
八郎潟干拓(はちろうがたかんたく)は、当時、日本第2位の面積の湖だった秋田県の八郎潟を干拓して農地とした事業です。江戸時代や明治時代にも計画が立てられましたが、実現されずにいました。
太平洋戦争後、食糧増産の急務から、国の直轄事業として「国営八郎潟干拓事業」が立案され、1957年(昭和32)に着工されます。1963年(昭和38)に中央干拓堤防が完成して排水が終了し、翌年9月15日 に干拓式が行われ、10月1日には、「大潟村」が誕生しました。
1967年(昭和42)11月1日から、干拓地に入植が開始され、翌年には道路、用水路、排水路が完成し、全体の事業は1977年(昭和52)に竣工しています。20年におよぶ歳月と総事業費約852億円の巨費をかけて、総延長52kmの堤防の中に、170.05平方kmの広大な干拓地が出現しました。当初は、米の増産を目指していましたが、その後の減反政策の下で、苦渋の道を歩むことになります。
この干拓地の一角に、2000年(平成12)にオープンした「大潟村干拓博物館」があり、干拓当時の記録を展示するとともに、大潟村の発展のようす、今日の農業のすがたなどを学ぶことができます。
太平洋戦争後、食糧増産の急務から、国の直轄事業として「国営八郎潟干拓事業」が立案され、1957年(昭和32)に着工されます。1963年(昭和38)に中央干拓堤防が完成して排水が終了し、翌年9月15日 に干拓式が行われ、10月1日には、「大潟村」が誕生しました。
1967年(昭和42)11月1日から、干拓地に入植が開始され、翌年には道路、用水路、排水路が完成し、全体の事業は1977年(昭和52)に竣工しています。20年におよぶ歳月と総事業費約852億円の巨費をかけて、総延長52kmの堤防の中に、170.05平方kmの広大な干拓地が出現しました。当初は、米の増産を目指していましたが、その後の減反政策の下で、苦渋の道を歩むことになります。
この干拓地の一角に、2000年(平成12)にオープンした「大潟村干拓博物館」があり、干拓当時の記録を展示するとともに、大潟村の発展のようす、今日の農業のすがたなどを学ぶことができます。
〇八郎潟干拓関係略年表
・1952年(昭和27) 農林省は食糧の自給率を上げるため、食糧増産5カ年計画を策定、八郎潟干拓計画が検討される
・1953年(昭和28)8月 政府は農林省の担当者をオランダに派遣する
・1953年(昭和28) 八郎潟周辺の漁民たちは、八郎潟干拓反対同盟会を結成する
・1954年(昭和29)4月 オランダよりヤンセン教授とフォルカー技師が来日し、秋田を訪れ、八郎潟を視察する
・1954年(昭和29)7月 「日本の干拓に関する所見」(通称:ヤンセンレポート)を日本政府に提出する
・1957年(昭和32)5月1日 八郎潟干拓事業所が秋田市に設置され、八郎潟干拓工事が着工となる
・1957年(昭和32)12月 「八郎潟干拓事業に伴う漁業補償問題の実施に関する覚書」が結ばれる
・1958年(昭和33) 干拓事業の企画立案や工事の設計・完成検査、予算編成・執行・決算等を行う組織として八郎潟干拓事務所が設けられる
・1958年(昭和33)4月 男鹿市の払戸と船越間の西部地先干拓地堤防工事が始まる
・1958年(昭和33)8月 八郎潟町一日市の沖合で試験堤防工事が着工する
・1958年(昭和33)8月20日 秋田市山王体育館で起工式が挙行される
・1958年(昭和33)9月 日本初のサクション式浚渫船「双竜」が落成する
・1963年(昭和38)11月12日 正面堤防の締め切りが完了する
・1964年(昭和39)9月 比較的水深が浅い八郎潟の西部を中心に、約6,000haの湖底が姿を現す
・1964年(昭和39)9月15日 「干拓式」と題する式典を開催する
・1964年(昭和39)10月1日 秋田県で73番目(当時)の自治体として大潟村が発足する
・1965年(昭和40)5月27日 国営八郎潟干拓地に新農村を建設する「八郎潟新農村建設事業団法」が公布される
・1967年(昭和42) 干拓地に入植が開始される
・1968年(昭和43) 道路、用水路、排水路がつくられる
・1968年(昭和43)4月9日 農場で農場開きの式典が挙行される
・1969年(昭和44) 八郎潟干拓記念秋田農業大博覧会が開催される
・1970年(昭和45) 米の生産調整(減反政策)が開始され、大潟村への入植者公募が中止される
・1973年(昭和48) 入植者公募が再開されたものの、これを最後に打ち切られる
・1977年(昭和52) 全体の事業が竣工する
・1978年(昭和53) 玉川ダム建設保障で例外的に9戸が新規入植する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
| 1847年(弘化4) | 自由民権思想家中江兆民の誕生日(新暦12月8日) | 詳細 |
| 1868年(明治元) | 灯台記念日(日本最初の洋式灯台である観音埼灯台起工日の新暦換算日) | 詳細 |
| 1892年(明治25) | 黒岩涙香が日刊新聞「萬朝報」を創刊する | 詳細 |
| 1897年(明治30) | 東武鉄道が設立される | 詳細 |
| 1942年(昭和17) | 拓務省の興亜院等、外務省の東亜局・南洋局などを廃止・統合して、大東亜省が設置される | 詳細 |
| 1961年(昭和36) | 国会議事堂わきの現在地に、国立国会図書館本館が開館する | 詳細 |
| 1966年(昭和41) | 国立劇場(東京都千代田区隼町)の開場式が催される | 詳細 |