ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2024年08月

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 今日は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に、黒澤明監督の映画『羅生門』が封切りされた日です。
 映画『羅生門』(らしょうもん)は、昭和時代中期の1950年(昭和25)に封切りされた大映映画です。芥川龍之介の短編小説『藪の中』を橋本忍と黒澤明が脚色し、黒澤明が監督したもので、三船敏郎、森雅之、京マチ子、志村喬、千秋実、上田吉二郎、加東大介ほかが出演しました。
 平安の乱世を舞台に、武士の死をめぐり、妻や盗賊等の告白が一つ一つ食違う多義的な真実を映画化した異色時代劇です。第12回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞、第1回ブルーリボン賞で脚本賞、第24回アカデミー賞で名誉賞(現在の国際長編映画賞)を受賞しました。
 本作の受賞は、国際的にはほとんど知られていなかった日本映画の存在を世界に知らしめ、日本映画産業が国際市場に進出する契機となります。

〇黒澤明(くろさわ あきら)とは?

 昭和時代から平成時代に活躍した日本を代表する映画監督・脚本家です。明治時代後期の1910年(明治43)3月23日に、東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)で、荏原中学校(現在の日体荏原高等学校)に勤めていた父・黒澤勇と母・シマの4男4女の末っ子として生まれました。
 1927年(昭和2)に京華中学校卒業後、画家になることを志し、川端画学校に通って洋画を勉強、1928年(昭和3)には二科展に「静物」が入選します。同年、造形美術研究所(のちのプロレタリア美術研究所)に入り、1929年(昭和4)には、日本プロレタリア美術家同盟に参加し、同年の第2回プロレタリア美術大展覧会に5つの作品を出品しました。
 1936年(昭和11)、画業に見切りをつけ、P.C.L.映画製作所(後に東宝と合併)に入社、山本嘉次郎に師事し、1938年(昭和13)に助監督となります。1943年(昭和18)に『姿三四郎』で監督デビューし、太平洋戦争中には他に『一番美しく』(1944)など3本を監督しました。
 戦後は、戦中・戦後の青年像を鮮烈に描いた『わが青春に悔なし』(1946年)、『素晴らしき日曜日』(1947年)、『酔いどれ天使』(1948年)、『野良犬』(1949年)などを監督して、日本映画の旗手となります。1950年(昭和25)の『羅生門』では、ベネチア国際映画祭グランプリを獲得、続いて『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『用心棒』(1961年)などを発表し、ダイナミックな映像表現と一貫したヒューマニズムの追求により、世界から高い評価を得ました。
 1980年(昭和55)の『影武者』でカンヌ国際映画祭のグランプリ、1984年(昭和59)にフランスよりレジオン・ドヌール勲章、翌年映画人として初の文化勲章など数々の栄誉に輝きます。1990年(平成)には、アカデミー賞名誉賞も受賞しましたが、1998年(平成10)9月6日に、東京において、88歳で亡くなりました。没後、映画監督としては初の国民栄誉賞も受賞しています。

☆黒澤明の監督作品一覧

・『姿三四郎』(1943年)
・『一番美しく』(1944年)
・『続姿三四郎』(1945年)
・『虎の尾を踏む男達』(1945年)
・『明日を創る人々』(1946年)[山本嘉次郎、関川秀雄との共同監督]
・『わが青春に悔なし』(1946年)
・『素晴らしき日曜日』(1947年)
・『酔いどれ天使』(1948年)
・『静かなる決闘』(1949年)
・『野良犬』(1949年)
・『醜聞(スキャンダル)』(1950年)
・『羅生門』(1950年)
・『白痴』(1951年)
・『生きる』(1952年)
・『七人の侍』(1954年)
・『生きものの記録』(1955年)
・『蜘蛛巣城』(1957年)
・『どん底』(1957年)
・『隠し砦の三悪人』(1958年)
・『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)
・『用心棒』(1961年)
・『椿三十郎』(1962年)
・『天国と地獄』(1963年)
・『赤ひげ』(1965年)
・『どですかでん』(1970年)
・『デルス・ウザーラ』(1975年)
・『影武者』(1980年)
・『乱』(1985年)
・『夢』(1990年)
・『八月の狂詩曲(ラプソディー)』(1991年)
・『まあだだよ』(1993年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

887年(仁和3)第58代天皇とされる光孝天皇の命日(新暦9月17日)詳細
1617年(元和3)第107代の天皇とされる後陽成天皇の命日(新暦9月25日)詳細
1896年(明治29)北海道函館区の明治29年箱館大火「テコ婆火事」で、2,280戸が焼失する詳細
1931年(昭和6)官僚・政治家・総理大臣濱口雄幸の命日詳細
1945年(昭和20)占領軍用の慰安施設のために、特殊慰安施設協会(RAA)が設立される詳細
1988年(昭和63)奈良そごう建設予定地で大量の木簡が発見され、長屋王邸跡であることが判明する詳細
1993年(平成5)東京港連絡橋(レインボーブリッジ)が開通する詳細
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 今日は、鎌倉時代の1308年(徳治3)に、第94代の天皇とされる後二條天皇が亡くなった日ですが、新暦では9月10日となります。
 後二条天皇(ごにじょうてんのう)は、鎌倉時代の1285年(弘安8年2月2日)に、京都において、第91代の天皇とされる後宇多天皇(大覚寺統)の第一皇子(母は堀河具守女基子)として生まれました。1286年(弘安9年10月)に親王宣下され、1298年(永仁6年)には、冷泉万里小路殿で元服、両統(持明院統・大覚寺統)迭立により、後伏見天皇の皇太子に立てられます。
 1300年(正安2年)に徳大寺忻子が女御として入内、五辻宗子を母として邦良親王(後に第一皇子)が生まれました。1301年(正安3年)に鎌倉幕府の介入により、後伏見天皇の譲位を受けて践祚、第94代とされる天皇として即位しましたが、父・後宇多院が院政を敷きます。
 1302年(正安4年)に五辻宗子を母として第二皇子の花町宮邦省親王が生まれ、二条為藤らを召して当座歌合を催しました。1303年(嘉元元年)に徳大寺忻子が中宮に冊立され、後二条院歌合を催し、内裏百首を召します。
 1305年(嘉元3年)に自撰の御集『後二条院御集』を撰集しましたが、1308年(徳治3年8月25日)に、京都の二条高倉皇居において、数え年24歳で急死し、墓所は北白河陵(現在の京都市左京区)とされました。尚、歌を能くし、宮中で歌合を何度か催し、新後撰集初出で、勅撰入集は、計百首に及んでいます。

<代表的な和歌>

・「人としていかでか世にもありふべき五(いつつ)の常のみちはなれては」(後二条院御百首)
・「ながき日をふりくらしたる春雨はさびしきことのかぎりなりけり」(後二条院御百首)
・「志賀の山風をさまれる春にあひて君が御幸を花も待ちけり」(新拾遺和歌集)
・「うづら鳴く野原の浅茅うちなびき夕露もろく秋風ぞふく」(新後撰和歌集)
・「白露のをかべの薄はつ尾花ほのかになびく時は来にけり」(続後拾遺和歌集)
・「もみぢ葉の深山にふかく散りしくは秋のかへりし道にやあるらん」(風雅和歌集)
・「恋しさの寝てや忘るると思へどもまた名残そふ夢の面影」(玉葉和歌集)

〇後二条天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1285年(弘安8年2月2日) 京都において、第91代の天皇とされる後宇多天皇の第一皇子(母は堀河具守女基子)として生まれる
・1286年(弘安9年10月) 親王宣下される
・1298年(永仁6年) 冷泉万里小路殿で元服、両統迭立により後伏見天皇の皇太子に立てられる
・1300年(正安2年) 徳大寺忻子が女御として入内、五辻宗子を母として邦良親王(後に第一皇子)が生まれる
・1301年(正安3年) 鎌倉幕府の介入により、後伏見天皇の譲位を受けて践祚、第94代とされる天皇として即位するが、父・後宇多院が院政を敷く
・1302年(正安4年) 第二皇子の花町宮邦省親王が生まれ、二条為藤らを召して当座歌合を催す
・1303年(嘉元元年) 徳大寺忻子が中宮に冊立され、後二条院歌合を催し、内裏百首を召す
・1305年(嘉元3年) 自撰の御集『後二条院御集』を撰集する
・1308年(徳治3年8月25日) 京都の二条高倉皇居において、数え年24歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1498年(明応7)東海道沖で明応地震が起きる(新暦9月20日)詳細
1543年(天文12)ポルトガル船が種子島に漂着し、日本に鉄砲伝来する(新暦9月23日)詳細
1648年(慶安元)儒者・日本陽明学の祖中江藤樹の命日(新暦10月11日)詳細
1757年(宝暦7)柄井川柳が最初の川柳評万句合を行った日(川柳発祥の日)です(新暦10月7日)詳細
1907年(明治40)明治40年函館大火で、死者8名、負傷者1,000名、焼失12,390戸の被害を出す詳細
1922年(大正12)日本最大の分水工事である信濃川の大河津分水工事が完成し、通水する詳細
1931年(昭和6)東京飛行場(現在の東京国際空港)が開港する詳細
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 今日は、江戸時代前期の1620年(元和6)に、伊達政宗の使節(慶長遣欧使節)としてスペインに赴いた支倉常長が、7年ぶりに帰国した日ですが、新暦では9月20日となります。
 慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)は、江戸時代前期の1613年(慶長18)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、およびローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した使節のことです。
 使節団は、サン・フアン・バウティスタ号で牡鹿半島の月ノ浦(現在の宮城県石巻市)を出帆し、メキシコ経由で、1年弱かかってヨーロッパに到着し、スペイン国王やローマ法王に謁見しました。その後、帰途につき、支倉常長は1620年(元和6年8月24日)に日本へ帰国しています。
 この時、スペイン・ローマ・フィリピンから持ち帰った、ローマ法王の肖像画、常長の肖像画、常長のローマ市民権証などの品々は、「慶長遣欧使節関係資料」として国宝に指定され、「仙台市博物館」で展示されています。また、一行が航海に使ったサン・ファン・バウティスタ号が復元され、石巻市渡波の「宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」で見ることができ、大航海の様子を、展示や映像で学ぶこともできます。

〇慶長遣欧使節関係略年表(日付は新暦です)

<1613年(慶長18)>
・10月28日 サン・フアン・バウティスタ号で牡鹿半島の月ノ浦(現在の宮城県石巻市)を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ太平洋岸のアカプルコへ向かう

<1614年(慶長19)>
・1月28日 出航から3か月後にアカプルコへ入港する
・3月4日 使節団の先遣隊がメキシコシティに入ったが、先遣隊の武士がメキシコシティで盗人を無礼討ちにし、常長ら10人を除き武器を取り上げられる
・3月24日 常長らがメキシコシティ入いる
・5月8日 メキシコシティを出発する
・6月10日 使節団はスペイン艦隊のサン・ホセ号でヌエバ・エスパーニャ大西洋岸ベラクルスのサン・フアン・デ・ウルアを出港する
・7月23日 キューバのハバナに到着する
・8月7日 ハバナを出港する
・10月5日 スペイン南部のサンルーカル・デ・バラメーダに到着、セビリアの貴族であるソテロの本拠地、セビリアに入いる
・10月27日 常長はセビリア臨時市議会に臨み、使命を述べる
・11月25日 使節団はセビリアを出発する
・12月20日 使節団はスペインの首都マドリードに入いる

<1615年(元和元)>
・1月30日、常長ら使節はスペイン国王フェリペ3世に謁見する
・2月17日 常長はフェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の付属教会で洗礼を受ける
・8月22日 使節団はマドリードを出発する
・10月25日 使節団がローマに到着する
・10月29日 使節団がローマで、栄誉あるローマ入市式を行なう
・11月3日 常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に謁見する
・11月20日 常長らにローマ市民権証書が授与される

<1616年(元和2)>
・1月7日 使節団はローマを出発し再びスペインのセビリアへ行く

<1617年(元和3)>
・7月4日 使節団はセビリアを出発しヌエバ・エスパーニャまで戻る

<1618年(元和4)>
・4月2日、迎えのサン・フアン・バウティスタ号でアカプルコを出港する
・8月10日 フィリピンのマニラに到着する

<1620年(元和6)>
・9月20日(旧暦8月24日) サン・フアン・バウティスタ号をマニラで売却し、常長は便船で日本へ帰国する

<1622年(元和8)>
・8月7日(旧暦7月1日) 支倉常長が亡くなる
・9月18日 ソテロは、マニラから密入国しようとしたが捕らえられる

<1624年(寛永元)>
・8月25日(旧暦7月12日) ソテロが大村で火刑により殉教する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1776年(安永5)国学者平田篤胤の誕生日(新暦10月6日)詳細
1885年(明治18)歌人若山牧水の誕生日詳細
1937年(昭和12)国民精神総動員運動遂行のため、第一次近衛内閣により「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定される詳細
1945年(昭和22)国鉄八高線多摩川鉄橋において八高線列車正面衝突事故が起き、死者105人、負傷者約150人を出す詳細
1956年(昭和31)映画監督溝口健二の命日詳細
1962年(昭和37)三宅島(東京都三宅村)の雄山が22年ぶりに大噴火(三宅島1962年噴火)する詳細
2005年(平成17)つくばエクスプレス(TX)が、秋葉原駅~つくば駅間で開業する詳細
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 今日は、明治時代後期の1898年(明治31)に、日本鉄道の小高~久ノ浜が延伸開業し、現在の常磐線が全通した日です。
 常磐線(じょうばんせん)は、東北本線日暮里駅から土浦・水戸・日立・いわきを経由して、東北本線岩沼駅(宮城県)に至るJRの鉄道線です。2支線(7.3km)を含み、営業キロは350.4kmで、現在は、JR東日本の営業線となりました。
 日本鉄道が、田端~岩沼間を1895~98年(明治28~31)に開業(友部~水戸間は1889年に水戸鉄道により開業、1892年に日本鉄道に合併)して全通し、1905年(明治38)に旅客列車専用の日暮里~三河島間を建設したものの、1906年(明治39)11月1日に国有化と共に現在の名称となっています。電化は東京近郊国電区間として、1949年(昭和24)から上野~取手間で電車運転が行われ、1961~1972年(昭和36~47)に取手以北が交流電化されました。
 1987年(昭和62)の日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に伴い、JR東日本に所属するようになります。2011年(平成23)3月11日の東日本大震災のにより大きな被害を受けて、不通となりましたが、2020年(令和2)3月14日に、富岡~浪江間が復旧したことで、全線で運転が再開されました。
 水戸、日立、いわきなどの諸都市を連ね、東北本線と共に、関東・東北地方の表日本縦貫線の一つで、東北地方と首都圏をつなぐ重要な役割を担っています。

〇常磐線関係略年表

・1889年(明治22)1月16日 水戸鉄道の水戸~小山間が開業、現在の常磐線にあたる区間に水戸駅、内原駅が開業する
・1890年(明治23)11月26日 水戸鉄道の貨物支線 水戸~那珂川間開業。那珂川貨物取扱所(後の那珂川駅)が開業する
・1892年(明治25)3月1日 水戸鉄道全線を日本鉄道に譲渡し、水戸線となる
・1894年(明治27)1月4日 水戸線の赤塚駅が開業する
・1895年(明治28)7月1日 水戸線の友部駅が開業する
・1895年(明治28)11月4日 日本鉄道土浦線の土浦~友部間開業。土浦駅、神立駅、高浜駅、石岡駅、岩間駅が開業する
・1895年(明治28)12月1日 土浦線の羽鳥駅が開業する
・1896年(明治29)12月25日 土浦線の田端~土浦間、隅田川線 田端~隅田川間が開業、南千住駅、北千住駅、松戸駅、柏駅、我孫子駅、取手駅、藤代駅、牛久駅、荒川沖駅、隅田川駅が開業する
・1897年(明治30)2月25日 磐城線の水戸~平間が開業、佐和駅、大甕駅、下孫駅(現在の常陸多賀駅)、助川駅(現在の日立駅)、川尻駅(現在の十王駅)、高萩駅、磯原駅、関本駅(現在の大津港駅)、勿来駅、植田駅、泉駅、湯本駅、綴駅(現在の内郷駅)、平駅(現在のいわき駅)が開業する
・1897年(明治30)5月17日 土浦線の亀有駅が開業する
・1897年(明治30)8月29日 磐城線の平~久ノ浜間が開業、草野駅、四ツ倉駅、久ノ浜駅が開業する
・1897年(明治30)11月10日 磐城線の中村~岩沼間が開業、中村駅(現在の相馬駅)、新地駅、坂元駅、吉田駅(現在の浜吉田駅)、亘理駅が開業する
・1897年(明治30)12月27日 土浦線の金町駅が開業する
・1898年(明治31)1月 北千住~隅田川間が開業する
・1898年(明治31)4月1日 石神駅(現在の東海駅)が開業する
・1898年(明治31)4月3日 磐城線の原ノ町~中村間が開業、原ノ町駅、鹿島駅が開業する
・1898年(明治31)5月11日 磐城線の小高~原ノ町間開業。小高駅、高駅(現在の磐城太田駅)が開業する
・1898年(明治31)8月6日 土浦線の馬橋駅が開業する
・1898年(明治31)8月23日 磐城線の久ノ浜~小高間が開業、田端~岩沼間が全通し、広野駅、木戸駅、富岡駅、長塚駅(現在の双葉駅)、浪江駅が開業する
・1898年(明治31)12月1日 高駅を磐城太田駅に改称する
・1900年(明治33)8月14日 佐貫駅(現在の龍ケ崎市駅)が開業する
・1901年(明治34)8月8日 土浦線・水戸線友部~水戸間および貨物支線・磐城線・隅田川線を統合し海岸線と改称する
・1904年(明治37)11月22日 大野駅が開業する
・1905年(明治38)4月1日 三河島~日暮里間が開通し、現在のルートが完成、日暮里駅、三河島駅開業、上野発着列車の田端駅でのスイッチバック運転解消する
・1906年(明治39)11月1日 日本鉄道が国有化され、那珂川貨物取扱所を那珂川駅に変更する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1180年(治承4)石橋山の戦いで、300騎の源頼朝が3,000余騎の大庭景親に敗れる(新暦9月14日)詳細
1854年(嘉永7)長崎において、「日英和親条約」が調印される(新暦10月14日)詳細
1914年(大正3)第一次世界大戦で、「日英同盟」を理由に日本がドイツに宣戦布告する詳細
1942年(昭和17)日本画家竹内栖鳳の命日詳細
1944年(昭和19)「学徒勤労令」が公布・施行される詳細
「女子挺身勤労令」が公布・施行される詳細
1975年(昭和50)中央自動車道の恵那山トンネル(当時日本最長の道路トンネル)が開通する詳細
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 今日は、明治時代後期の1910年(明治43)に、「韓国併合ニ関スル条約」(通称:韓国併合条約)が調印された日です。
 「韓国併合ニ関スル条約」(かんこくへいごうにかんするじょうやく)は、日本が韓国を領有して完全に植民地とする条約で、明治時代後期の1910年(明治43)8月22日に、漢城府(現在のソウル特別市)で、寺内正毅統監と李完用総理が調印し、同月29日に裁可公布して発効したもので、「韓国併合条約」または「日韓併合条約」とも呼ばれてきました。
 日本は、1876年(明治9)に、朝鮮に対して最初の不平等条約である「日朝修好条規」を締結して以来、朝鮮半島進出を試み、その支配をめぐって、1894~95年(明治27~28)に日清戦争、1904~05年(明治37~38)に日露戦争が起きました。日露戦争終結のために調印された「ポーツマス条約」 (1905年) 第2条と「第二回日英同盟協約」(1905年)第3条において、それぞれ朝鮮における優越的立場を認められます。
 その後、3次にわたる「日韓協約」で実質的に韓国主権を手中に収め、1906年(明治40)2月に韓国統監府が開設され、それと共に1908年(明治42)の東洋拓殖株式会社、1909年(明治423)の韓国銀行(朝鮮銀行)の設立で経済支配を確立しました。その間、韓国ではハーグ密使事件、伊藤博文暗殺、李完用刺傷、啓蒙運動、義兵闘争、農民反乱などの広範な抵抗運動が起こります。
 日本側は、日朝文化の共通性を示す「日鮮同祖論」などを喧伝すると共に、反日運動を弾圧し、植民地支配を強化しました。その結果、、1909年(明治42)7月6日の桂太郎内閣による「韓国併合ニ関スル件」の閣議決定、翌年6月3日の「韓国ニ対スル施政方針」の閣議決定を経て、8月22日の「韓国併合ニ関スル条約」の調印(発効は8月29日)に至り、完全に植民地化されます。
 以後、韓国は朝鮮と呼ばれるようになり、1945年(昭和20)8月15日に日本が太平洋戦争に敗れて解放されるまで、朝鮮総督府の直接的支配を受けました。
 以下に、「韓国併合ニ関スル条約」(全文)を掲載しておきますので、ご参照ください。

〇「韓国併合ニ関スル条約」(全文) 1910年(明治43)8月22日調印、8月29日発効

韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号)

日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ両国間ニ併合条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為日本国皇帝陛下ハ統監子爵寺内正毅ヲ韓国皇帝陛下ハ内閣総理大臣李完用ヲ各其ノ全権委員ニ任命セリ因テ右全権委員ハ会同協議ノ上左ノ諸条ヲ協定セリ

第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス

第二条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス

第三条 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス

第四条 日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ各相当ノ名誉及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス

第五条 日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナリト認メタル者ニ対シ栄爵ヲ授ケ且恩金ヲ与フヘシ

第六条 日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ全然韓国ノ施政ヲ担任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及財産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルヘシ

第七条 日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓国ニ於ケル帝国官吏ニ登用スヘシ

第八条 本条約ハ日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

右証拠トシテ両全権委員ハ本条約ニ記名調印スルモノナリ

明治四十三年八月二十二日

統       監 子爵寺內正毅

隆熙四年八月二十二日

內閣總理大臣    李 完 用

   「官報」より

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1862年(文久2)(閏)参勤交代を緩和、妻子の帰国を許し3年に1度の出府となり、事実上廃止される(新暦10月15日)詳細
1869年(明治2)彫刻家米原雲海の誕生日(新暦9月27日)詳細
1903年(明治36)東京電車鉄道(電鉄)が、品川~新橋間を開業(東京初の路面電車)する詳細
1904年(明治37)日本と大韓帝国との間で、「第一次日韓協約」が調印される詳細
1941年(昭和16)劇作家・小説家長谷川時雨の命日詳細
1943年(昭和18)詩人・小説家島崎藤村の命日(藤村忌)詳細
1944年(昭和19)沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦により撃沈される(対馬丸事件)詳細
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