今日は、飛鳥時代の670年(天智天皇9)に、法隆寺が落雷により全焼した日です。
法隆寺(ほうりゅうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山(元は法相宗)で、正式名称は法隆学問寺と言い、推古天皇・聖徳太子創建の七ヵ寺の一つで、南都七大寺の一つでもあります。飛鳥時代に聖徳太子が用明天皇の遺志を継ぎ、薬師三尊像を安置したのに始まり、創建は金堂薬師如来像光背銘、『上宮聖徳法王帝説』から607年(推古天皇15)とされますが、670年(天智天皇9)に落雷によって全焼し、7世紀後半に再建されました。
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、境内の広さは約18万7千㎡です。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群で、そこには、金剛力士立像、金堂の釈迦三尊、五重塔の塑像群などがあり、東院伽藍には、夢殿の救世観音、大宝蔵殿の百済観音、夢違観音、玉虫厨子、橘夫人念持仏厨子、百万塔陀羅尼などがあり、全体で38件もの国宝と151件の国の重要文化財が残されてきました。
残念ながら、金堂の壁画は1949年(昭和24)の火災で損傷したものの、のち復元されています。また、1934年(昭和9)に法隆寺国宝保存事業の開始と共に、次々と根本的修理が行われ、1954年(昭和29)の金堂の修理落成でほぼ終了しました。
尚、1993年(平成5)には、法起寺と共に、「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられ、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設で、境内の広さは約18万7千㎡です。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群で、そこには、金剛力士立像、金堂の釈迦三尊、五重塔の塑像群などがあり、東院伽藍には、夢殿の救世観音、大宝蔵殿の百済観音、夢違観音、玉虫厨子、橘夫人念持仏厨子、百万塔陀羅尼などがあり、全体で38件もの国宝と151件の国の重要文化財が残されてきました。
残念ながら、金堂の壁画は1949年(昭和24)の火災で損傷したものの、のち復元されています。また、1934年(昭和9)に法隆寺国宝保存事業の開始と共に、次々と根本的修理が行われ、1954年(昭和29)の金堂の修理落成でほぼ終了しました。
尚、1993年(平成5)には、法起寺と共に、「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
〇法隆寺関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・574年(敏達3年) 聖徳大子が生まれる
・586年(用明元年) 聖徳太子が法隆寺および薬師仏の造立を発願する
・607年(推古15年) 法隆寺が完成し、用明天皇のために金堂薬師如来像を造願する
・622年(推古30年2月22日) 聖徳太子が亡くなり、橘大郎女が聖徳太子のために、天寿国曼荼羅繍帳を作成する
・623年(推古31年) 止利仏師により金堂釈迦三尊像が完成する
・643年(皇極2年11月) 蘇我入鹿が、聖徳太子の皇子山背大兄王らを斑鳩宮に襲い、山背大兄王ら一族25人が自害し、聖徳太子の血族である上宮王家が滅亡する
・670年(天智9年4月30日) 夜半に法隆寺が全焼する
・708年(和銅元年) 詔により法隆寺を再建する
・711年(和銅4年) 五重塔内塑像および中門金剛力士像を造る
・737年(天平9年) 行信が聖徳太子の遺品を集める
・739年(天平11年4月10日) 行信、上宮王院(東院)夢殿を造立する
・767年(神護景雲元年9月5日) 行信発願の大般若経など2,700巻の写経事業が、法資孝仁によって完成する
・859年(貞観元年9月19日) 道詮奏上して夢殿を修理する
・1023年(治安3年10月26日) 藤原道長、法隆寺および上宮王院に参詣する
・1069年(治暦5年2月5日) 仏師僧円快、秦到真、聖徳太子像を造る
・1114年(永久2年) 勝賢、法隆寺一切経写経事業を発願する
・1118年(元永元年) 写経事業が完成する
・1121年(保安2年) 東室を新造、南面を改造して聖霊院とし、院内に聖徳太子および侍者像5体を奉安する
・1126年(大治元年7月19日) 源義、開浦三昧堂を改めて三経院を造立する
・1261年(弘長元年9月4日) 後嵯峨太上天皇、行幸する
・1574年(天正2年正月) 織田信長、法隆寺境内へ陣取などを禁止する掟を作る
・1600年(慶長5年) 豊臣秀頼が、この頃から法隆寺全伽藍の修理を開始する
・1606年(慶長11年) 豊臣秀頼による法隆寺全伽藍を修理が完了する
・1614年(慶長19年10月16日) 徳川家康、大阪冬の陣に赴く途上、法隆寺で太子尊像を拝し、阿弥陀院で一泊する
・1868年(明治元年3月) 「神仏分離令」により、廃仏棄釈運動が起こる
・1878年(明治11年) 300件余の宝物を当時の皇室に献納し、金一万円を下賜される
・1884年(明治17年) フェノロサ、岡倉覚三(天心)らにより法隆寺の宝物調査が行われ、夢殿の救世観音像がこの時数百年ぶりに開扉される(異説あり)
・1903年(明治36年) 佐伯定胤が管主となり、廃仏毀釈で衰微していた唯識の教えを復興する
・1934年(昭和9年) 「昭和の大修理」が開始される
・1939年(昭和14年) 「若草伽藍」を発掘する
・1944年(昭和19年) 太平洋戦争下の爆撃から守るため、解体していた部材を安堵村(現・安堵町)などに疎開させる
・1947年(昭和22年) 復元中に天井板部材に建築当時の落書きがあることを発見する
・1949年(昭和24年)1月26日 金堂より失火し、壁画を焼損する
・1950年(昭和25年) 法相宗を離脱し、聖徳宗を開く
・1951年(昭和26年)6月9日、法隆寺境内、史跡に指定される。
・1954年(昭和29年) 「昭和の大修理」が金堂の修理落成でほぼ終了する
・1967年(昭和42年)10月20日 法隆寺境内が、歴史的特別保存地区に指定される
・1969年(昭和44年)4月 金堂内陣上部小壁天人壁画再現事業を開始。
・1971年(昭和46年)3月31日 金堂内陣上部小壁再現事業完成。4月2日~4日の3日間、聖徳太子1350年御聖諱法要が厳修される。
・1985年(昭和60年)6月30日 昭和の大修理完成し、法隆寺昭和大修理完成法要が厳修される
・1993年(平成5年)12月9日 「法隆寺地域の仏教建造物」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録される
・2013年(平成25年)12月9日 大規模自然災害時には寺を緊急避難場所に開放する協定を斑鳩町と締結し、境内の南大門前広場や聖徳会館を避難場所として提供する
・2015年(平成27年)11月11日 1949年の火災で焼失した金堂壁画について、文化庁などと共同で総合的な科学調査を実施すると発表される
・2023年(令和5年)9月7日 斑鳩町教育委員会が、「舟塚古墳」と呼称していた観光バス駐車場にある円形の植え込みで、奈良大学との共同発掘調査にて石室と副葬品を発見したと報じられる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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