜公園再生整備事業」における「竹の台・文化施設エリア」の再整備工事(噴水・オープンカフェ・園路の再整備と樹木伐採)が完了する
・2020年(令和2)3月 JR上野駅公園口周辺の再整備により、公園敷地と公園口改札の歩行者空間が一体化される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1185年(寿永4)壇ノ浦の戦いが行われ、平家一門が滅亡する(新暦4月25日)詳細
1847年(弘化4)信濃国で善光寺地震(推定マグニチュード7.4)が起き、甚大な被害をもたらす(新暦5月8日)詳細
1887年(明治20)砂防工学者・政治家赤木正雄の誕生日詳細
1891年(明治24)「度量衡法」(明治24年3月24日法律第3号)が公布される詳細
1932年(昭和7)小説家梶井基次郎の命日詳細
1974年(昭和49)建築家吉田五十八の命日詳細
1983年(昭和58)千代田IC~鹿野ICの開通によって、中国自動車道(吹田~下関)が全通する詳細
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 今日は、平成時代の2013年(平成25)に、全国10種類の交通系ICカードで、交通系ICカード全国相互利用サービスが開始された日です。
 交通系ICカード(こうつうけいあいしーかーど)は、IC(集積回路)チップが埋め込まれたカード型の乗車券で、自動改札機などの読取り部分に近づけるだけで電車やバスなどの公共交通機関の運賃を自動精算できるものです。2001年(平成13)11月18日に、ソニーの ICカード技術 FeliCaを採用したJR東日本の「Suica」が誕生したのが最初で、使い勝手のよさから急速に普及し、導入する交通事業者が急増しました。
 定期券としての利用も可能で、クレジットカード機能を加えて自動入金できるものや電子マネーカードの機能もあり、駅構内の売店のほか、加盟しているコンビニエンスストアや飲食店、自動販売機などの決済にも利用できるようになっています。2013年(平成25)3月23日より、北海道圏のJR北海道「Kitaca」、首都圏のJR東日本「Suica」・PASMO協議会「PASMO」、名古屋圏のJR東海「TOICA」・名古屋市交通局と名古屋鉄道「manaca」、近畿圏のJR西日本「ICOCA」・スルッとKANSAI協議会「PiTaPa」、九州圏のJR九州「SUGOCA」・西日本鉄道「nimoca」・福岡市交通局「はやかけん」の全国10カードが相互利用サービスを開始しましたが、首都圏の「Suica」と「PASMO」、九州圏の「SUGOCA」と「はやかけん」以外は、原則的にエリアをまたいでの利用ができないままとされてきました。
 また、「PiTaPa」を除く、9種類のカードは電子マネーとしても相互利用が可能となり、全国20万店以上の加盟店で決済に利用できます。

〇交通系ICカード全国相互利用サービスへ参加の交通系ICカード(10カード)

・北海道旅客鉄道(JR北海道、Kitaca)
・東日本旅客鉄道(JR東日本、Suica)
・東海旅客鉄道(JR東海、TOICA)
・西日本旅客鉄道(JR西日本、ICOCA)
・九州旅客鉄道(JR九州、SUGOCA)
・パスモ(PASMO)
・名古屋交通開発機構(マナカ)・エムアイシー(manaca)
・スルッとKANSAI(PiTaPa)
・福岡市交通局(はやかけん)
・西日本鉄道(nimoca)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1238年(暦仁元)僧・浄光が鎌倉大仏(木造仏)の建立を開始する(新暦5月8日)詳細
1883年(明治16)陶芸家・篆刻家・料理研究家・書家・画家北大路魯山人の誕生日詳細
1898年(明治31)東京市本郷区で本郷大火があり、1,478戸を焼失する詳細
1945年(昭和20)小磯国昭内閣が「国民義勇隊」結成を閣議決定する詳細
1950年(昭和25)世界気象機関(WMO)が設立される(世界気象デー)詳細
1979年(昭和54)漫画家近藤日出造の命日詳細
1981年(昭和56)国語審議会が当用漢字表に代わる「常用漢字表」を答申する詳細
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 今日は、平成時代の1997年(平成9)に、秋田新幹線・盛岡駅~秋田駅間が開業し、「こまち」が運転開始された日です。
 秋田新幹線(あきたしんかんせん)は、いわゆるミニ新幹線の一つ、盛岡駅~秋田駅間を結ぶ JR東日本の鉄道幹線(127.3km)の通称で、東京駅~盛岡駅間の東北新幹線の列車の一部を直通運行しています。1992年(平成4)に、JR東日本が秋田・盛岡間のミニ新幹線化を運輸省が事業認可し、秋田駅前で起工式が挙行され、JR東日本の田沢湖線(盛岡駅~大曲駅間)を標準軌に、奥羽本線(大曲駅~秋田駅間)を標準軌と狭軌の併用に改めました。
 1997年(平成9)3月22日に開業して、東京駅~秋田駅間に「こまち」がE3系5両編成で運行開始しましたが、山形新幹線に次いで2番目にミニ新幹線化された線区です。東京駅~秋田駅間に直通する特急「こまち」は、東北新幹線では特急「はやて」と併結されて、盛岡からは単独で秋田新幹線の区間に入りますが、2014年(平成26)3月15日には、全列車をE6系に置き換え、E3系の定期運用が終了しました。

〇秋田新幹線関係略年表

・1992年(平成4)1月30日 JR東日本が秋田・盛岡間のミニ新幹線化を運輸省が事業認可する
・1992年(平成4)3月13日 秋田駅前で起工式が挙行される
・1995年(平成7)4月19日 線区愛称を「秋田新幹線」に決定する
・1996年(平成8)7月30日 列車愛称を「こまち」に決定する
・1997年(平成9)3月22日 開業して、東京駅~秋田駅間に「こまち」がE3系5両編成で運行開始する
・1998年(平成10)12月8日 全列車が6両編成に増結される
・2001年(平成13)9月16日 乗車累計1,000万人を達成する
・2002年(平成14)12月1日 全列車を全席指定席化する
・2006年(平成18)3月11日 乗車累計2,000万人を達成する
・2007年(平成19)3月18日 全車両を禁煙とする
・2010年(平成22)8月15日 乗車累計3,000万人を達成する
・2014年(平成26)3月15日 「スーパーこまち」を廃止、列車名を「こまち」に統一し、秋田新幹線全列車をE6系に置き換え、E3系の定期運用が終了する
・2015年(平成27)6月12日 乗車累計4,000万人を達成する
・2019年(令和元)10月11日 乗車累計5,000万人を達成する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

646年(大化2)「薄葬令」が発布される(新暦4月12日)詳細
1898年(明治31)『時事新報』に、福沢諭吉が執筆したとされる、社説「支那人親しむ可し」が掲載される詳細
1925年(大正14)東京放送局(現在のNHK東京放送局)がラジオ仮放送を開始する(放送記念日)詳細
1943年(昭和18)童話作家新見南吉の命日詳細
1997年(平成9)新潟県の北越急行ほくほく線(六日町駅~犀潟駅)が開業し、北陸と東京を結ぶ最短ルートになる詳細
2005年(平成17)建築家・都市計画家・工学博士丹下健三の命日詳細
2007年(平成19)小説家・経済学者城山三郎の命日詳細
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